第227話 連邦軍参謀長・ライ=アザリア

 ポップ王国。

 それは独自の魔力に恵まれた類まれなる国。

 他国との関わりを断ち、要塞とも言えるこの国は世界一安全であり、人は何不自由なく生活している。


 だがそれはあくまで虚像だ。


 蓋を開けてみればポップ王国は殻に閉じこもった臆病な亀に過ぎず、一時停戦中という身でありながら人々はその危機に気づかない。

 民族・貧富の差別は日常茶飯事。

 外からも内からも崩れゆく故郷の上で、人々は僅かに残された平穏を貪っていた。


 その代償は払わなねばならない。

 ついに運命は動き出してしまったのだから。

 もはや国の崩壊は免れない。


 それでも、それでも、この国の運命を決めるのは大魔連邦でも世界でもない――――私だ。




 ――――――――――


 無駄に明るい大空間。

 そこに散らばる無力な兵士と、まだ温かみのある遺体。

 このような惨状にもかかわらず、血の臭い一つせず、鼻腔を刺激する料理の匂いばかりするのは何とも皮肉なものだ。


「――ライさん」



 黒のフードを外したその男は記憶に新しい、つい昨日話をしたばかりのデュガラ領領主補佐官であった。

 ビスカーダ城大広間にて、アンジェリーナとギルは、ついに敵と相対していた。


 何となくそうじゃないかと、デュガラ向こうでジェシスさんから話を聞いたときから思ってはいた。

 でもまさか――。


 アンジェリーナはごくりと喉を鳴らして、ライの右手に目を落とした。


 まさか、ライさんが“時の星杖”の使者だっただなんて。


 時の星杖。時の宝剣と並ぶ“時の宝玉”の一角。

 その使者がラウンド洋の巨大結界を破ったであろうと予想はしていたものの、自分のすぐそばで談笑していた相手がそうだっただなんて、誰が想像できようか。


「こちらの魔法発動に即時に反応し、剣を取り出す反射神経。それも打ち返してしまうとは――さすがです。王女様」


 あくまでにこやかに余裕たっぷりと、ライはアンジェリーナを褒め称えた。


「デュガラでの我々の無礼、どうかお許しください。なにせ、計画実行までの間、身を隠す必要がありましたので」

「――無礼?許すだぁ?」


 ここまで、恐ろしいほど静かに動静を見守っていたギルが、ここにしてついに我慢の限界に達した。


「何言ってんだ?お前。壁を壊しただけじゃなく、デュガラの人たち洗脳してのうのうと役人づらしやがって。終いには法皇殺して許してくれだぁ?――許せるわけねぇだろ」

「――そうですね」

「あぁ!?」


 感情をむき出しにするギルに対し、あくまで淡々とライは答えた。


「自国の利益のために他国を害する、それが戦争というものです。当然、攻められた側からすれば容認できるはずのない行為でしょうが、では今回の場合、どちらが先に手を出したのでしょう?」


 その発言にギルがうっ、と言葉を詰まらせる。


 先に手を出したのはポップ王国こちら側

 それを私たちは知ってしまった。

 あの、ライが置いていった本のおかげで。


「たとえ何年経とうが罪は罪。決して無くなることはありません。我々はその清算をしてもらいたいに過ぎません」

「かといって、奇襲なんて――」

「奇襲――いいえ、これはあくまで予告です」

「予告?」

「正式な文書は今頃王宮のほうに届いているかと」

「こっちには何も教えねぇと?」

「少なくとも、あなたにお伝えする必要はないかと」


 灰青色の瞳がギルをまっすぐに見つめる。


「あなたはこの国の代表者でも何でもない、ただの一兵士。それも平民ですらない、この国の底辺に近い存在、ですよね?――まぁもちろん、あなた様であればお伝えする意義はあるかと思いますが――王女様」


