第199話 ミンツァー家の策謀

「失礼します」


 コンコンコンとドアを叩かれ、見慣れた男が部屋にやってきた。


「お待たせしました。アンジェリーナ様」

「ごめんね、クリス。いきなり呼び出して」

「いえいえ」


 なんだかんだクリスと会うのはヤルパ訪問の初日ぶり。

 さっきまで会議をしていたのか、未だ公務用の格好のままで、クリスはゆっくりとアンジェリーナの前のソファに腰かけた。


「それで、聞きたいことというのは――」

「“というのは”、じゃねぇよ!」


 普段と何ら変わらない様子のクリスを前に、ギルは頬をピクピクと引きつらせ、ずいっと体を乗り出した。


「お前、結局どういうことなんだよ!なんでわざわざヤルパへ来た!自分から説明すべきだろうが!!」

「――ギル」


 感情露わに捲し立てるギルを制し、アンジェリーナはふぅと息をついた。


「クリス、私たち今、ヤルパの過去の出来事について探っているの」

「過去の出来事?」

「実は――」


 アンジェリーナはクリスに、ザグルヴに言われたこと、図書館で途方もない探し物をしていることを洗いざらい話した。




「なるほど。そういうことでしたか」


 ひと通りアンジェリーナの話を聞き終え、クリスはうーんと口元に手を当てた。


「クリス、何か心当たりない?」


 ギルに言って、クリスに連絡を取ってもらったのは、これを聞くため。

 クリスの挙動もやっぱり気になっていたし、何よりおそらく、クリスは、私が知らないヤルパについて、何か知っているような気がするから。


 アンジェリーナは固唾を飲んでクリスの言葉を待った。


「――アンジェリーナ様は、ザグルヴさんのおっしゃったことが、6年前の戦争のことではないと思うのですね?」

「うん、何も確証はないんだけど」


 クリスの澄んだ碧眼が、アンジェリーナの瞳をじっと見つめていた。

 何か深く考え込んでいる様子で。


 しばらくして、クリスはぱっと体を起こした。


「わかりました。今、私が話せるだけのことは話しましょう」

「――ありがとう、クリス」


 これでやっと、先へ進める――のかな?


 アンジェリーナは何が飛び出してくる屋もわからない話に備え、姿勢を正した。


「まず初めにですが――実は私も、アンジェリーナ様がお望みするような過去の事象は存じ上げないのですよ」

「「え」」


 開口一番、クリスは堂々とそう言い放った。

 途端、アンジェリーナの心中に暗雲が立ちこめる。


「ただ、話には続きがあって」

「「え?」」


 もったいつけるのがクリスの悪い癖。

 いつか誰かが言っていた台詞が脳裏をよぎった。


「そもそも、今私がこの場にいるのは、私個人としての立場というよりも、ミンツァー家としての立場なんですよ」

「ミンツァー家?」

「えぇ。というよりも、父の代理と言えばよいか――」


 父の代理?

 え、父って――。


「ガブロ?」

「はい――ここから先は少し長い話になります」


 そう言って、クリスは淡々と語り始めた。




「まず、この話をするには、統一民族政策とその抜け穴について話をする必要があります」

「抜け穴?」


 首を傾げるアンジェリーナに、クリスは説明を始めた。


「統一民族政策についてはお二人もよくご存じでしょう。ポップ王国における最重要政策の一つ。少数民族を排斥し、国民を統一化しようというものです」


 まぁ、これはもはや周知の事実だよね。

 勉強会でも散々取り上げている議題だし――。


「父はもとよりこの政策の反対派でした」

「え!?」


 その衝撃事実に、アンジェリーナは思わず大声を上げた。


「え、でも、ガブロって宰相だったよね?」


 その政策を施行する、リーダーとなるべき存在のはずじゃ――。


「えぇ。ですが、そもそも統一民族政策が原案として持ち上がったのは、アンジェリーナ様の曽祖父様が国王であられた時代なんです。つまり、父が王宮に入った頃にはもうすでに始動していた計画というか――まぁとにかく、当時から、父は統一民族政策には反対だったんです。しかし役職も持たないような新人にできることなどあるはずもなく」


 確かに、今や絶大な権力を誇るガブロも、昔があったわけだし。


「そこで父は、法の目を掻い潜るような策を思い付いたんです」

「策?」

「えぇ。王宮においては、権力のない父でしたが、実はその頃にはすでに、次期バスタコ領領主になることは確約されていたんです。それゆえ、王宮の外ではそれなりに、力はあったようで。父はそれを利用することにしたのです」


