第214話 束の間の一幕

 なんて締まりのない日々なのだろう。


 窓辺に腰かけ外を眺め、アンジェリーナはふぅと息をついた。


 デュガラにおける領主殺害、および王国全土を巻き込んだ同時多発殺人事件の衝撃から3日。

 事件発生翌日こそ、ばたばたと慌ただしく過ごしていたものの、その後進展はなし。

 犯人の素性・行方がわからない以上、王女を外に出すことなどできるはずもなく、アンジェリーナはここ3日間、部屋の外に一歩も出ることができず、軟禁状態となっていた。


 正直言って結構辛い。


 今までも、お仕置きで何日間か部屋に閉じ込められていたことはあったけれど、それはあくまで自分の部屋でだったし、普通に本とかその他もろもろ暇を潰せるものはあったわけで。

 今回みたいに見知らぬの土地の、何もないホテルの一室で過ごすのは苦痛でしかない。


 しかも、状況が状況。

 国家レベルの危機に、どうしてこんなところで停滞していなければならないのか。

 たとえ私にできることはないのだとしても、何も知らずにいていいはずがないのに。


 とはいえ、私のこの葛藤も、あの人の苦しみに比べたら安いものなのだろう。


 そう、今一番辛いのは――。


 アンジェリーナはくるっと体をねじり、その視線を後ろに向けた。


 ソファに座り、脇に剣を抱えながら、うつらうつらとしている男。

 少し離れたところからでもわかる、くっきりとした濃い隈。


 アンジェリーナははぁとため息をつき、立ち上がった。


「ギル、ちょっと寝たら?」

「――うん?」


 ほんのりと薄目を開け、ギルは起きているのだか寝ているのかわからないような声を出した。


「だから――今、寝てんだろ?」

「そうじゃなくて、ちゃんと横になって――」


 だが返ってきたのは、くー、くー、という小さな寝息の音。

 あろうことか、話の途中で寝てしまったようだ。


 はぁ、本当、見ていてかわいそうになる。


 再びため息をつき、アンジェリーナは音を立てぬよう、静かに向かいのソファに腰を下ろした。


 犯人不明、行方知れず。

 こんな状態で王女を一人にしておくわけにはいかない。

 それならば、専属近衛兵に24時間片時も離れず警護してもらうのが最適。

 そんなこんなでギルは、今までの通常警護に加え、アンジェリーナが就寝中の夜間も、での警護にあたるよう命じられたのだった。


 同室といっても、常に一緒の部屋にいるというわけではない。

 当然寝るときはアンジェリーナはベッドルームに向かい、一方のギルはリビングのソファで仮眠を取る。

 そう、あくまでも仮眠を。


 王女様の周辺に異常はないかどうか、定期連絡は1時間ごとに行われる。

 つまりギルはここ3日間、1時間ごとに起こされるという、明らかに量も質も悪い睡眠を強制されているのだった。


 そりゃあ寝不足にもなるよ。


 そんなことを考えながら頬杖をついて無防備な寝顔を眺めていた、そのときだった。

 ばちっと突然、ギルの目が開いた。

 それも、瞼の奥からぎらついた眼差しが覗き――。


 ドンドンドン。


 その直後、ドアが鳴った。


 その音に剣を握り直すと、鋭い眼光をそのままに、ギルは玄関へと消えていった。


 びっくりした。そうか。定期連絡の時間か。


 ほっと胸を撫でおろし、ソファに体を沈める。


 あのギルの顔、思わずぎょっとしてしまった。

 刹那、部屋の空気が緊張感に包まれたような気がして。


 なんだろう。あの感じ、あの目。

 剣術稽古のときのギラギラとした目とはまた違った、もう少し静かで冷ややかな目。

 確かな殺気を感じさせるような、そんな感じがした。


「それにしても、まさかノックされる前に気配に気づくだなんて。それまで普通に寝てたよね?殺気が出てたわけでもあるまいし――」

「アンジェリーナ」


 その声に顔を向けると、相互連絡を終え、ギルが戻ってきていた。

 先程の緊張感ある表情はすっかり引っ込み、いつもの彼に戻っている。


「今日の夜、警備会議に出てくるから」

「おっ!許可出たの!?」

「一応な?――ただ24時間警備は現状維持だから、俺がいない間、表の警備兵に中に入ってもらうけど大丈夫だよな?」

「うん、いいよ」


 よし、これは大きな前進。

 ここ3日間、全然入ってこなかった情報がやっと手に入る。


 モヤモヤしていたぐずついていた心に、ようやく晴れ間が見えたような気がした。


「ん、じゃあ俺、またちょっと目閉じてるから。なんかあったら言って」

「うん――ねぇギル」

「ん?」

「――――ありがとうね」


 数秒の逡巡の後、アンジェリーナはそう言って静かに微笑んだ。

 なんか、ここで謝罪は違うような気がしたから。


「なんだよ、いきなりそんなこと。あれか?俺がやつれて見えるから気にしてるのか?――いいんだよこんなもん!俺を誰だと思ってるんだ?このくらい、慣れてる慣れてる!」


 対するギルもいつも通り軽口を叩いてみせると、そのまま何事もなかったかのようにすぅっと眠りについてしまった。


“慣れてる”ねぇ?


 その穏やかな寝顔を見つつ、アンジェリーナは再び思案に耽っていた。


 約6年のブランクがあるとはいえ、ギルも戦争経験者。

 前線での活躍はなかったにしろ、後方支援でもなんでも戦地にいたことは間違いない。

 戦場での生活など、本で見たりジュダやギルに聞いたりした以外には知らない世界ではあるけれど、それが想像を絶するものであることは理解しているつもりだ。


 だからたぶん、ギルの言葉は虚言などではなく、本当に、慣れているのだろう。


 いつどこに敵が現れるかもわからない戦場。

 その中でも英気を養い戦うためには睡眠を取らなければならない。

 たとえどんな環境でも。

 きっと、今回みたいに3日間ろくに寝られないことも、一週間寝られないこともざらにあったのだろう。


 座ったままでも、まとまった睡眠が取れなくとも、寝れるときに寝る。

 そうしてまた戦火に身を投じる。

 この繰り返しを、彼はどれほど続けたのだろうか。


「本当、ありがたいことだよ」


 王女付き近衛兵として、責務を果たす。

 職務を放棄しかけたことの責任を取る。


 ギルの中で渦巻く感情が一体どれほどのものか、私には想像することしかできないけれど、でも――。


『そばで、お前を守るから』


 彼が立てたその誓いを、私は信じよう。

 そして、私は今、私のやるべきことを――。


 束の間の緩やかなひと時に、アンジェリーナは決意を新たにした。

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