第197話 異様な空間

「だあぁーーーー!!もう無理!」


 ガラス窓の光差し込む、美しき本の森。

 その奥深く、鬼畜な任務に挑む男が一人、限界を迎えていた。


「どうしたの?突然奇声を上げたりして」


 ギルの大声に、アンジェリーナは下を覗き込んだ。


「奇声の一つや二つ上げたくなるわ!何時間やってると思ってんだ!?」


 正面、壁に掛けられた時計は12時過ぎを示している。

 始めたのが8時半くらいだから――かれこれ3時間以上か。


「うーん、まぁ確かに。お腹は空いてきたかも」

「“空いてきたかも”じゃねぇよ。のんきに。俺はもう、文字酔いでくらくらするのに――」


 不満を露わにぼやくギル。

 もう、すぐ近くにザグルヴさんもいるというのに、この態度はもう隠す気ないな。

 まぁ、こんなに長時間本を格闘し続けてたら、誰だってこうなるか。


 アンジェリーナは改めて階下から天井にまで広がる本棚たちに目を向けた。


 無謀にも始まったこの探し物だが、役割分担の結果、ギルは一番下から、私はだいたい中間かららせん状の本棚を攻めることとなった。

 いざやってみると、記憶とは曖昧なもので、一目で見ただけでは読んだことがある本なのかどうか、判断が難しい。

 ゆえに、結局どの本も一度は中を開いて確認しなければならない。


 加えて大変なのが、そもそも読んだことのある本自体が少なすぎるということ。

 普通に考えて、床から天井までびっしり本が詰まっている中、人生18年程度の自分が読んだことのある本なんて、探し当てる方が難しいというもの。

 当然、初見の本ばかりで、内容をいちいち確認しなければ、知っていることなのか否かを判断する方法はないのだ。


 ――とこんな感じで、なかなかうまくいかず、この三時間ちょっとで私が確認できたのは、中間から天井までの間の、わずか一割程度。

 このペースでは当然、あと3日で調べ切れるはずがない。


 しかし、それは私だけでやった場合の話。


 アンジェリーナは再度、下でむくれるギルに目を移した。


 今、ギルがいるのは一番下から中間までの間の、3分の1あたり。

 どう考えても進むペースが尋常じゃない。


 ギルが本格的に文字に、そして本に触れるようになったのは、わずか6年前。

 だが、この6年間のうちに、彼はこの世のあらゆる物事を吸収していたはずだ。

 勉強会での話はもちろん、聞きたくないような城の内情も、耳に入ってくるようになったろう。


 間違いない。断言できる。

 ギルは今や、護衛としてのみならず、私の隣に居なくてはならない存在だ。


「なぁ、アンジェリーナってば」


 こういう駄々をこねる子どもみたいなところは、全然変わってないんだけど。


「はいはい、今そっち行くから。一回どこかで休憩しよう。お昼もいただきたいし」


 アンジェリーナは内心呆れながら階段を下りていった。




 ――――――――――


「さぁ、お昼も食べ終わったし、さっそく続きを――」

「ちょっと待った!」


 一度図書館を出て、昼食をとり終えたアンジェリーナを、ギルはすかさず呼び止めた。


 ここで止めなきゃ俺は死ぬ!


 見た目よりもギルは、内心切羽詰まっていた。


「せっかく視察に来てるんだし、図書館ばっかり籠ってないで、外に出たらどうだ?」

「え?でも――」

「だって、それがお前の仕事だろ?いろいろ見て回らないでどうするんだよ。しょ、職務放棄じゃねぇの?」


 ここぞとばかりに正論らしきものをかき集め、アンジェリーナに対抗する。


「うーん、確かに、そうかも」

「な、な?そうだろ?」


 よし!どうにか乗り気になってくれた。後は――。


 ギルはこそこそっとザグルヴのもとへすり寄った。


「ってことでザグルヴさん、お願いだからどこかに連れ出してください。できるだけ、時間が稼げる場所に!」


 ギルの全力の囁きに、ザグルヴは目を細め、こちらを振り返った。


 うっ。この反応、なんだかムカつく。

 白い目で見やがって。

 でも、今はなりふり構っていられないし。


 すると、ギルの必死の懇願が通じたのであろうか。

 ザグルヴは大きなため息をつきながら、すっとその場に立ち上がった。


「――では、私がご案内しましょう。少しかかるのですが、よろしいでしょうか」

「はい。ありがとうございます」


 ありがとうございます、ありがとうございます!!


 アンジェリーナの背後で首を振り続けるギルを、ザグルヴは凍り付いた目で見つめていた。




 ――――――――――


「ここから展望台まで歩きます」


 思い立ってから約30分後。

 アンジェリーナ、ギル、ザグルヴの三人(プラス護衛複数)は、郊外のある丘にやってきていた。


「すごい。大分登ってきましたね」

「――はぁ」


 興奮気味のアンジェリーナに対し、こちらはげっそりと疲れ切っているギル。


「どうしたの?ギル。馬酔いした?」

「いや、そりゃ、おま――」


 そこまで言いかけて、ギルは口をつぐんだ。


 街からここまではかなり状態の悪い上りが続く道。

 ゆえに馬車を連れてくるのは難しく、また急遽だったため、手配することもできず、結局馬での移動となったのだが――。


「いやぁそれにしても、初めての乗馬体験、楽しかったなぁ。ギル、本当にありがとうね。に乗せてくれて」

「ん?あぁ、良かったよ」


 当然、アンジェリーナに馬に乗る技術があるはずもなく、自然とギルの後ろに乗せる運びとなったのだ。

 こういうとき、姫を前に座らせる場合もあるのだろうが、何せこいつ、今や身長164センチだからな。

 無駄に高くなりやがって、これじゃあ前に乗せられたものじゃない。


 とここまでは良かったのだが――。


 あんな密着するとは思わねぇだろうが!