 策とか利用とか、若くてもガブロはガブロか。

 アンジェリーナはクリスの話に耳を傾けた。


「まず父は各少数民族の村の中から、将来有望そうな若者を数人探し出し、その方々を自領の留学生として招き入れました」

「留学生?」

「えぇ。要は、バスタコ領の学校に通わせたんです。今もそうですが、別に国内ならば各領の交流は、法律で禁止されているわけではありませんからね」


 クリスは淡々と話を進めた。


「父は卒業した彼らを王宮へと入れさせ、それから、王宮で地道に力を着けさせました。時を同じくして、父も順調に出世し、オルビア様の右腕にまで上り詰めたわけで。そしてそのオルビア様が国王だった時代こそ、統一民族政策が本格的に実行に移され、中央集権が始まった時期なんです」


 中央集権。

 また難しい言葉が出てきた。


「中央集権とは、王宮が直接地方を統治するというもの。そのために、王宮から新たな領主となる人物を派遣する必要があります――それが、キーポイントだったんです」

「え?」


 キーポイント?


「父は当時宰相。その地方へ派遣する、領主を推薦できる地位にいました。そして、父は推薦したのです。各領地に、あの少数民族出身の役人たちを――少数民族は解体されてしまう。ですが、その頭は少数民族出身者のまま。あれ、おかしいですね?王宮の人間を領主にすげ替えたはずなのに」


 そのクリスの発言に、アンジェリーナは目を見開いた。

 何か、ここでようやく、ガブロの意図がわかったかもしれない。


「え、つまり、ガブロがやったことって――」

「はい。父が行ったこと、それは――合法的に地方政治をその土地の者、とりわけ少数民族の者にやらせる、“自立政治”を行わせる、というものだったんです」


 アンジェリーナはただただ唖然としてクリスを見つめていた。

 クリスが言うにはたぶん、それは真実なのだろう。

 でもなんか、あまりに現実味がないというか。


「そ、そんなにうまくいくものなの!?」


 到底信じられる話ではない。


 アンジェリーナは思わず前のめりになってクリスに訴えた。


「まぁさすがに、すべてが今まで通りとはいかなかったようですが、意外と領地運営は領主の自由が効くようですから。現に、ここヤルパの役人も、全員が全員、中央から派遣されてきたわけではないでしょう?」

「あ、確かに」


 ザグルヴさんにしろ、バドラス様にしろ、ヤルパ王国出身の人間がここには多い。

 それもすべて、領主トリスの裁量ということなのだろう。


 ――とまぁ、ここまでの理屈はわかった。

 ただ、どうしても納得できないのは――。


「ねぇクリス、それってとても気の遠くなるような策じゃない?それでもガブロがやりきったってことは――」


 ガブロは一体いつ、この作戦を思い付いたのだろうか。

 先見の明があるとは散々聞いてはいたけれど、これはもう、すごいを通り越して呆れるしかない。


「――ん?待てよ」


 そこで突然隣から声が聞こえ、アンジェリーナは横を振り向いた。


「クリスのお父様がすごいのはよくわかったよ。でも結局それとヤルパのことって関係あるのか?」


 きっと、最序盤で話に付いて行けなくなり、石になっていたのだろう。

 ついさっきまで、一切口を閉ざしていたはずのギルではあったが、これはかなり的を射た発言。


 確かに、出発点はヤルパの話だったはずなのに、未だにヤルパのヤの字も出てきていない。


「関係は、あります」


 その声に、アンジェリーナとギルはぱっとクリスのほうを向いた。


「父は現在のヤルパ領南部、旧北方国境の少数民族ヨーダとも交渉を進めていたんです。先程の自立政治に関する提案ですね」

「で?その交渉はどうなったんだよ」

「――うまくいかなかったんでしょう?たぶん」

「え」


 そのアンジェリーナの発言に、ギルがくるりとこちらを振り向いた。


「ご推察の通りです。どうにかこうにか直接会って話だけはできたようなのですが、策に関しては全く相手にされず――ゆえに、ヨーダはポップ王国の中でも特に、孤立を深めていくこととなりました」


 なるほど、そんなことが。


「ヨーダって確か、元を辿ればヤルパ民族に繋がるんだよね」

「えぇ。約200年前、ポップ王国とヤルパ王国の国境線が引かれたことで、ヤルパ民族は分断。ポップ王国では、ヤルパ王国との差別化を図るために、ヨーダと呼ばれるようになった、というわけです」


