第229話 操り人形
思考が固まること数秒、アンジェリーナは勢いよく机をバンと叩きつけた。
「はぁ!?」
「落ち着け」
「落ち着いていられるわけないでしょう!?」
ギルに王女殺人未遂の容疑がかけられた。
その事実は、アンジェリーナを怒らせるには十分すぎる理由だった。
「だって、だってギルは被害者じゃん!」
大魔連邦による奇襲の最中、ギルは確かに私に剣を向けた。
だが、それはライによって魔法にかけられたため。
彼の意思に反する行為であったことは、対峙した私が一番よくわかっている。
それをあろうことか被疑者に仕立て上げるだなんて――。
「それを証明できるのか?」
「え?」
興奮を露わにするアンジェリーナに冷や水を掛けるように、イヴェリオは静かに続ける。
「お前の話によれば、ギルはライ=アザリアの攻撃を受けて、自分の意思とは関係なくお前に刃を向けたんだろう?だが、傍目から見ればそれが魔法によるものなのかどうか、判別がつかないはずだ」
「それは――」
確かにおじい様の場合は、杖から閃光が飛び出していたけれど、ギルのときは一瞬杖の先が光っただけで、魔法の軌跡が全く見えていない。
その直後、ギルの様子が明らかにおかしくはなったけれど、それを魔法と結びつけるには証拠が足りない。
つまり、ライが魔法をかけたかどうか証明しようがない。
「海外であれば、その辺の分析方法はいくらでもあるのだろうが、ここはポップ王国だ。ポップ魔法以外の、いわゆる尋常魔法はこの国には存在しない。誰も、外の魔法を直に見たことがない。わかるだろう?あのとき、現場にいた者から見れば、近衛兵が自分の意思でもって、王女を傷つけようとしたようにしか見えないということだ」
「で、でもギルは操られて――」
「たとえそうだったとしても」
イヴェリオの低く冷たい声が無情に告げる。
「あいつがお前を傷つけようとしたという事実は変わらない。その時点でもうすでに、奴の処遇は決まっていた。それが敵側の罠だとしてもな」
その言葉に、アンジェリーナは拳をぎゅっと握りしめ、そして静かに開いた。
怒りが、やるせなさが、不甲斐なさがこみ上げてくる。
でも、今お父様の言ったことはすべて正論だ。
「――ギルは、今どこに?」
「城の地下牢だ」
「え」
予想外の返答に、アンジェリーナの熱が再び高まる。
「どうして!?普通は軍の拘置所に送られるはずじゃ――」
「これでも働きかけたほうだ。でなければ奴は即刻処刑になっていたはずだからな」
「!?」
息を飲むアンジェリーナを前に、イヴェリオの淡々として声が響く。
「当然だろう?王族に剣を向けた者は即刻処刑。お前も一度味わっているはずだ」
『お前も一度』――。
脳裏に8歳のときのあの事件がよぎる。
忘れもしない、忘れてはならない。
目の前で簡単に人が死ぬあの情景を。
「ギルは、これからどうなるの?」
「――おそらく、しばらくは放置だろう。わかっているとは思うが、今はそういう些事に構っている場合ではない。他にやるべきことが多すぎる」
些事――。
言い方が気に食わないけれど、事実そうなのだろう。
現に、地下牢に投獄されたのも移送コストを考えてのことだろうし。
「じゃあずっと、地下牢に囚われたまま?」
「――まぁ、それだけならいいが」
「え」
思わせぶりな口調と吊り上がった眉に、アンジェリーナの心に漠然とした不安が広がる。
「地下牢の環境は劣悪だ。あれは今はほぼ使われていない、非常用の牢屋というべきだろう。当然軍の施設と違って管理もあまり行き届いていない。色んな意味でな」
色んなって――。
「あいつは王宮特別警備隊の一員であると同時に王女付きの近衛兵だ。だが、この国において身分の違いというのはあまりに大きい」
何度も聞いてきたその台詞は、今までで一番重く聞こえた。
「あいつの命はそれほどまでに軽い、ということだ。おそらくこの先も、正当な捜査が行われることはないだろう。そうなれば当然、お前の隣に戻ることもない」
