第207話 嵐のような男
ひとたび砦の中へ足を踏み入れれば、外の物々しい雰囲気とは一変、そこには領主の館らしい華やかな世界が広がっていた。
砦ということもあって、大きい窓自体は少ないようだが、天井に取り付けられたランプが、それを感じさせないほどの明るさを演出している。
冷たい石造りの床にもまんべんなくカーペットが敷かれ、壁にも至るところに装飾品が取り付けられ――。
でもなんだか。
館の中をざっと眺めていたところ、アンジェリーナはある違和感を覚えていた。
これはちょっと――。
「派手すぎますよね?」
「え」
その言葉にドキッとして、アンジェリーナは隣を振り向いた。
見ると、ライが微笑んでこちらを見ている。
「領地の運営が大幅、領主に任されているのはご存じですか?おおよそ王宮の方針はあれど、細かいお金の使い方などは領主次第なんです。ですので、この館も――」
「あ、なるほど」
つまり、この豪華な内装は領主の独断というわけか。
「私はここに来て間もないのですが、領民からの声もなかなか否定的で。“もっと他のことに金を回せ”とかなんとか。まぁ実際、砦としての本来の役目を果たせていないような気もしますしね」
それは確かに。
ライの言葉に、アンジェリーナは内心頷いた。
デュガラは東の砦。そうであるはずなのに、肝心の要である領主の館がこの様では、本末転倒というもの。
もしかしたら、ここの領主、私の苦手なタイプの人間かも。
「では、応接間へ向かいましょうか」
「はい、お願いします」
応接間へと向かう途中、アンジェリーナは先導するライを後ろからじっと見つめていた。
それにしても、ライさん、結構表沙汰にしたくないようなことも、赤裸々に語ってくれるなぁ。
民の声もきちんと聴いているみたいだし、そういう否定的な考えを、自分の言葉で口にできる人は国家運営のために必要不可欠。
そして、こういう人が、将来活躍できる国を創って行くのが、私の役目――。
「どうぞ、こちらです」
そう言って、ライは応接間のドアを開けた。
「あ、いらっしゃった。お邪魔して誠に申し訳ございません、姫様」
聞き覚えがあるその声に、アンジェリーナはぴたりと動きを止めた。
あの、もったいつけたような仰々しい口調、顔を見なくても誰だかわかる。でも、なんで?
意味がわからなかった。
なぜ、その方がここにいるのか。
ちらりとライを見上げてみるも、どうやら彼も状況をよく理解できていないらしい。
アンジェリーナと同じように目を見開くその姿からは、嘘は微塵も感じられなかった。
「遠路よりはるばる東の果て、デュガラへようこそ」
「リブス様、どうして――」
お得意の感じの良い笑顔を向け、宰相ワグナー=リブスがそこに佇んでいた。
「いやぁ、本当にすみません。突然押しかけるような形となってしまい」
急遽追加で用意された紅茶を啜りながら、リブスは平然と向かいの席に座っていた。
このアンジェリーナとリブスを隔てる長テーブルも、これまた領主の趣味だろう。客人の応接として用いるには、些か豪華すぎるような気がする。
まぁ、今はいいんだ。そんなこと。
「えっと、宰相殿、会議のほうは――」
「つい先程終わりましてね。ちょうど王女様がご到着になったと耳に挟んだものですから、カヤナカ王家に仕える者、顔を出さねばなるまいと思いまして」
露骨に困惑するライを軽くあしらうようにして、リブスは答えた。
これは、聞いていいのかわからないけれど――いや、この流れじゃあ、聞いても別におかしくはないだろう。
「リブス様はどうしてこちらに?」
アンジェリーナはごほんと一つ咳ばらいをし、改めてそう尋ねた。
クリスの携行も相当驚いたけれど、今回はその衝撃を優に超している。
宰相は普通の役人、および大臣と比べると、自由がかなり制限されているはず。
これが公務ならばそれ相応の手続きが必要なはずだし、第一私たちに知らされていないというのがどうも気になってしまう。
しかし、アンジェリーナの懸念に反して、リブスは何のためらいもなしに口を開いた。
「先日の地震の件で、被害や復興の状況を確認に」
「地震――あぁ、二週間ほど前の」
アンジェリーナがヤルパに到着したちょうどその日、ポップ王国全土に及ぶ地震が発生した。
調査の結果、震源はポップ王国東岸よりさらに沖、ラウンド洋だと推定。
被害こそ少なかったものの、王都でも大きな縦揺れが一度確認され、人々を不安に陥れた。
「そういえば、デュガラには被害が出ていたのだとか」
「えぇ。幸い人的被害はほぼ無かったのですが、建物の倒壊やインフラの被害が少々ありまして。本当は、地震発生後すぐに足を運びたかったのですが、なかなか日程が合わず――どうにかこうにかようやく昨日、辿り着いたのです。強引に予定をねじ込んだ形となり、実はもう明日発つのですよ」
「なるほど」
それで、リブス様は急遽ここに来たわけか。
それなら、こちらに連絡がなかったのも頷ける。
まぁそれにしても、いきなり応接間に陣取っていたのは堂々としすぎている気はするけれど。
そのとき、タッタッタッと外の廊下を走る音が聞こえてきた。
次の瞬間、勢いよくドアが開かれ、一人の役人が駆け込んできた。
「あっ、リブス宰相!こんなところにいらしたのですか!?領主様が今ならお会いできるとおっしゃって――」
そこまで口早に言い捨てて、役人は、そのときようやく、リブスの向かいに座る、姫の存在に気づいたのだろう。
アンジェリーナを見るや否や、その男の顔がかわいそうなくらい蒼白になっていくのが見て取れた。
「さっ、呼ばれましたし、私はここでお暇いたしましょう。姫様、本当にご迷惑をおかけしました――ライさんも」
そう一言言い放つと、青い顔をした役人を引き連れ、リブスはすたすたとその場を後にした。
嵐が去ったとはまさにこのこと。
あまりの出来事に、アンジェリーナ、ギル、そしてライ、およびこの場にいた皆は呆然とリブスの消えたドアを見つめていた。
「――気を取り直して、アンジェリーナ様、これから回りたいところなどありますでしょうか?なければ領内を歩いて回るのはどうでしょう。もちろん、馬車の用意もできますが――」
そのライの声に、アンジェリーナははっと我に返った。
「あ、あ、はい!歩き――徒歩で構いません。ぜひ街を見てみたいです」
危ない危ない。すっかりリブス様のペースに飲み込まれていた。
今は、視察に集中しないといけないのに。
「それでは早速行きましょうか」
「はい」
こうしてバタバタとしたうちに、デュガラ訪問一日目は幕を開けたのであった。
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