第223話 静寂の朝
6月1日。
その日は雲一つない晴天だった。
見渡す限り、青い空がどこまでも続いていて――。
本当に、そう、広がっていた。
まるで私たちを飲み込んでしまうかのように。
――――――――――
年に一度、人々が心躍らせ目を輝かせる一日。
王都には遠方から多くの人が駆け付け、まだ朝だというのに大通りには人が溢れかえっている。
当然、警備の数も尋常ではなく、剣を携えた軍人があちらこちらに配備されている。
我らがポップ王国の栄光を称える、戦勝記念日。
「10時から大広間にて教会主催の記念式典、12時から王都メインストリートにて記念パレード、16時から大広間にて王宮主催の記念式典――」
「ギル」
気だるげにソファで頬杖をつき、アンジェリーナはにこりと笑った。
「それ、私聞く必要ある?」
「――――いや?」
同じくにやりと笑顔で返し、ギルははぁとため息をついた。
どんなに世間が盛り上がろうとも、明るく晴れ渡ろうとも、ここは王都から遠く離れたデュガラの街。
それも今はホテルに軟禁状態。
一昨日発見した記念誌の件で昨日、結局ギルは一日中捜査本部のほうに拘束されていた。
とりあえずこちらの警備に戻って来れたものの、新たな手掛かりにもなろうという情報に、皆てんやわんやで、とてもではないが、王女の相手をする暇などないのである。
そのため、アンジェリーナは昨日に引き続き部屋ごもりを強いられていたのだった。
「っていうか、ずっと思ってたんだけどさぁ。記念式典二回やるの意味ないと思うんだけど」
「仕方ないでしょう。あの人、反教会派なんだから」
「“あの人”って、お前――」
仮にも父親だろとでも言いたげに、ギルは呆れた目でこちらを見てきた。
「ま、国王様は国教を廃止した張本人だからなぁ。あれ、政教分離、だっけ?」
「そう、正解」
王宮と教会との関係は複雑だ。
なにせ前国王のオルビアが教会側のリーダーなのだから当然だろう。
しかし、政教分離の原則より、王宮は一切教会には加担しない。
オルビアはあくまで王宮とは何の関わりもない個人として、教会の運営に当たっているのだ。
一方でオルビアが王族であるというのもまた変わらぬ事実。
オルビアが主催する今回の記念式典も、開催されるのは城の中。
加えて言えば、オルビアが普段生活している教会も城の中にある。
教会が嫌い、おじい様が嫌い、という割にはこの中途半端さ。
「引退したとはいえ、おじい様が持つ権力は無視できないからね。重鎮の方々は基本、おじい様の肩を持つから」
「“重鎮”ってそんな回りくどく――普通に年寄りって言えばいいんじゃ」
「ギル」
わざわざ回りくどい言い方をした真意までは理解できない。
それがギルである。
制止したこちらをジト目で見つつ頬を膨らませる目の前の男に、アンジェリーナは心の中でため息をついた。
「それにしてもこうも暇だなんて、一年前の俺が知ったらなんだかなぁ。戦勝記念日の式典って、本当に準備も大変、当日の警備も大変!俺からすりゃあ、面倒臭い以外のなにものでもないんだけど――こう、何も関われないっていうのもそれはそれでムズムズするというか」
「まぁ私も一年で一番疲れる日ではあるけれど、一年に一度、私に会えるのを楽しみにしてくれていた人々も居てくれたわけで。その方々には本当に申し訳なく思う」
王都メインストリートで開催される記念パレード。
それは一年の中で唯一、国民が王族全員をその目で直接見ることができる機会。
特に政務を引退した法皇や、まだ政務に関わって日の浅い王女は公に姿を現すことがほとんどないため、王都へやって来る国民はそれを心待ちにしているのだ。
非常事態とはいえ、王都へ戻れないというのはやっぱり心苦しいもの。
どうにかして早く帰りたいんだけれど。
「――来ねぇ」
「え?」
そのとき、表情険しくギルがぽつりと呟いた。
「何?どうしたの?」
