第213話 ヤルパの事件
時を戻し、アンジェリーナとギルが事件の推理をしていたその前日。
5月25日。午後1時過ぎ。
ポップ王国ヤルパ領、モンドリオール邸。
二階執務室。
赤く染まった室内に、無造作に置かれるは血塗られた二つの死体。
その周りを軍人やら役人やらがうようよと取り囲んでいる。
「これはまた、凄まじい光景で」
入り口に佇み、クリスはその様を静かに見下ろしていた。
「ミンツァー大臣!?」
とここで、血生臭い空間に浮くこちらの存在に気づいたのだろう。
そのとき、血相を変えて一人の役人がクリスに駆け寄ってきた。
「どうしてこのような場所に。こんなところ、大臣のようなお方にお見せして良いはずは――」
「問題ありません。軍部支局長には許可をもらいましたから。それにほら、現場保存もばっちりです」
役人の心配をよそに、クリスは手袋をはめた手とカバーを付けた足を見せた。
「遺体、近くで見せてもらっても構いませんか?あぁ決して触りませんので」
「はあ」
周りにどう思われているかはさておき、呆れた様子の役人を置き去りに、クリスはすたすたと前へ歩み出、遺体のそばにしゃがんだ。
バドラス領主補佐官と、モンドリオール7世。
背中に一刺し、腹に一刺し。
全身血まみれでその他外傷の有無は不明。
両者とも体の下に大きな血だまりができている。
「なるほど?」
ふぅと息をつき、クリスはその場に立ち上がった。
見回す限り血の海。
床も壁も机も何もかも――。
「第一発見者の方は今?」
「こちらの客間にて待機してもらっています」
「なるほど」
先程の役人にそう一言尋ねると、クリスは普段と何ら変わらぬ無表情で、部屋の出口へと足を進めた。
「会えますか?」
「あぁ――おそらくもう、軍による聞き取りは終わったと思うので」
「そうですか。ありがとうございます」
すれ違いざまそう言うと、クリスは熱心に死体の検分をする軍人・役人たちを置いて、そのまま部屋を後にした。
客間は一階、階段を下りて右手の廊下をまっすぐ行った突き当たり。
手袋と靴カバーを外し、その場所へと向かう。
「さて、どう出ますかね?」
――――――――――
「失礼します」
ドアを開け、中に入るとそこには、ソファに座る一人の男の姿があった。
「今回はまた、災難でしたね――――ザグルヴさん」
丸眼鏡の奥、怯えた目が光る。
ナギ=ザグルヴ。
ヤルパ領領主補佐官ビエロ=バドラスが秘書。
向かいのソファに着き、クリスはまっすぐザグルヴを見つめた。
酷い顔。
冷静沈着な普段の様子からはまるでかけ離れた姿。
「犯人に遭遇したそうですね。その左手の傷、犯人に切られたのだとか」
抑揚のないクリスの言葉に、ザグルヴはビクッと肩を揺らし、震える手で左腕の包帯を触った。
見たところ、報告にあったとおり、外傷は左腕の裂傷だけ。
多量の発汗に、包帯にも血が滲んでいる。
「遭遇されたときの状況など、教えていただけませんか?わかる範囲で構いませんので」
「へっ?あ、はい」
びっくりしたようにはっと顔を上げると、ザグルヴはか細い声でぽつぽつと話し始めた。
「よ、用事があってここに来たんです。あの、あ、バドラス様に呼ばれて。そしたら、いきなり知らない誰かが走り込んできて、それで、ばったり出会いざまに腕を切られて――そこから先はよくわかりません。気がついたら、わ、私は、廊下の壁にもたれかかっていて。それからはっと気がついて執務室に。それで、その――」
「殺害されていたバドラス様と前国王を発見したと」
「は、はい」
ぶるぶると全身が震えている。
まるで子供のよう。
右手は――腰を押さえている。
「犯人の特徴などは?覚えていらっしゃいますか?」
「えっ、あぁ、実は気が動転していてよく覚えていないんです。た、たぶん黒い?服を着ていたような気が――」
「なるほど?」
ザグルヴの話に耳を傾けるその一方、クリスの視線はその右手に注がれていた。
さっきからしきりに腰をさすっている。
これは――。
「腰、痛めたんですか?」
「え!?」
唐突なその言葉に、ザグルヴは動揺を露わに固まった。
「いや、先程からしきりに触られていたので。犯人に腕を切られて突き飛ばされた際に、一緒に痛めたのではないかと思いまして」
「――あ、あぁたぶんそうです。でも、そこまで大したことじゃないので――はい、大丈夫です」
目を泳がせ、決して合わせようとしない。
「ザグルヴさん、もう一つお聞きしたいのですが――」
「――失礼」
そのときだった。
中の返事を待たずして、一人の男が部屋に入ってきた。
後ろにずらっと従者を連れて。
「あぁミンツァー大臣、いらしていたのですね?わざわざこんな辺鄙なところまで」
ヤルパ領領主、トリス=フィンチ。
「第一発見者への聞き込みはもうすでに済んだと聞いていたのですが」
「すみません。王宮への報告のために、直接本人から話を聞きたかったものですから」
「なるほど。ですが、この先のことは我々地元の者に任せていただいて。詳細についてはきちんと報告を上げさせていただきます。大臣はどうぞ安心して王宮へお戻りになってください――あぁそうだ。一応今はまだ領内で犯人の捜索が行われていますので、出立は明日のほうがよろしいかと」
こちらを見下ろす冷たい目。
仰々しい言い方。
だがそれもどこかぎこちない。
微妙に瞳が揺れているし、本音を隠しきれていないし。
「では、そうさせていただきます」
クリスはそう一言トリスに放つと、すっと席を立った。
「あ、そうだ。ザグルヴさん」
去り際、クリスはくるりと後ろを振り返った。
ビクッと体を跳ねさせ、ザグルヴが顔を上げる。
「どうかご安静に。こういうときはじっとしているのが何よりです。
そのとき、怯えた瞳の奥に感情のない顔が映った。
――――――――――
屋敷を出て、市街地へ戻る森の道。
クリスが軽く手を挙げると、どこからともなくすっと後ろに男が付いた。
「来朝、夜明けとともに王都へ直行します。準備を」
「承知いたしました――バスタコには寄られますか?」
「いえ」
まっすぐ前を見据え、クリスの眼が光る。
「最速最短で行きましょう。火種一つでも、今日みたいな乾燥した日にはよく燃え広がるものです」
供一人を連れ立ち、クリスは単身王都へ向かうのであった。
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