 声に出すのをぐっと我慢して、ギルは心の中で叫んだ。


 そりゃあ?安全第一だから、しっかり掴んでいてくれないと困るんだけど。困るんだけどさぁ、まさか、あんなにぎゅっと、ぎゅっと!抱きしめられるだなんて――あぁーー!!思い出してしまう!細かな感触までバッチリと!自分の記憶力の良さが憎い!!


「何一人で悶えてるの?」


 はっと気が付くと、展望台へ向かう階段の途中、アンジェリーナが冷めた目でこちらを見下ろしていた。


「ほら、早く行くよ」

「――はい」



「うわぁ、すごい」


 展望台に着くや否や、アンジェリーナは吐息まじりにぽつりと呟いた。


 それもそのはず。目の前に広がるは唯一無二の絶景。

 遮るものは何もなく、見下ろすはヤルパの街並み。

 そしてその街をすっぽり包み込む、遥か彼方まで広がる森。

 左手には、まだ雪が残っているのだろう。白いまだら模様の山々がそびえ立っている。


 こうして高いところから見ると、ヤルパの街がいかに小さいのかがわかる。

 それとともに、いかに周りの自然が雄大であるかということが。


「ヤルパはその領土の4分の3以上を森や山が占めています。その中にもいくつか集落は存在しますが、街と呼べるほど大きいところというと、ヤルパ中心街くらいでしょう。現に、人口の90パーセント以上が、そこに見える街で暮らしています」


 人口の90パーセント!?

 それって一体どういうことなんだ。

 ポップ王国全体で考えたら、恐ろしいことにならないか?


 事態に驚愕するギルを横目に、アンジェリーナとザグルヴの話は続く。


「あの左の山がダムがあった場所ですか?」

「はい。ダムはあの山々の本当に麓のあたりにあります。ここから先、さらに北へ、シュボン山脈を越えていけば、やがて最北の要塞、フォルニア王国の領域が広がっている、というわけです」


 なるほど、とアンジェリーナは頷いた。


 俺だって予習はしたけど、こう実際に見聞きしてみると、全然感覚が違うものだ。

 なんというか、現実に存在しているという実感というか。

 とにかく、アンジェリーナの感動が今は手に取るようにわかる。


「なかなかに、こうして見ると小さい街ですよね。何せ、人口も都市の大きさも、王都ミオラと大差ないのですから。といっても、うちはあれが領土のすべてと言っても過言ではありませんがね」


 この人の言い方、嫌味なんだか無意識なんだかよくわかんねぇんだよな。

 というか、今のこの口調はどちらかというと、皮肉のような、どこか自分の領地を下に見ているような――。


「他に気になるところがあれば、どんなことでもお尋ねください。では、ごゆっくり」


 そう言うとザグルヴはすっと後ろに下がっていった。


「ねぇギル」

「ん?」


 キラキラと目を輝かせ、アンジェリーナは壮大な光景に釘付けになっているようだった。


「城にいるとさ、王都を上から見下ろせはするけど、こういう風に、街の全てを見ることはできないよね」

「――まぁ、そうだな」

「こうして俯瞰して見ると、自分がいかに小さな存在かがわかる。私がどんなに小さな視野しか持ち合わせていないかっていうことが。私が持ち続けなければならない視点っていうのはきっと、こういう所に常に立ち続けて街を見るようなものなんだよ」


 はっきり言って、アンジェリーナの言っていること、その意味はほとんどわからない。

 でも、きっと、彼女が目を輝かせているから、彼女が幸せそうだから、俺もなんだかワクワクしてくるんだ。


 ふぅ。なんだかんだ良いリフレッシュになったかもな。

 俺もアンジェリーナも。


 ったく、それにしても見る場所見る場所森が多いな。

 ほとんど濃い緑色で――。


「あれ?」


 そのとき、ギルの目はある場所に釘付けになった。


「なぁ、アンジェリーナ。あれなんだろう?」

「え?」


 ギルが指をさした先、黒々とした森の中に、木が一本も生えていない場所があった。

 まるで、ぽっかりと穴が開いたかのような異様な空間。


 それも、10メートルそこらの話ではない。

 ここからでもはっきりと確認できるほどの大きさ、街と比べても1キロほどは広がっているように感じられる。


「なぁなぁ。なんだろう、あれ」

「――わからない。あんなところに湖なんてなかったはずだし。集落とかかな?」


 それにしてはなんか――。


 あくまで直感。

 だが、何かそこはかと知れぬ、得体のしれないものがそこにはあるのではないかという、緊張がギルを襲っていた。


「ザグルヴさんに聞いてみようか」

「あ、うん。そうだな」


 なんだろう。この感覚は。


「あの――」

「あ、すみません。王女様」


 アンジェリーナが切り出すより前に、ザグルヴが駆け足でこちらに向かってきた。


「実は私、そろそろ街のほうへ戻らなくてはならなくて」

「え、あ、そうなんですか?――では、私たちもそろそろ」

「はい。お願いいたします」


 え?帰るの?いきなり?


 やり取りを後ろで見ていたギルは、突然の展開に目を丸くした。


 このタイミングで?結局、何も聞けずに――。


 本当に?


 ギルはピタリと足を止め、口元に手を当てた。


 アンジェリーナの言う通り、この人には何か隠し事があるのかもしれない。

 ポップとヤルパを分かつような、重大な、何かが。


 後方を振り返ったギルの目に、異様な森の空間が映っていた。

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