――――――――――
「ふんっ!!」
強く叩きつけた机ががたりと音を立てる。
イヴェリオが去った後、アンジェリーナの軟禁状態を確かなものにするため、窓には鍵が掛けられ、ドアの外には24時間態勢の見張りが付けられた。
軟禁と聞いてこの処遇は想像していたけれど、ピッキング対策にダイヤル式の鍵まで使ってくるなんて腹が立つ。
――とはいえ、今はそんな些細なことに腹を立てている場合ではないのだけれど。
アンジェリーナは得られた情報を整理するべく、うーんと目を瞑った。
まず宣戦布告について。
内容が得られなかったのは正直痛い。でも、駄目で元々ではあったし致し方ない。
ただ、最後通牒が送られてきているという事実は有益だ。
最後通牒があるということは、まだ戦争を回避できる可能性が残されているということ。
そこに書かれていることが何なのかわからない以上、無理難題を押し付けられている場合も視野に入れる必要はあるけれど、それでもまだ、条件と期間次第では武力戦闘を避けられる可能性はある。
問題は、お父様が果たして最善の判断をすることができるのかどうか。
あの人が無能な王とはいえ、愚かではないことくらい私もわかっている。
でも同時に、同調圧力に弱いことも知っている。
おじい様が残した負の政策を引き継いでいるように。
もし大臣たちの中で戦争賛成が多数派なのだとしたら、お父様はそちらに流されてしまうかもしれない。
大魔連邦と戦争――そんなのあり得ないのに。
「あとは、ギルのことか」
アンジェリーナはより一層顔を強張らせ、拳を握った。
まさか、ギルがそんな事態になっているだなんて思いもよらなかった。
いや、冷静に考えてみれば即刻処刑、そうなってもおかしくなかった。
駆け付けた兵士たちが私の宝剣を見ていたというのならば、ギルが私に向かってきたその一部始終も見ていたのだろう。
実際、うまく回避し気絶させられたから良かったものの、あのまま無抵抗だったらどうなっていたかわからない。
今になって肝が冷える。
でも――。
アンジェリーナは不意に立ち上がると、ぎっしりと中身の詰まった本棚へと向かった。
その中、よく折り目のつけられた一冊を取り上げ、中を開く。
あのとき、ギルには殺意がなかった。
いやもともとギルは人を殺せない。それでも本気の彼を前にしたときの気迫というのは凄まじい。
なのに、それすらも感じなかった。
それに、一瞬見えたギルの顔。
光を失った瞳と、かすかに震える口元。
「たぶんこの魔法だ。《
そう。意思とは関係なしに。
つまりあのとき、ギルは苦しんでいたのだ。
私を傷つけたくないのに、そんなことしたくないのに、抵抗することもできず、体が勝手に動くその様をただただ見せられていたのだから。
意識までをも操る洗脳魔法も脅威だが、ある意味ではこちらの魔法のほうがもっと劣悪だ。
再びこみ上げてきた怒りをぐっと抑え、アンジェリーナは本をぱたりと閉じた。
ライ=アザリアがどうしてこの魔法を使ったのか、その真意はわからない。
足止めのつもりだったのか何なのか。
何にせよ、起こってしまったことを今更なかったことにはできない。
最優先すべきは――。
「一刻も早くギルを助け出さないと」
『軍の施設と違って管理もあまり行き届いていない。色んな意味でな』
含みのある表現。
嫌な予感しかしない。
地下牢――実際に入ったことはないけれど、確か公務棟の地下にあったはず。
お父様の言っていることが確かならば、普段は人が寄り付かないような場所なのだろう。
閉鎖的空間。そこに放り込まれる死刑囚も同然の男。
『あいつの命はそれほどまでに軽い』
『お前の隣に戻ることもない』
「そんなこと、させない」
アンジェリーナの瞳に、ぎらついた炎が灯った。
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