第225話 嘘
静まり返った部屋。
本を見つめ、立ち尽くす二人。
午前9時20分。
「――これってつまり、ポップ王国は自分から戦争をけしかけたってことだよな?大魔連邦相手に」
覇気のない、震えた声が沈黙を破る。
「今まで全部大魔連邦が悪いってことになっていたけど、本当は全部、ポップ王国が悪いってことだよな?」
「待って――」
「もし本当にそうなら、今まで俺たちが信じてきたものは、全部嘘だったってことだよな?――なぁアンジェリーナ?」
「待って!」
動揺を露わに捲し立てるギルを必死に制し、アンジェリーナは虚空を一点に見つめていた。
ポップ大戦の戦犯はポップ王国自身だった。
ならば、国がこれまで散々語ってきた『大魔連邦を追い払い、戦争に勝利した』という武勇伝はすべて、偽りの話だったということ。
今日まさに行われようとしている戦勝記念日も、薄っぺらい虚像に過ぎないということになる。
信じがたい、信じたくはない。
自分たちの国が、誰もが少なからず誇りを持っているであろう母国が、国民を騙し、世界を掻き回し、挙げ句の果てに閉じ籠っているだなんて。
でも、合点がいくこともある。
なぜ、ポップ王国はこんなにも厳重な鎖国制度を敷いているのか。
敵の侵入を防ぎ、国民を守るため?
いや、それは建前に過ぎない。
国民に真実を知られることを恐れているからだ。
心がざわめき、息が上がる。
お父様は、この国の王は、果たしてこのことを知っているのだろうか。
あの人は無能な王ではあるけれど、別に無知なわけではない。
まぁ知っていてもいなくても結局、大罪人であるという事実は変わらないのだけれど。
そして、もう一つ。
この本を、戦勝記念日当日というタイミングで寄越してきたのは誰なのか。
何の意図を持って、これを私たちに読ませたのか。
一体、私たちに何を求めているのか。
わからない、わからない、だけど――重大な何かを見落としているような気がする。
「アンジェリーナ、そのしおり、何か書いてねぇか?」
「え?」
その言葉に、アンジェリーナは現実に引き戻された。
しおり?
ギルが指さす方向、そこにあったのは、読むときに邪魔だからと指に挟んであった、真っ白なしおり――。
『私からのお土産、気に入ってくださいましたか?
この真実を知ったのちの、あなたの行動を心から楽しみにしております。
どうか歴代の王のように愚かな選択をなさらないよう、祈りを込めて。』
本を開いたときにはなかったはずの文字。
しかし、それは確かに二人の目に映っていた。
そのときだった。
「――か、どなたかいらっしゃいませんか!」
先程まで
アンジェリーナとギルは互いに顔を見合わせ、勢いよく外へと飛び出した。
「あぁ!あなたは近衛兵の!――なんと、王女様もご無事で!!」
え、誰?
血相を変えてこちらに駆け寄ってきたのは、見知らぬ初老の男。
見たところ、役人のような恰好をしている、が――。
「待て」
男とアンジェリーナの距離を離すように、ギルがずいっと前へ出た。
「お前、誰だ」
明らかに敵を見つけたときの目。
普段より数段低く発された声に、思わず顔が引き締まる。
おそらくギルはデュガラの役人全員の顔と名前を覚えている。
そのギルが“知らない人”となれば、警戒するのは当然。
警備員が消え、謎の本が残されていたという状況も状況だ。
「だ、誰って――確かに昨日はお会いしませんでしたが、その前は何日も一緒におりましたよね?街も案内いたしましたし」
「はぁ?何言ってんだ?」
「で、ですから、ほら、王女様も私のこと、わかりますよね?初日にお迎えしたではないですか?」
え?
青白い顔でギルと脈絡のない会話を続ける男の姿に、アンジェリーナは違和感を覚えた。
この人、たぶん嘘をついているわけじゃない。
本当のことを言っているんだ。
でも、じゃあどうして?だって、その行動は全部――。
「第一、お前がやったって言ってるその行為、全部ライさんがやったことだろ!最初に領主の館で出迎えてくれたのも、その後街を案内してくれたのも、資料室を紹介してくれたのも――」
「“ライ”?誰ですか?」
「「え」」
その男の発言に、思わず二人の声が重なる。
「だ、誰って、ライさんはライさんだよ!領主補佐官の!」
「領主補佐官?ありえない!何せ、ここの領主補佐官は私ですから」
え。
「すみません、失礼ながらあなたは一体――」
「?私は、デュガラ領領主補佐官、ルルア=ジェシスです。デュガラ領の領主補佐官は私一人のはずですが、あの、ライさんとは、誰のことでしょうか?」
一瞬にして、目の前が真っ暗になるような感覚。
天地がひっくり返り、今までの何もかもが崩れていくような。
デュガラで過ごした数日間の記憶が頭の中を流れ去り、そして、虚像となって消えていく。
「あ、あの――」
突然固まった二人を前に、ジェシスと名乗った自称領主補佐官が、困惑を露わに目を泳がせている。
今、私たちに残された手掛かりは――。
「――あなた、は、私を、私と会った記憶があるんですよね?」
「っ!もちろんです」
「それは、本当に確かですか?」
「確か、な、はずです――」
あれ?
