第222話 領主補佐官・ライ

『王女様だったらこの国、どう統治されますか?』


「えーっと――」


 どういう?


 唐突なそのライの問いに、アンジェリーナは答えかねていた。


 意図がわからない。

 脈略がなさすぎる。

 これは、どう答えるのが正解なのか。


「あ、あの、その――」

「突然こんなこと言われても、困ってしまいますよね?」


 その言葉に続き、間髪入れずにライは割って入ってきた。


「私もこの国のまつりごとを担う一員、その難しさの一片は知っているつもりです。だからこそ、お聞きしたいのです。国という巨大な組織の頭として、あなた様はどう指揮を振るうおつもりなのか」

「――私は、この国の王ではありませんよ?」

「例えの話です。それに、その可能性がゼロというわけでもないでしょう?」


 あくまでふふっと爽やかな笑みを浮かべ、ライは続けた。


「ポップ王国は建国以来、男性王族が王の座を継いでいますが、法律上、女性が王となってはならないといった文言は存在しないはずです」

「そう、ですが――」


 その、法律上には見えない、伝統の壁が一番問題なのだが。


 ライさんの言う通り、現在のポップ王国には王位継承は男系に限るといった法律は存在しない。

 しかし、慣習というのは時によって法よりも恐ろしい効力を発することがある。

 事実、歴代の王たちは皆男だし、そもそも男尊女卑の風潮も強い。

 そんな世で、女王などと発言するには、かなりの勇気がいるはずなのだが。


 そうあっけらかんに言われると、対応に困る。

 とはいえ、ライさんが冗談を言うような人とは思えないし――。


「『統治する』と一言では表されますが、実際、その言葉の裏には複雑に絡み合った思いが存在します」


 かすかな躊躇いを胸中に秘めつつ、アンジェリーナは静かに語り始めた。


「国の発展を望み、明るい未来へ突き進んで行くのか。あるいは今ある大小様々な問題と向き合い、その解決のために奔走するのか。あるいは過去の罪を贖うあがなうため、真実を追い求めるのか――私は、そのすべてを諦めたくはないんです」


 覚悟に満ちた強い眼差しをライへと向ける。


「今まで私は、平和な国を夢見てきました。キラキラとした未来を、現実にすることを。しかし、事はそう簡単ではない。その実現のためには幾重にも連なる壁がある。向き合わなくてはならない現実がある。胸が苦しくなるようなことだって数えきれないほど。そして今回の視察で私は、『人は前だけを見て歩いてはいけない』のだと学びました」


 脳裏によぎるはヤルパの情景。

 巨大なクレーターと嫌悪溢れる眼光。


「前へ進むためには、時には後ろを振り返らなくてはならない。光だけを見つめるのではなく、暗い影から目を背けてはならない。未来も今も過去もすべてこの手に握り締めて進んで行く――そんな女王に私はなりたい、と思っています」


 つい、思いの丈をありのままに述べてしまったけれど――“女王になりたいと思っている”だなんて、私が本気で女王を目指していると言っているようなもの!

 いや、実際にそうなりたいと思っているのは事実なんだけど。

 それはまだ、簡単に人には公言できないこと。

 無責任に望みを語ったとて、ただ混乱を生むだけ――。


「――なるほど」


 一言。

 そう一言だけ呟き、ライは先程と何ら変わらぬ爽やかな笑みをこちらに向けてきた。


「王女様は本当にこの国のことを想ってらっしゃるのですね。そして想うだけではなく、実際にその手で守ろうともしている――素晴らしいお考えです」


 そう言うと、ライはふっと視線を窓のほうへ向けた。


「きっと、あなた様ならば、この国だけではない、世界をも変える力をお持ちなのでしょう。この国の過去を、今を、未来を見通しているように、水平線の彼方、その先までをも見通して」

「水平線?」


 アンジェリーナが首を傾げたそのとき、コンコンコンと表のドアが叩かれた。


「ライ様、そろそろ」

「――あぁそうですね」


 迎えの兵士に応じると、ライはすっとその場に立ち上がった。


「アンジェリーナ様、最後にもう一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「はい、なんでしょう?」


 アンジェリーナは、見送りのため上げかけていた腰を伸ばし、ライと向かい合った。


「“どうしてそこまでして国を守ろうと必死になれるのですか?”」



「――え」


 その刹那、もとより静かだった部屋が、完全に無音になった。


「いえ、深い意味はないんです。ただ、それほどまでに王女様を突き動かす原動力は一体何なのかと、少し気になったものですから――興味本位で変な質問をしてしまいましたね、申し訳ございません」

「え?あ、いえ――」


 このとき、ライさんが何を思っていたのか、それを理解することはできない。

 ただ、私は――。



「王女様」


 玄関扉を開け、くるりと半身を翻し、ライはにこりと笑った。


「それでは、また」


 穏やかなライの声の余韻を残して、ドアは静かに閉ざされた。



 ――『“どうしてそこまでして国を守ろうと必死になれるのですか?”』


 ただ、私はそのとき、その質問の答えを導くことができなかった。

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