第218話 “静電気”

『郷土資料室』と書かれてその部屋は、ホテルの中にあるだけあって、観光客向けに作られているのだろう。

 壁には、街の歴史について書かれたと思しきポスターがいくつか貼られている――が、その存在感は皆無に等しい。

 というのも、目を引くのは圧倒的な本と本棚の数。

 完全にポスターはその中に埋もれてしまっており、もはや見てもらうという意思すら感じない。


 これは、一体?


「ご覧いただいた通りただの倉庫と化しているのですが。元々は、歴史的建造物であるこのホテルに、デュガラの歴史を綴った史料を展示しようという試みで作られた部屋なんです。しかし、20年前に新館ができてからというもの、その他のリゾート観光客を狙った施設がたくさんできまして。立地的にも旧館の最奥と、なかなか行きにくいことから、自然と客足が遠のき――そうなってしまえば、展示室という役割が自然消滅するのも必然。代わりに保管庫としての役割のほうが強くなり、このように本棚まみれの空間ができあがったというわけです」


 目の前の光景に釘付けになっているアンジェリーナに、ライの流暢な説明が飛んでくる。


「とはいえ、ここならではの魅力もあるんですよ?規模で言えば王都の国立図書館やヤルパの中央図書館には遠く及びませんが、ここにあるものはどれもデュガラに関する郷土資料。たとえ王都でも手に入らない代物ばかりです。王女様は本がお好きとお聞きしたものですから、少しでも暇つぶしになれば、と。興味のある本がおありでしたら、お部屋に持ちかえっていただいて構いませんし、こちらでご覧になることも一応可能です」


 そう言うと、ライは窓際のほうを指さした。

 確かに、よく見ると申し訳程度に机と椅子が置かれている。

 それもまた、本棚に埋もれていることには変わりないのだが。


 しかし、そんなことはもはや問題ではない。

 アンジェリーナの心はこの部屋の扉を開いたときからすでに決まっていた。


「ぜひ、ここで見させてください!」


 わざわざ部屋に持ちかえって見るだなんて、そんなまどろっこしいことできるわけがない!


 本棚のもとへ駆け寄りたい気持ちをぐっと堪え、アンジェリーナは元気よく答えた。


 ――――――――――


「『デュガラ地質史』、『オアシス都市建設のすすめ』――」


 棚にぎゅうぎゅうに詰められた本の背表紙をなぞりながら、アンジェリーナは本の森を歩いていた。


 なるほど。確かにライさんの言う通り、デュガラに関する資料が盛りだくさん。

 こういう地域特化の本って、王宮の書庫にもなかなか置いてないんだよね。

 かなり古い冊子なんかもあるようだし。


 本棚にはきちんと製本された商業本の他にも、完全に業務用のファイルからぼろぼろになった本とも言えないような紙の束まで。

 とても一般公開していいとは思えない資料ばかりなんだけど、これ、本当にいいの?



「――ダ、ダグアさん、ダグアさん」


 ん?このおどおどした声は――。


 振り返ると、そこには案の定ギルと――そしてダグアの姿があった。

 見ると、ギルが何やらこそこそとダグアに話しかけている。


「ちょ、ちょ、ちょっと――」


 ギルはそう小声で呼びかけると、ダグアを連れ立ち誰もいない部屋の隅へと捌けていった。


 なんだ?あれ。


 明らかに挙動不審なギルの様子にアンジェリーナは首を傾げた。


 そういえばギル、さっきから様子がおかしかったような気がする。

 朝の時点ではそんなことなかったはずなんだけど――。


『どうかした?』

『んー?いや、なんでもねぇよ。悪い、ちょっとぼーっとしてた』

『あ、そう』


 ――!そうか、あのとき!窓の外を見てから挙動が落ち着かなくなって――。


 でも原因は?


