第232話 腹の底
「それでクリス、お前の話というのは?」
「はい、最後通牒の件で少し」
公務棟、国王執務室。
閣議終わり、話があると言われたイヴェリオはソファに腰かけ、クリスと向かい合っていた。
「何だ?何か気になったことでも?」
「あくまで私の第一印象なのですが、あの文書、ずいぶんと簡潔だなと思いまして」
「簡潔、というと?」
「例えば第4項と第5項――」
「待て。そういうことなら」
イヴェリオは席を立つと執務机に赴き、引き出しの中から最後通牒、その原本を取り出した。
第4項と第5項――。
『4. シガリア侵攻およびポップ大戦に対する本国への賠償金を支払うこと。
5. 公海たるラウンド洋に無断で結界を築いたことにより発生した、本国の損失に対する補償金を支払うこと。』
「どちらも金の話だな」
「はい。賠償金や補償金の話はしていますが、具体的な金額については一切触れられていません」
「金額――」
確かに、この文章だけでは具体的にどの程度の賠償金・補償金を要求しているのか、全く読み取れない。
相当な額を要求されるであろうことは想像に難くないが。
「その辺の詰めは直接交渉の場で決められるのでしょうが、私にはそれが妙に悠長な気がして」
「“悠長”か。だが、こういう場合もあるのではないのか?必ずしもすべての最後通牒で金額まで明記されることはないだろう。まぁ、他国の最後通牒の文面など、手に入れられるものではないが――特別気になることでも?」
「いえ。確証を得られるほどのことでは」
そう話すクリスの顔をイヴェリオはじっと見つめた。
確証は得られずとも、疑惑はあるのだろう。
だが、どうにも回りくどいというか核心が見えない。
クリスは一体、私に何を察させようとしているのだろうか。
第一、先程の閣議でも最後通牒の話は当然議題に上がっていたのだ。
この程度のことならば、その場で話してくれたほうが良かったのではないのだろうか。
その方が議論を交わすことができるだろうし――。
「イヴェリオ様」
考え事の最中、ふいに呼びかけられ、イヴェリオは顔を上げた。
「実は単刀直入にお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「――なんだ?改まって」
クリスの雰囲気が突然変わった。
クリスはふぅと一つ息を吐き、その碧き瞳をこちらへ向けた。
「イヴェリオ様は国王として、この最後通牒の要求、容認すべきだと思いますか。あるいは否認すべきだとお考えですか」
昨日から今まで、紛糾はすれど何度も何度も議論を重ねてきた。
だが、この質問をされるのはこれが初めてだった。
きっと、誰もがしたかった問いに違いない。いや、今までされなかったのがおかしいくらいだ。
なるほど。どうしてクリスが二人きりで話をしたいと言ったのか、その真意がわかった。
「クリス、お前はどう思っている?」
「私は、否認すべきだと思います」
即答。
考え込む仕草も何もなく、クリスは平然とそう言った。
「理由は?」
「どう考えても戦争に持ち込むのは無理な話だからです」
戦争――。
クリスは淡々と続ける。
「最後通牒を否認すれば、大魔連邦は間違いなくポップ王国に攻め入るでしょう。現に、ライ=アザリアを始めとした奇襲部隊は今もポップ王国に身を潜めているでしょうし。第一、こちらとあちらでは兵力も財力も違いすぎます」
確かに、それはその通りなのだろう。
鎖国ゆえに情報はほとんど入ってきていないが、大魔連邦の軍事力は想像を絶するものに違いない。
対するこちらの兵力はすべての兵士をかき集めても700万人がいいところだ。
ただ残念なことに、この数が多いのか少ないのかさえも判断がつかない。
自国を守るためと謳った鎖国政策だったはずなのに、この様とは皮肉なものだ。
「ではお前は今すぐにでも大魔連邦に降伏すべきだと言うのか?賠償金はどうする?そんなもの払える金はおそらくないぞ」
「仕方ありません。そのあたりは直接交渉の場で決めるしかないでしょう。無責任と思われるかもしれませんが、実際のところ、それが一番金がかからず犠牲を減らせる方法なはずです」
「犠牲――」
戦争により失われるものは際限がない。
クリスが言っていることはもっともだ。
「わかった。お前の意見、検討してみよう」
「ありがとうございます」
「一つ、聞いても良いか?」
「何でしょう」
「もし私がお前の意見を無視して、最後通牒を容認したらどうする?」
その質問に、クリスは一瞬目線を下げ、しかしすぐにこちらにまっすぐ向き直った。
「そのときは――諦めます」
この手の質問、ましてや国王からされたとあれば、普通の者なら萎縮してろくな意見を言えないだろう。
しかし、クリスは全く怯む様子もなくそう答えた。
『諦めます』、か。
なるほど。
「そうか。悪いな。試すようなことを言った」
「いえ」
結局、終始こちらばかりが探られて、クリスの腹の底は見えなかったが、最後の最後に収穫はあった。
こいつは、信用できる。
「あ、もう一つよろしいですか?」
「何だ」
席を立ちあがって扉へ向かおうとしたところ、クリスはくるりと振り返って言った。
「アンジェリーナ様のご様子は?」
「ひとまずは部屋に軟禁している。昨日はギルのことを話したら怒り狂っていたがな」
「え」
ん?
今までに見たこともないような反応。
ぽかんと口を開けて、クリスが固まっている。
「話されたんですか?ギルさんのこと」
「それがどうした?」
「あぁいえ。いつものアンジェリーナ様なら即日部屋を飛び出しているような気がしたので」
「――ふはっ!確かにそうだな」
先程までの緊張に満ちた話では見せなかったくせに、アンジェリーナの話になった途端、神妙な顔つきになるのか。
いや、ほとんど表情は変化していないのだが、それでも明らかに調子が崩れているのがわかる。
「まぁ、今回は事情が違い過ぎる」
思わず吹き出してしまった口元に手を当て、イヴェリオはすんと真剣な表情に顔を戻した。
「あいつは、王女だからな。それに優しすぎる――“お前”と違って」
そう言ってイヴェリオはクリスを見遣った。
ただ、一方の当人は相変わらず、きょとんとした顔でこちらを見つめるばかりで、イヴェリオは再び吹き出しそうになるのをぐっと堪えていた。
――――――――――
地下牢への経路は把握できた。
つなぎもあるし、剣ベルトもある。
一応当面生活に困らないくらいのお小遣いも。
でも――。
同時刻、昨日の奇襲から一夜明けてまた夜になっても尚、アンジェリーナは一歩を踏み出せずにいた。
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