第203話 正義と苛立ち

『ザグルヴさん、私のこと嫌いですよね』


 突然放たれたアンジェリーナの衝撃発言。

 その裏で、ギルは――。


 な、何言ってんだ!?この人!!


 心底驚いていた。


 え、えぇー!?

 どういうつもりー!?

 ほら、当のザグルヴさんだって、目まん丸にしてるし。


「ま、まずいって!アンジェリーナ、そんなこと言ったりしたら――」


 しかし、小声のギルの訴えを気にする様子もなく、アンジェリーナはザグルヴをまっすぐに見つめていた。


「ずっと気になっていたんです。初めて会ったときから、ザグルヴさんが私に対して、嫌悪の眼差しを向けているような気がして。それで、その真意を知りたくて――不躾なことは重々承知です。ですが、あなたの本当の考えが聞きたいんです」


 一切臆することなく、自分の意見を通すその姿は、いつ見ても心が震える。

 毅然としたその態度に、ザグルヴも返事をする他ないと悟ったのだろう。

 ザグルヴは目を泳がせながら、必死に返答を考え込んでいた。


「それは――」


 そして、ザグルヴはすっと頭を下げた。


「申し訳ございませんでした」


 答えは実にシンプル。

 特に何の駆け引きもなく、ザグルヴは意外にも素直に謝罪した。


「不快に思わせてしまい、何とお詫びしてよいものか。王女様に対し、そのような態度、私の未熟さゆえに他なりません」


 思わずぽかんと口を開けるアンジェリーナとギル。

 先程見せた、敵意むき出しの表情との差に、なんだか拍子抜けして――いや待て。


「あ、謝って済む問題じゃねぇだろ!?」


 ギルは危ない危ないと、思い出したかのようにそう叫んだ。


「ちょっとギル」

「だって――」

「一つだけ、訂正させていただいてもよろしいでしょうか?」


 そのとき、グダグダと揉める二人に割り入るように、声が上がった。

 二人の視線が一気にザグルヴへ向く。


「私は別に、ポップ王国を憎んでいるわけではありませんよ」

「「へ?」」


 刹那、二人の時が止まった。



「はぁ!?だってお前、さっき――」

「それはあくまで、一般大衆の話をしたまでです」


 なっ!


 見事に言い伏せられて、ギルは口をつぐんだ。


「実際のところ、ポップへの恨みを持っている民衆というのは、多くが40代とかそれ以上の、年増さの人間です。ヤルパがポップと通じてから6年ほど経ちましたし、情報収集が得意で吸収の速い若者は、意外と古い考えに固執していないのですよ」

「えっ」


 若者って――。


「失礼ながら、ザグルヴさんって今おいくつで――」

「29です」

「あ――意外と若い」


 なんか雰囲気あるし、それなりに歳行ってると思ってた。

 クリスより年下とか。


 何となく気まずくなり、ギルはすっと目を逸らした。


「えっと、じゃあ、ザグルヴさんのあの、嫌悪の目の意味っていうのは?」


 そのアンジェリーナの質問に、ギルは我に返った。


 そうだよ。そうだった。発端はそれだった。


 アンジェリーナとギルはじっとザグルヴの言葉を待った。


「それは――あなた方、王族の今の態度が、私のに反していたからです」

「正義?」


 ぽつぽつとザグルヴは話を続けた。


「私は、まだまだ政治に関わるようになって日が浅い身ですが、それなりに自分の行動にを持っています」

「信念――教えてもらえますか?」


 アンジェリーナの真剣な眼差しに応えるように、ザグルヴはその目を見つめ返した。


「“この国のために、全身全霊をもって尽くすこと”です」


 堂々とした姿勢から放たれた言葉は、一直線にアンジェリーナ、そしてギルの心に響いてきた。


“この国のため”、か。

 じゃあザグルヴさんはヤルパのために――。


「あ、国というのはもちろん、ヤルパではなくポップ王国のことですよ」

「「え?」」


 その言葉に、アンジェリーナとギルは再びぽかんとその場に固まった。


「驚くことはないでしょう?だって、今私が仕えているのはポップ王国に他ならないのですから」


 さも当たり前のようにそう言うザグルヴ。

 いや、確かに言われてみればそうなんだが、だってこの人ってヤルパ出身だし――。


「だからこそ、許せないこともある」


 その瞬間、全身に鳥肌が立った。

 ザグルヴは今まで見せたことのないほど感情露わに、アンジェリーナのことを睨みつけていた。

 でも確かに、憎悪というよりか、これは――。


「ヤルパとの問題は確かに、過去の出来事です。今更それを掘り起こしたとて、何かが変わるという保証はない。でも、それが過去の過ちを認めない理由にはならないと思うのです」


 一旦顔を崩したもののすぐに態勢を整え、ザグルヴは淡々と語り始めた。


「負の遺産はそれとして、正当な手続きをもって、真っ当な判断に基づいて清算すべきもの。立場をもって謝罪し、世間に示すべきもの。それを無しに、今の問題がどうの、将来の展望がどうのと語るのは、あまりにおかしい。そんな脆弱な地盤では、これから何百年と続く国家を支えていけるわけがないとは思いませんか?」


 脆弱な地盤。

 無い土台と言っていたのは、こういうことか。


 ザグルヴは続けた。


「私は私なりに、ポップ王国のことを考えているつもりです。この国が繁栄し、よりよくなるためには、過去の罪と向き合うことが必要なのではないかと」


 そこですぅっと一つ深呼吸すると、ザグルヴは言い放った。


「長たらしく話しましたが、つまり、私はたぶん、怒っているのだと思います。気に食わないんです、今の王宮の対応が。そして、その頂点に立つ、あなた方王族が」


 感情に任せて怒鳴り散らすようなことはない。

 ナイフのような、人を傷つける言葉を使っているわけでもない。


 でも、なんでだろう。


 言われている本人ではない俺でさえ、妙に心が痛い。

 それならば、当事者であるアンジェリーナは?今、どう思っているのだろうか。

 逆に、言った本人であるザグルヴさんは今、何を考えているのだろうか。


 土煙の臭い漂う風が、三人を冷たく撫でていった。

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