 冷たいわけでも、敵意むき出しというわけでもない。

 だがその視線には、心の奥底が凍てつくような何かがある気がして。

 現に、本来なら即反抗しているであろうギルも声を出せずにいる。

 このひとは、得体が知れない。


「ところでギルさん、王女を守る近衛兵ならば何か異変に気づくかと思ったのですが」

「あ!?」


 唐突な煽りに、思わずギルが声を荒げる。


「たとえ内部を私が支配したとはいえ、この騒ぎよう。外部から兵の一人や二人、飛び込んできてもおかしくはないと思いませんか?」


 何を言っているのだろうか、この人は。

 何か、とても大きな穴を指摘されているような――。


「ではもう少しヒントを――先程から私は『我々』と申し上げているのですが」




 その瞬間、体に電撃が走ったような心地がした。


 冷静に考えれば気付けることだ。

 なぜ廊下に兵士が一人もいなかったのか。

 なぜ無断で大広間に駆け込む私たちを止める声が掛からなかったのか。

 錚々そうそうたる面々が集うこの会場の警備が杜撰であるはずがない。


『我々』――。


「まさか、侵入したのは一人じゃ――」


 刹那、ライがすっと手を挙げると同時、音もなく黒い影がふわりと舞い降りた。

 8、9…10、今まで一体どこに隠れていたのか。

 それまで何もなかったライの背後に一瞬にして現れた彼らは、黒いローブの中に見覚えのない黒い軍服を覗かせた。

 会場に再び悲鳴が響く中、全員が一斉にフードを取る。


「ダグア、さん――」


 微かに声を震わせたギルの視線の先、そこには傷だらけの顔をした無精髭の男がいた。


 そうだ。当然考えられることだ。

 デュガラに潜入していたのがライさんだけのはずがないのに。


 あの頼もしい、ポップ王国軍デュガラ支部局長という肩書きはあくまで仮初めの姿。

 それを脱ぎ捨てた今、彼は脅威の存在へと変貌した。


「では、さすがにそろそろ増援も来そうなので、今日のところはこれで――」

「は?おい!待――」

「待って、ください」


 これだけの数の人がいるとは思えないほど静かな空間に、かすかに震えた声が響く。

 一方的に事を片付け、立ち去ろうとしたライたちを引き留めようと、アンジェリーナは咄嗟に声を上げた。


 一体、何を話せばいいのか。引き留めてどうしようというのか。

 考えが上手くまとまらない。

 早くどうにかしなければいけないのに。


 この状況、どこからどう見ても相手のほうが有利。

 となれば、こちらが下手に駆け引きしたところでもはや意味はない。


「ライさん、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」


 本当は、こんな丁寧な聞き方をする義理はないのだろう。

 しかし、今のアンジェリーナにとっては、これが最良の選択だった。


 浅くなる息を落ち着かせ、凛とした声を響かせる。


「あなた方の要求は?」


 それは、先程ギルがした問答の続きとも言えるものだった。

 そのときには立場の違いを理由にはぐらかされたけれど、ライさんはこうも言っていた。


『まぁもちろん、あなた様であればお伝えする意義はあるかと思いますが――王女様』


 相手方の要求。

 戦争を仕掛けた理由が過去の清算なのだとしても、その先、戦争の先にある大魔連邦の目的とは一体何なのか。

 現時点での最重要事項を聞けるのは、この場で私しかいない。

 あとは、ライさんが答えてくれるかだけど――。


「要求、なるほど」


 アンジェリーナの問いにライは少し思案するように俯き、しかしすぐに顔をこちらに向けた。


ポップ王国そちらが負けを認めること、でしょうか」


 負けを、認めること?