「どうかしましたか?」

「!?」


 背後から突然話しかけられ、アンジェリーナはビクッとして後ろを振り向いた。


「すみません。驚かせてしまいましたか?」

「あっ――い、いえ、大丈夫です」


 本棚とは真逆の方向をぼーっと眺めていたアンジェリーナを、不審に思ったのだろう。

 申し訳なさそうにこちらを見つめるライに、アンジェリーナは今の己の状況を思い出した。


 いけない。たとえ大好きな本を目の当たりにしているとはいえ、私がここにいるのは視察のため。

 今は公務の真っ最中。


「あ、あの」

「はい?」


“自分の近衛兵が窓の外に何を見つけたのか気になっている”だなんて言えるはずもなく。

 アンジェリーナはきまりの悪さを誤魔化そうと、咄嗟にライに話しかけた。


「ダグアさんってここに来ても大丈夫なんでしょうか?――あ、あー、お偉い方だとお聞きしたものですから」


 嘘は言っていない。


 アンジェリーナの問いかけに、ライはあー、と声を漏らした。


「確かに、ダグアはここの支局長ではありますが、実はここの支部で一番の腕利きでもありまして。今は最重要任務に付けています。あぁもちろん、個別通信機は持たせてありますので、現場へはいつでも指示ができる状態です。なのでどうかご心配なく」

「最重要任務――」

「あなた様のお命は、国家の存亡に関わるものですから」


 爽やかな笑みとともに放たれたその言葉は、表情とは裏腹にどっしりとした重みを持って、アンジェリーナにのしかかった。


 最重要任務――“王女わたしを守ること”。



「――こんなにたくさん本があると、どれから手を付けていいのかわからないですね?」


 また新たな気まずさに苛まれ、アンジェリーナは無理やり話題を転換した。


「そうですね。私もここのすべてを把握できているわけではないのですが――あー例えば」


 そう言うと、ライは一冊の古びたファイルを手に取った。


「これは、このホテルの建設計画なんですが――」

「え!?」


 さらりと放たれたその言葉に、アンジェリーナは驚いてライの手元を覗き込んだ。

 そこには確かにこのホテルの設計図のようなものが描かれている。


「ここ、デュガラ第一ホテル旧館はポップ王国では珍しい木造建築でして。なんでも、まだ鎖国が行われていない、要はチュナ王国の時代に欧州からの移民によって伝えられた技術なのだとか」

「欧州――!」


 ヨーロッパとも呼ばれるその地域は、ユーゴン大陸の北西、突き出した亜大陸に存在する。

 ポップ王国の面積10分の1にも満たないような小国の集まりであるにもかかわらず、その歴史は深く、紀元前から常に世界を切り開いてきた先進国の群集帯。

 その影響力は鎖国であるポップ王国にも伝わるところとなっていた。


「確か、このホテルの歴史について書かれた本も出版されていたはずなんですが――あれ?この辺にあったような」

「あ!これじゃないですかね?」

「あぁ。ありがとうございま――」


 そうやって同時に、二人は本に手を伸ばした。

 そしてそのとき――手が触れ合ったのだ。


 バチッ


 指先で、小さな閃光が弾けたよう。

 しかし、それは即座に痛みと変わり、まるで電流が走り抜けるかのように、一瞬にして腕を伝い、全身を駆け巡った。


「っ!!??」


 声にならない叫びを上げ、アンジェリーナは思わず尻もちをついた。


 一体、今のは――!?


「アンジェリーナ!?」


 その声にぱっと目線を後ろへずらすと、焦りを露わにギルが駆け寄ってきていた。


「大丈夫か!?」

「う、うん」


 差し出された手を取り、その場に立ち上がる。

 まだビリビリする手をグーパーさせながら、アンジェリーナは呆然とその指先を見つめた。


 触れ合った瞬間、何かが起こった。

 何か、重大な――。


「すみません。静電気、ですかね」


 しかし、派手に後ろへ転げたアンジェリーナと裏腹に、ライは先程と表情一つ変えず、そこに佇んでいた。

 手が痺れている様子も見受けられず、目的の本を難なくするっと取り出す。


「この辺りはかなり乾燥していますから」


 静電気?いや、違う。

 これはもっと内なる何か。


 平然と本を渡してきたライを上目で見ながら、アンジェリーナはぐっと唇を結んだ。


 ライさんに電気は走らなかったの?

 でも、静電気と言っている手前、何らかの衝撃はあったはず。

 私が大げさなだけ?


 突然の出来事に考えもまとまらぬまま、アンジェリーナはうわの空で本を受け取った。

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