「ほら、定時連絡」
「――あぁ、そういえば」
言われてみれば、時計は午前9時5分を指している。
定時連絡は1時間ごとのはずだから、9時にはドアがノックされるはず。
「俺、一回外見てくる」
そう言って、ギルは足早に部屋を飛び出して行った。
「考えすぎじゃないのかな?たかだか5分くらい」
警備の人がうっかりしてて数分遅れるくらいありそうだし、何らかの会議が長引いているという可能性もあるだろうし。
まぁ、今まで一回も、一分たりとも遅れたことがないなんて言うなら、話は別だけど。
「――いや、ギルのことだから、それをすべて記憶した上での行動かも」
――――ビリッ
「!!」
脳天に突き刺さる鋭い視線。
突然の感覚にアンジェリーナはがばっと椅子から立ち上がった。
「今のは――」
「アンジェリーナ!!」
そのとき、玄関からばたばたと大きな足音が迫ってきた。
「いない!」
「え?」
「廊下に立ってた警備兵、みんないなくなってんだよ!!」
え。
その瞬間、サーッと血の気が引く気がした。
「何の連絡もなしに全員警備から離れるだなんて、絶対におかしい。どう考えても、何かあったとしか――本部に確認しに行きたいけど、でも俺がここを離れるわけにはいかないし」
血相を変え、口早に捲し立てるギルを前に、アンジェリーナは事態の重大さを理解した。
王女の安全は国家存亡にも関わる最重要事項。
ゆえに、警備も考えられ得る中で最も厳重にしなければならない。
当然、デュガラでもホテルを貸切る、アンジェリーナが宿泊する階では、各部屋の前に兵を置くなど、錚々たる警備をしていた。
それなのに、その警備の要たる兵士が一人残らずいなくなった。
これが重大事態でなければなんだというのか。
「他の階もそうなの?本部へ連絡は?」
「他はわからねぇ。確認する必要はあるけど。連絡手段――魔導通信機は持ってるけど、さっき掛けたら繋がらなかったんだよな」
通信も繋がらない。
偶然にしてはタイミングが良すぎる。
何らかの妨害を受けているとしか。
何のために。
アンジェリーナの脳内で、様々な思考が行き交っていた。
単純に考えるならば、王女である自分を狙った犯行の可能性が高い。
私とギル、二人を孤立させて奇襲を仕掛ける算段か。
しかし、それだけを考えればいいというわけではない。
先日の同時多発殺人事件との関連性も疑う必要がある。
私が標的なのだとしても、私個人を狙っているのか、あるいはその先に国家転覆を狙っているのか。
その規模を見誤れば、初動の遅れにより、取り返しのつかないことになる可能性も――。
そのとき、うーんという唸り声に、アンジェリーナはふと顔を上げた。
どうやらギルもこちらと同様、思考を巡らせて悩みに耽っているらしい。
だが、アンジェリーナが意識を向けたのは、ギルの頭の中ではなかった。
「ねぇギル、それ、手に何持っているの?」
「え?」
きつく組まれた腕の中、ギルは何かを抱えていた。
「あぁこれ。なんかドアの前に置いてあったんだよ。よくわからないけど」
ほら、とギルが差し出してきたそれからなぜか、アンジェリーナは目を離すことができなかった。
なんだ?なんだろう。どこかで見覚えがあるような気が。
でも、こんなもの城では見たことがないはず。
それなら一体どこで――。
あ。
そのとき、アンジェリーナの脳裏にぼやけた思い出が、しかし確実な記憶として広がった。
今となっては名前も忘れたあの店。
あのときは城を抜け出しては足しげく通っていた。
そこの店主が見せてくれたものの中で、あれが確か、最後の本だった。
「『時の
そういえばそんなタイトルだったなと、そこにあるはずのない、いやあってはならない本を前に、アンジェリーナは心臓の音の高鳴りを感じていた。
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