第226話 6月1日

「大魔連邦って、ありえないだろ」


 空気が張り詰める中、呆然としたギルの声が響く。


「だって、結界があるんだぞ!?だから誰もラウンド洋を渡れないって話で――」

「あの地震が、巨大結界を壊したことによって、引き起こされたものなのだとしたら?」


 その言葉に、ギルの体が固まる。


「かつて時の宝剣によって築かれた国境壁。だから、それを壊すためには時の宝剣をもう一度使うしかない。今まで私はそう思っていた。でも違った――時の宝玉にはもう一つ、“”がある。そして、“時の星杖”はに存在すると言われている」


 時の星杖。

 それは、時空を操ることができるという魔法の杖。

 それがアデニ大陸――つまり大魔連邦のある大陸にあるという事実。

 大昔に教わった記憶が今、危機を前にして蘇っていた。


「じゃ、じゃあ、大魔連邦は時の宝玉を手に入れて、それで、結界を破ってポップ王国に攻め入ってきてるってことか?でも、そんなこと―――まさか、同時多発殺人も、大魔連邦の仕業なんじゃ!」



「あ、あの」


 緊迫した場に似つかわしくない、おどおどとした声。

 後ろを振り向くと、そこにはすっかり忘れられた“自称”領主補佐官の男がいた。


「あ、そういえば。お前さっき、『どなたかいらっしゃいませんか!』って飛び込んできたけど、何しに来たんだよ」

「なっ!何しにって――」

「ギル、言い方!」


 信用できるかはともかく、この人は外の状況を知っている唯一の人物。

 貴重な情報源を逃すわけにはいかない。

 アンジェリーナはギルを諌めつつ、ジェシスに先を促した。


「ん゛、んん!――実は、領主の館に滞在していた王宮特別警備隊、その全員の姿が今朝から見えず」

「「え」」

「それどころか市街の警備に当たっていた兵すら見当たらず――それでもしやと思い、ここへ来たところ、案の定で」

「つまりギル以外、視察隊の兵士は全員――」


 消えてしまった。忽然と。


 信じがたいその事実に、アンジェリーナは唾を飲み込んだ。


「デュガラの駐在兵のほうに影響は?」

「いえ、そちらの影響は今のところ確認されていません。今は特別警備隊の消息の追跡、および視察隊要人の警護に当たらせています」

「なるほど」


 ということは、いなくなったのは視察隊の兵士だけか。

 もし兵士の失踪が大魔連邦の仕業だったとして、その狙いは一体何なのだろう。

 デュガラ兵を狙わない理由は?