 うんうん。この辺は、勉強会の時に学んだ。


 クリスはさらに続ける。


「ここで重要なのは、父がまだバスタコ領主になる前、その時代ですでに、ヤルパ王国とポップ王国の間には大きな亀裂があった、ということです」

「あ、つまり、ザグルヴが示唆してた過去の話って、戦争うんぬんはそもそも問題じゃなかったってことか?」

「まぁ、その戦争が勃発したのはそもそも、両国間に何らかの敵対意識があったから、とも言えるのですが」

「今日読んだ本にも書いてあった。“南部ヤルパを奪還することこそが、最重要”なんだって」


 戦争以前の話。

 やはり勘は当たっていたらしい。


「つまり、ヤルパ民族が分断されたことこそが、ヤルパ王国がポップ王国に敵意を抱くようになった原因――」

「問題は、どうして分断せざるを得なかったのか、ということでしょうか」


 ヤルパ民族を分断しなければならなかった理由――。


「きっとその答えこそ、私たちが追い求めている探し物なんだよ」


 それは一体何なのか。


 アンジェリーナは眉間にしわを寄せた。


「ま、要は、手当たり次第なのは変わらないってことでいいのか?」

「――うん、まぁそうなるかな?」


 そうだよね。結局中央図書館での途方もない本探しが楽になったわけではないんだし。


 はぁと大きくため息をつくギルの心中を察し、アンジェリーナは申し訳ない気持ちになった。


「――とりあえず、クリスの親がすごいってことだけはわかったよ」

「“すごい”?」


 そのギルの言葉に、クリスは不思議そうに首を傾げた。


「すごいだなんてとんでもない。私は別に、この剣に関して、父をすごいだなどと、褒めるつもりは毛頭ありませんが」

「は?」

「え、そうなの?」


 突然のクリスの告白に、アンジェリーナとギルはぽかんと口を開けた。


「父はあくまで、自身の立場を崩さない安定策を選んだに過ぎません。結局、オルビア様の懐刀として、統一民族政策を推進した共犯者に違いありませんから。それをあたかも、少数民族文化を守った救世主として崇められるのはお門違いなんですよ。やるならもっと、徹底的にやるべきです。ぬるま湯に浸かっていた父のせいで、失われたものがどれほどあるものか――」


 ため息まじりにそう話すクリスに、アンジェリーナは心から驚いていた。

 だって、今までのクリスといえば、常に冷静沈着で、たまに変なことも言うけど、それでも感情を露わにすることなんて一度もなかった。

 でも――。


「すみません、少し話が過ぎましたね」

「え、あぁいや」


 表情は変わらずとも、今の発言がクリスの本心であることは明白。

 クリスも、自分の父親のことをそうやって言うことあるんだ。


 なんだかちょっと、親近感。


 アンジェリーナはにやりと笑いそうになる口元をぐっと堪えた。


「あ。ところでさ、結局クリスがここに来たのは、ガブロ様?の代理ってことでいいの?」

「――“代理”というのは少し不適切ですが、その立場を受け継いだというべきでしょうか。まぁ、そう思ってくださって結構ですよ」




「よし!じゃあ明日が実質最終日。頑張っていこう!」

「おう!」


 アンジェリーナとギルが気合を入れる姿を、クリスは静かに見つめていた。




 ――――――――――


「失礼いたします」


 薄暗い部屋の中、レンズにランプの光が反射する。


「お呼びでしょうか。バドラス様」


 眼鏡をグイッと押し上げ、ザグルヴは奥の机の前に立った。


「――あの姫様に、国立図書館の秘密書庫を見せたらしいな?」


 抑揚のない、低い声。

 ザグルヴの肩がビクッと跳ねる。


「お前、あそこに何があるのか、わかってるんだろうな」

「――王女様が所望されましたので、私はその要求にお答えしただけです」

「なるほど?」


 トン、トン、と机を叩く指の音が部屋に響く。


「本当なんだろうな?それは。お前が何か吹き込んだんじゃないんだろうな?」

「私が吹き込んだとて、王女様ともあろう御方が、私の意見をお聞きになると?」


 背筋を伸ばし、まっすぐに前を見て、ザグルヴは淡々と釈明を続けた。


「それに、王女様の望まれたことを断るほうが無礼かと思いまして。第一、あの書庫は全く開かれていないというわけではありませんし――」

「わかったわかった。もういい」


 うるさそうに手を払うと、目の前の男はその場に立ち上がった。


「今回のことはまぁ、不問としよう。お前は優秀だからな。お前なりに、この国のことを想っての行動だったのだろう」


 ゆったりとした足取りで、男はザグルヴのすぐ側に近づき、そして耳元に囁いた。


「期待しているぞ?ナギ。国のために尽くせよ?父のようになぁ――」

「はい。バドラス様」



 ナギ=ザグルヴ。ヤルパ領領主補佐、ビエロ=バドラスの秘書。

 ビエロ=バドラス。旧ヤルパ王国、元国王側近。


 ――あなたにはまだ、知らせてはならない事実がある。

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