第233話 贅沢な悩み
ギルを助けたい。その気持ちに偽りはない。
ただ、どうにも心が決まらない。
6月3日。大魔連邦の襲撃から2日。
外が赤く染まり始めた時分、アンジェリーナは一人部屋のベッドに座っていた。
諸々の準備はできている。
部屋の脱走はなんとかなるとして、地下牢への行き方を見つけるのには苦労した。
何せ地下牢があるのは公務塔の地下。
誰にも見つからずに正面突破は難しい。
第一、地下牢に続く入り口には鍵が掛けられ、厳重な警備が為されていると聞くし。
だからこそ、この地図のことを思い出せて良かった。
アンジェリーナはベッドの上に広げられた古い地図を眺めた。
公務塔、その地下へは外から侵入できる。
昔、時の宝剣を見つけたときに通った秘密の通路だ。
ゴミ捨て場から中に入り、地図の通りに行けば地下牢の真下に出られるはず。
地図の情報が正しいのか不安は残るけれど、ひとまずやってみる価値はある。
本当は時の宝剣でテレポートしたほうが手っ取り早いんだけど、時の宝剣の使者であることが白日の下に晒されてしまった以上、むやみやたらと使うわけにはいかない。
ひとまず、城内での使用は避けるべき。
とまぁ大体こんな感じで脱走の手筈は整っている。
問題は、その先だ。
ふぅと息を吐き、ぎゅっと目を瞑った。
部屋に軟禁、からの脱走は今までも何度もやってきた。
でもそれとこれとは話が違う。
なぜならこれから私が助け出そうとしている人は、紛れもないこの国の罪人なのだから。
罪人を無断で牢から出す。つまり罪人の脱走を手助けする行為はまさしく犯罪そのもの。
それを一国の王女ともあろう者がやったとならば、一大事どころの話ではない。
ただでさえ混乱状態の王宮は更なるパニックに見舞われるだろうし、その事実が大衆に知れ渡ればカヤナカ王家の信用は著しく低下するだろう。こんな有事に国の結束を乱すなどあってはならない。
内政の乱れは致命的だ。大魔連邦に隙をつかれ、王家没落ともなればひとたまりもない。
そして何より、もしギルを助ければ、私はもう二度と王宮へは戻ることはできないだろう。
つまりそれは、女王になるという私の夢を諦めなければならないということ。
王家を捨て、逃亡したところでその先に未来はない。
だからといって、このままじっとしていてもできることは何もない。
国が危機に瀕しているというのに、私は部屋から出ることすら許されていない。
女王になることと、この国を守り平和を実現すること。
それは同義だと思っていた。
女王になるためには王家を出ずにここに留まるのが最良の選択。
為政を行い、国を変えるためには上に立たなければならない。
どんなに困難だろうと、王家にいる限りその可能性はゼロではない。
だが、ひとたび王族の地位を捨ててしまえばそれまでだ。
そこから国王になどなれるはずがない。
しかし、それはあくまでもこの先の未来、カヤナカ家が国を統治し、ポップ王国が独立を保っていたときの話だ。
現状、ポップ王国は大魔連邦に宣戦布告されている。
事態は深刻。国を滅ぼされる可能性だって十分ある。
そんな今、国を救うためにできることが、この場にあるのだろうか。
いや、外に出たからといって私に何ができるかもわからない。
ただ一つ確かなのは、ここにいる限り私は何もできないということ。
王家を出なければ今、国を救えない。
しかし王族の地位を捨てればその先の未来、私が国王になることは不可能。
相反する二つの夢、現在と未来。
その矛盾を前に、アンジェリーナは決断することができずにいた。
こういうとき、普段ならばギルやクリスに相談できるものの、ギルは今や牢屋の中、いつ死刑が宣告されてもおかしくない状況。またクリスも国政のほうに全身全霊を投じているため、こちらの様子に気を配れる余裕はないはず。
一人心の黒いもやばかりが膨れ上がり、一向に光が見えない。
「どうすれば――」
コンコンコン。
「姫様、入ってもよろしいでしょうか」
「――ちょっと待って!」
ドアを叩く使用人の声に、アンジェリーナはベッドから降り、素早く地図やら何やらを隠し、ベッドルームの扉を閉めた。
ふぅと一つ深呼吸をし、どうぞと声をかける。
「何?どうしかした?」
「実は、国王様から姫様に伝言を預かってまいりました」
「お父様から?」
「『今日の夜7時、食堂で共に夕食をとるように』とのことです」
「夕食?」
どういうつもり?