露骨に目を逸らしたジェシスに、ギルが詰め寄る。
「あん?なんでそこで不安になるんだよ」
「じ、実のところ、そのあたりの記憶がぼやけているような気がして。あの、自分が何をしていたかはわかるのですが、鮮明な映像がよく浮かばないというか。まるで、自分の体験ではないような、そんな感覚がして――」
「あ?」
「ギル!」
今にも胸ぐらを掴みにかかりそうなギルを制し、アンジェリーナは縮こまるジェシスをじっと見つめた。
「ギル、覚えている?昔クリスからもらった、『基礎魔法学』の本」
「?覚えてるけど、それが何なんだよ」
「あの中には、直接は目に見えない魔法っていうのも載っていた。例えば、“催眠魔法”とか」
その言葉に、ギルの目が大きく見開かれた。
そう。今のジェシスの状況。どう考えても記憶がいじられているとしか思えない。
とはいえ、果たして記憶の改ざんが、私たちにされている可能性もあるにはあるのだけど。
でも、それでも謎なのは――ライさんの存在。
「ジェシスさん、あなたの記憶、いつから不明瞭になっているのか、わかりますか?ここ最近で、一番はっきりしている記憶などあれば、教えていただきたいのですが」
「はっきりしている記憶、ですか?急に言われても」
それもそうだ。
困惑するジェシスを前に、アンジェリーナは眉間にしわを寄せた。
ただでさえ記憶がごちゃ混ぜにされているような状況。私だったら、何が何だか――。
「あっそうだ。最近と言えるかはわかりませんが、地震のときのことならはっきり覚えていますよ」
「地震?」
「ほら、5月15日に起こった地震です」
そうだ、思い出した。
三週間ほど前の地震で、デュガラには被害が出たんだった。
結構な大地震だったはず。
「え、ということは、それ以降、三週間ぐらいの記憶は曖昧ってことですか?」
「た、ぶん?」
「おい、はっきりしろよ!」
三週間。それって結構長いよね。
それほど前から、そしてその間ずっと魔法をかけられていたということ。
動機がどうあれ、まずどう考えても、デュガラへの攻撃と見て間違いない。
「すみません、地震の日は何分印象に強く残っていたもので。あの日は本当にばたばたとしておりましたので。特に、観測所の件なんかで」
「観測所?」
その言葉に、いち早く反応したのはギルだった。
「観測所って、一体何なんだ?確かに、地震のとき『観測所は問題なかった』って誰かが話しているのを聞いたけど」
あ。
『観測所?観測所って何?』
『――さぁ?』
そういえば、数日前そんなやり取りをした覚えが。
観測所。確かに気にはなっていた。それが今ここで出てくるだなんて。
「ジェシスさん、観測所というのは?」
「え、えーっと、実は国家機密で――」
「姫様を前に国家機密も何もねぇだろ!王族にも話せないのか?国家機密は!」
ギル、こういう押し問答が上手くなった気がする。
いや、上手くなったところでどうなんだって話ではあるけれど。
ギルの圧にすっかり萎縮した様子のジェシスは、しばらく口元を震わせ、そしてようやくか細い声を発した。
「か、観測所というのは、いわば、関所のようなもので。つ、つまり――ポップ王国と大魔連邦の国境、いわゆるラウンド洋上に存在する、“巨大結界を監視するための施設”のことです」
予想の斜め上の返答に、アンジェリーナは目を見開いた。
観測所が、ポップ王国と大魔連邦の国境壁を監視するための施設?
そんな重要なものだっただなんて――。
「おい」
そのとき、言葉を反芻するかのように、ギルがゆっくりと口を開いた。
「『観測所の件』ってことは、地震のとき、その観測所に何かあったってことなのか?」
その発言に、アンジェリーナは思わず息を飲んだ。
そうだ。『観測所は問題なかった』と話題に上がる時点で、観測所に何かあったということは明白ということ。
アンジェリーナとギルはまん丸の目でジェシスをじっと見つめた。
「た、大したことではないですよ。ただ一瞬、向こうと連絡が取れなくなっただけで。あぁすぐに連絡できましたから!」
「それは、確かな記憶なんですね?」
「え、えぇ!――あれ?」
目を逸らしたジェシスに、アンジェリーナは確信した。
観測所では何もなかった?
それは、嘘だ。
「――嘘?」
脳裏によぎる、数多の情報。
記憶の改ざん。観測所。地震。
三週間前。ラウンド洋。震源。
本はどこから――。
「ねぇ、ギル」
呆然とした脳で、アンジェリーナは呟くようにギルに呼びかけた。
「あの本、どこから来たんだろう」
「え?」
「本の、入手経路」
ランクⅠの禁書。
密輸するのは容易ではない。
大抵、ランクの低い禁書はポーラ経由で仕入れるから、当然、この本もそうだと思っていた、けれど。
「もし、陸路じゃなかったとしたら」
「は?じゃなかったらどこだよ。だって、ポップ王国の周辺国は全部陸続きで――」
「あっち」
そう言って、アンジェリーナはすっと指をさした。
デュガラより東、荒野の方向を。
「あっちって、東側には国は――」
その瞬間、ギルの言葉が切れた。
思い至った仮説は、言わずもがな私と同じものだろう。
三週間前に起こった地震。その震源はラウンド洋。
観測所と連絡が途絶え、おそらくその直後、ジェシスさんが魔法をかけられた。
その後、デュガラを訪問した私たちの前には、領主補佐官を名乗るライさんがいて、そして今日、兵士が姿を消し、あるはずのない禁書が現れた。
「禁書は、海を越えてやって来た――大魔連邦から」
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