 そのライの発言は、一見整合性があるように思えた。

 戦争の目的といえば、勝利すること。

 こう考えるのが普通だからだ。


 しかし、そのときアンジェリーナの心には、違和感と言えるかも怪しいような、しかし素直には飲み込めないような、そんな棘が突き刺さった。


「王女様」


 その声にはっとすると、ライは穏やかな顔でこちらを見つめていた。


「あなた様とはお話ししたいことがたくさんあります。ですが、ここは少々客が多すぎる。ぜひまたの機会に――今度は然るべき場所で、然るべきときにお会いしましょう」


 そう言うと、ライはするりと体を後ろへ向けた。

 その様子を見て、敵の逃亡を察知した猟犬ギルが思わず足を踏み出す。


「あぁそうそう――」


 獲物に矢を向けるかのごとく、ライが半身を翻し、その杖を突きつける。


「考えられ得るリスクは排除しなければ」


 杖の先、白い光が弾ける。

 刹那、う゛っという呻き声とともに、目の前のギルの体が崩れ落ちた。


「ギルっ!!」


 何が起こったの!?

 さっきの、おじい様を殺したときとはまた違う。

 打ってからギルに当たるまで、魔法の軌道が見えなかった。


 何もできぬまま、何も理解できぬまま、焦りだけが身に溢れていく。


 どうしよう!どうすれば!?

 とにかく、ギルの様子を確認して――あ、違う。

 もしこれが時間稼ぎなのだとしたら、ライさんたちは――!?


 体の芯が凍るような悪寒に、考えるよりも先に体が動いた。

 アンジェリーナが後ろへ跳び跳ねると同時、剣先が服を掠める。


 急ぎ宝剣を取り出し、臨戦態勢を取ったアンジェリーナの目には信じがたい光景が映っていた。


 ゆったりとした足でこちらへ向かってくるギル。

 その手にはギラリと光る剣が握られている。

 一介の近衛兵が王女に刃を向ける。

 これほどわかりやすい裏切り行為はそうないだろう。


 しかし、当のアンジェリーナはというと、そんな考えなど念頭になく――。


 変だ。


 再び剣先をこちらに向けるギルを見て、アンジェリーナはぎゅっと剣を握りしめた。


 さっきの攻撃は明らかに、私に危害を加えようとしたものだった。

 なのにどうしてだろう、一切敵意が感じられない。


 いやそもそも、いつものギルのスピードであれば、避けることなんて到底不可能なはず。

 よく見ると、なんだか足元がふらふらとしておぼつかないような。

 まるでギルではない別人のような――。


 そのとき、俯きがちだったギルの顔が光の下、露わに照らされ、アンジェリーナは息を飲んだ。


 そこにあったのは、普段のキラキラとした瞳などではなく、光を失った虚ろな瞳。

 感情のない目とは裏腹に、口元はかすかに震え、どこか苦しげに見える。


 洗脳、いや、もしかすると――。


「っ――!!」


 沸々とした怒りがこみ上げてくるようだった。

 自然と奥歯を噛み締めてしまうような。


 ギルがこちらに飛び込んでくる。

 苦しげな表情をそのままに。

 アンジェリーナは再び剣を強く握り締めた。


「っごめん、ギル!」


 ギルが到達する間際、アンジェリーナはその大剣を床に突き刺し、その勢いのまま空中に跳び上がった。


 今は身体強化のベルトをしていない。

 でも、時の宝剣を手にしてから10年以上、ずっと鍛錬してきた。


“自分の足で跳べないのなら、剣を使って跳べばいい。”

“剣を地面に突き刺して、その勢いとジャンプ力、そして腕の力でもって体を上に持ち上げればいい。”

 そう、まるでのように。


 アンジェリーナの体はまるで空中を舞うようにギルの頭を跳び越え、見事に後ろへ回り込んだ。


 空中姿勢のまま、剣を引っこ抜く。

 それで――。


「ふんっ!!」

「がはっ――!」


 アンジェリーナは勢いをそのままに、うなじに柄をに叩きつけた。

 呻き声を漏らし、ギルの体が前に倒れ込む。


 相手を無力化させる方法。

 まさか実戦デビューがギルになろうとは。




「王女、様?」


 困惑の声にはっとして気づいた。

 そうだ、さっきライさんはじきに増援が来るだろうって――。


 大広間の入り口、ずらりと並んだ兵士たちの目には、とても一国の姫には似合わない大剣が映っていた。


 ――運命が今、加速する。

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