 現状、これだけの情報では埒が明かない。


 今、私がとるべき最善の行動は――。



「やっぱり、一度ちゃんと確認すべきなんじゃないのかな」

「確認?」

「そう。敵の正体を」


 その言葉にギルの目が大きく見開かれた。


「で、でも、どうやって」

「手っ取り早く、を見てみるとか」

「海?――――あ」


 どうやらギルも同じ考えに至ったらしい。

 敵が大魔連邦であると仮定した場合、海にはがなくなっているはず。

 そしてそれを確認するすべは持ち合わせている。


「そうと決まれば――ここじゃ都合が悪いな」

「うん。とりあえず移動を――」


 あ、しまった。忘れるところだった。


 アンジェリーナはまたも置いてきぼりにされている男に目を向けた。


「ジェシスさん。できるだけ早く、デュガラの役人、それから軍支部の名簿をまとめて王宮に送っていただけませんか?できれば私名義で」

「め、名簿ですか?」

「えぇ。この約一週間、私たちと接した人の中に、大魔連邦のスパイが潜り込んでいた可能性があります」

「ス、スパイ!?」


 これでよし。


 自分でも雑すぎるのはわかっているが仕方ない。

 アンジェリーナとギルは一方的にジェシスに仕事を押し付け、その場を後にした。


 ――――――――――


「っていうかそんな、国を越えて海の向こうまで見れるもんなのか?」

「わからない。でもやってみる価値はある」


 ホテルの階段を一気に駆け下り、一階へ。

 異様にがらんとしたエントランスホールを通り抜け、アンジェリーナはラウンジの窓に張り付いた。


 ジェシスさんの言った通り。

 表通りはデュガラの兵士でいっぱい。

 警備兵の捜索に当たっているみたい。

 きっと、領民には詳しいことは伝えられていないのだろうけど、でも、これだけの兵が街を怖い顔で動き回っていれば、何らかの異常事態が発生したことは明白だろう。

 どことなく、街の雰囲気そのものが物々しい気がする。


「こんな中、外には出て行けないよね。できれば、そのほうがやりやすかったけど」


 仕方がない。


「ギル、やっぱりここでやる!表から見えない場所ある?」

「表から見えない――階段の裏とか?」

「採用」


 そう言うと、アンジェリーナは階段の裏側、人目につかない陰にササっと飛び込んだ。


「剣よ――」


 ぎゅっと拳を握ると、その中に銀の大剣が召喚された。


 そういえば、魔法で遠方へ飛ぶのは6年ぶりくらいになるのか。

 あのときも相当急いでいたけど、今回もそれに引けをとらず逼迫ひっぱくした場面。

 失敗はできない。


 目指すはここより東、荒野そして海を越えた遥か彼方。

 目標に体を向け、剣を突き刺す。


「《さざめく薔薇庭アナジティス》」


 水の溢れるデュガラの街――乾いた荒野――荒々しい岩肌の海岸――深く青い海。

 そして。


「――港」


 瞼の裏、そこにあったのは白い船、海岸線一面に広がる船着き場、大小様々な建物、活気に満ちた人々。


 デュガラより東、果てなく広がる荒野は死の世界だ。

 だから、ポップ王国東岸に人はいない。

 いないはずなのに――。


 眼前に映し出される映像は、無情に真実を突きつけていた。


「やっぱり、壁はもう壊れて――」



 ――ドーン、ドーン


 微かに空気を揺らすその音に、アンジェリーナはぱっと目を開けた。


「今の音――」

「花火、だよな?」




「何の花火だ?」


 ぽつりと落とされたその疑問に、二人の体は一瞬にして凍り付いた。


「ギル、時間!」

「――10時ちょうど!」


『10時から大広間にて教会主催の記念式典――』


 つまり、今の花火は戦勝記念日の式典の始まり、輝かしい一日の始まりを宣言するもの!


 ちゃんと考えればわかったはず。

 なぜ敵は今日という日を狙って事を起こしたのか。

 もし狙いが視察隊、あるいは私個人ならば、情報を探るために潜入する期間が必要だったとしても、もっと早くに行動もできたはず。

 第一、視察隊に派遣されている兵士の数は、国内にいる兵の数と比べれば些細なもの。

 その人たちを消したからといって、国への打撃はそこまで強くはない。

 それに、特別警備隊への攻撃が目的なら、回りくどく洗脳までして中に入り込む必要があるのか?

 三週間前、壁を壊してデュガラに潜み、相手は準備を進めていた。


 壁の消失を確認した今、考えられる目的は一つ。



「狙いは、王宮――!」




 ――――――――――


 ハァ、ハァ、ハァ。


 息を切らし、見慣れた廊下を走る。

 廊下の突き当たり、二人が重厚なドアを視界に入れたそのとき、尋常ならざる悲鳴が、怒号が、その先から響いてきた。


 飛び込んだ大広間、アンジェリーナの瞳に映ったのは、きらびやかなシャンデリアが照らし出す、着飾った人々。

 その恐怖の顔。


 中央に立つ、漆黒のローブ。

 その手の先にある杖。

 そこから伸びる眩いまばゆ閃光。


 その光に射抜かれた白髪白髭の老人。

 壇上からその体が落ちる。


 コンマ数秒に満たない時間はまるでスローモーションのように、ゆっくりと過ぎ去った。

 私の体は動くことなく。


 体が動いたのは、悲鳴が耳をつんざいてからだった。




「法皇様!!」


 冷たい床に投げ出された前王、法皇オルビアの姿に、その場にいる誰もが声を上げた。

 涙を流して崩れる者、呆然と立ち尽くす者、血相を変えて駆け寄る者。

 場が、混沌に包まれる。


「――おじい様」


 一歩踏み出し、その体に近づこうとしたとき、後ろにいたギルが即座にアンジェリーナの前で盾となり、後ろ手でこちらを止めた。

 ぎらつく眼光を宿して。


 騒然とする中、警備兵の一人が中央を指した。


「捕らえろっ!!」


 その合図を皮切りに、場にいた兵士、その全員が侵入者に向かって飛びかかった。



「《チェイン》」


 刹那、脳天を刺す、鋭い痛み。

 天を見上げると、そこにはまるでスポットライトのような光が、こちらを照らしていた。


 判断は一瞬。

 左手でギルの服を下に引っ張り、右手に剣を召喚。

 ギルを仰け反らせ、二人の頭上を剣で払う。

 その瞬間、ぼんやりとした光源から、目にも留まらぬ閃光が飛び出し、間一髪、アンジェリーナの剣に当たって跳ね返った。

 それと同時、複数の呻き声が大広間全体に響いた。


「さすが、“時の宝剣の使者”ですね」


 その声のほうに目をり、アンジェリーナとギルは息を飲んだ。


 広間中央に立つ男。

 その周り、無惨に床に散らばる兵士たち。


 全身を鎖に巻かれ、身動き一つすることも、声を上げることすらできずに苦悶の表情を浮かべる彼らに、先程まで騒ぎ立てていた貴族たちは皆、言葉を失っていた。


「私がここへ来たのは他でもない。88年前、あの戦争の決着をつけるため」


 静寂にただ一人、男の声が響く。


「長きに渡る膠着をうち崩した今、すべての罪科を明らかにし、責任を果たしてもらう」


 目深に被ったフードを脱ぎ、男はその灰青色の瞳を不敵に光らせた。


「“大魔連邦連邦軍・特殊行動隊参謀長”ライ=アザリアの名において、ここに、『第二次ポップ大戦』を宣戦布告する――!!」



 ――――――――――


 大魔連邦はポップ王国に対し宣戦布告。

 その同日、法皇オルビアの殺害およびライ=アザリアの王都侵入を受け、ポップ王国が大魔連邦に対し宣戦布告。

 以上をもって、両国は戦争状態に入った。


 魔歴1718年6月1日。

 第二次ポップ大戦、開戦。




(第四章 完)

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