突然のことにアンジェリーナは首を傾げた。
大魔連邦の襲撃から今日まで、アンジェリーナに事情を聴きに来たあのとき以降、イヴェリオは一切居住棟に帰ってきていないようだった。
そもそもアンジェリーナは部屋に軟禁中で食事もここでとっていたため、顔を合わせることもなかったのだが。
ゆえに、このイヴェリオの命令はアンジェリーナをひどく困惑させた。
絶対に裏がある。まさか、ギルのことで何かあったのではないか、と。
――――――――――
「悪い、待たせた」
そう言って軽く息を切らし、イヴェリオは席に座った。
結局、30分ほどの遅刻。
そんなに忙しいのならばわざわざ居住棟まで足を運ぶ暇もないのだろうに、ますます不審だ。
「なんだ?その顔は」
猜疑心を露わにするアンジェリーナの表情に、イヴェリオが顔をしかめる。
「言いたいことがあるなら言えばいい」
「――いや、一体何の話をされるのかなと思っているだけでこっちからは特に」
「そうか」
『そうか』とは?
何かしらの思惑があって呼び出したのは明確にも関わらず、イヴェリオは一向に話を切り出す素振りを見せなかった。
気まずい膠着状態が続く中、料理だけが次々と運ばれてくる。
王族の食卓。
平民はもちろん、他の貴族と比べてもその格は桁違いだろう。
選りすぐりの料理人が作る最上級の料理。
美味しいに決まっている。だが、私の人生の中で心の底から美味しいと感じた料理とは異なる。
例えばそれは、昔初めて城を抜け出したときに買った甘いお菓子、あるいはジュダ・ギルと一緒に街で食べたサンドイッチ。
決して豪華ではないけれど、そのときのワクワクした感情だったり、誰と一緒に食べるかだったり、重要なのはそこだと思う。
だからこそ、普段の食事はつまらないというのが正直なところだ。
なにせ長机の両端にぽつりと二人、特に楽しい会話をするでもない、そんな食卓が良いものであるはずがない。
いつにも増して黙々と食事を進めながら、アンジェリーナはふとそんな思案に耽っていた。
「何を迷っている」
その声にはっととして目線を上げると、イヴェリオがじぃっとこちらを見つめていた。
食事が終わりかけた頃になってようやくだ。
「“迷っている”っていうのは――」
「いつもならばもう、とっくの間にしびれを切らしている頃だ」
ギクッと思わず体が硬直した。
何の話をされるのかある程度予測していたものの、こう直接的に聞かれるのは想定外過ぎる。
「まるで“早く脱走しないのか”と聞いているようですね?」
挑発気味に笑い返してみるもイヴェリオはそれには答えず、ただ一口ワインを含むのみ。
大抵こういう話のときは二人して喧嘩腰になるのが常だが、今日はどこか様子が違う。
お父様が妙に余裕というか、それとも私が焦っているのか。
「お前はこの国の王女だ。成人して実際に公務もしている。今までみたく易々と立場を放り投げて逃げるわけにはいかない。そのはずだ」
淡々と告げられる事実がいつも以上に胸に突き刺さる。
「だが一方でお前は大切なものを守りたいとも思っている。たとえどんな犠牲を払ったとしても。贅沢な悩みだ」
「――贅沢?」
その言葉にアンジェリーナは怪訝そうに顔をしかめた。
「お前が決めあぐねている二つの選択肢。どちらも捨てがたいのはそうだろう。が、選択とはどちらかを選ばねばならないものだ。つまりどちらかを必ず捨てなければならない」
「捨てる――」
王女としてここに留まり国の行く末をじっと見守る道。
ギルを救出し国を救うために、ない可能性を追い求めて暗夜をもがく道。
そのどちらもを取ることはできない。
頭では理解していたはずの現実は、他人に指摘されることによってより一層重みを増して肩にのしかかる。
「お前はもう子どもじゃない。一人の大人として自分自身の手で選択しなければならない。そしてその責任を取らなければならない。この先もずっとその繰り返しだ――アンジェリーナ」
そう呼びかけ、イヴェリオは静かに告げた。
「無謀と我儘は違うぞ」
「――え?」
アンジェリーナの瞳の中に、澄んだ目をしたイヴェリオが映った。
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