第194話 無い土台
「おはようございます。王女様。お迎えに上がりました」
翌日、ホテルを出るとそこにはすでに、大きな馬車が控えていた。
そしてその前、こちらへ歩み出てくる男が一人。
「私、本日より4日間、案内役を務めさせていただきます、ナギ=ザグルヴと申します」
ザグルヴと名乗った男は愛想笑い一つせずに、ぺこりと頭を下げた。
そう。これから私は仕事に向かう。
視察という大仕事だ。
ヤルパ滞在は他の都市とは異なり、長期間のものとなっている。
昨日と最終日6日目はほぼ移動日だが、中4日間は丸々時間が空いているのだ。
というのも、ヤルパは6年前までは敵国だった地域。少し事情が異なるのは当たり前。
ゆえに、他の場所は“私の視察”が主目的の滞在なのだが、ヤルパだけはそれは“見せかけ”に過ぎない。
本当の目的は、私に付随する形でついてきた、そうそうたる役人たちとヤルパ上役たちとの会議にあるのだ。
つまりこれから私がやろうとしていることは“おまけ”の事柄なのだ。
「アンジェリーナ=カヤナカです。よろしくお願いいたします」
「存じ上げております。それでは行きましょうか」
丸眼鏡の奥、その目の色は見えない。
お得意の丁寧な挨拶も全く気にされる様子はなく、ザグルヴに促され、アンジェリーナはささっと馬車に乗った。
その後ろ、早足でギルが追いかけてきた。
「すみません。不躾なのは重々承知しているのですが――」
「聞いております。どうぞ」
「あ――失礼します」
どこか申し訳なさそうに頭を下げ、ギルは、アンジェリーナの横に乗り込んだ。
車内に入るや否やきょろきょろと。
まぁ仕方ない。初めてなんだろうし。
今日の馬車は4人乗りの大きなもの。
今までアンジェリーナが乗ってきた移動用の2人乗り馬車とは比べ物にならない広さだ。
その対面にザグルヴが座り、扉を閉めた。
全員が乗ったのを確認し、馬が動き始める。
ホテルから道を出たところで、アンジェリーナは切り出した。
「ザグルヴ様、今日は改めて――」
「呼び捨てで構いませんよ。序列を考えればその方がよろしいかと」
うっ。
出鼻を挫かれた気分。
「――ではザグルヴ“さん”と」
アンジェリーナはゴホンと一つ咳ばらいをし、改めて口を開いた。
「ザグルヴさん、改めて今日はありがとうございます。街の中を案内してくださるということで」
「いえ、上から申しつけられたことですので、お気になさらず」
「――そうですか」
会話が、続かない。
開始一分も満たないうちに、車内は重く苦しい沈黙に包まれた。
普段ならばくだらないことを言って(本人はそんなつもりはない)場を和ませてくれるギルも、公の場ではどうすることもできずに固まっている。
アンジェリーナはため息をぐっと堪えて窓の外に目を向けた。
「そういえば、まだ名前を聞いていませんでしたね」
「え?」
突然のザグルヴの言葉に、思わず反応して、しかしすぐにアンジェリーナは気づいた。
その視線がアンジェリーナの隣に向けられていることに。
一瞬ぽかんとした様子のギルは、慌てふためいて答えた。
「あ、あぁ私ですか?私はただの、一介の近衛兵ですので、名を名乗るだなんておこがましい――」
「名を教えるのは、人として当然のことでは?」
うっ、またこれはストレートな。
ザグルヴのぶっきらぼうな物言いに肝を冷やしながら、アンジェリーナは二人の様子を窺った。
「ギル――ギルです」
「姓は?」
「――あいにく、名字は持ち合わせていないので」
「あぁなるほど。王女付きの近衛兵が“救済者の
カチン、ときているだろうな、ギル。
抑えてよ?――ちょっと、声色に漏れてた気もするけど。
とはいえこの人――。
アンジェリーナは改めてザグルヴの顔をじっと見た。
無表情というだけなら、長年クリスの顔を見てきたから慣れてはいるけど、これはそれとはまた違う感じがする。
お父様のようにわかりやすく不機嫌というわけでもないんだけど、イラついているというわけでもなく――これはなんだろう?
「見えてきました」
その声に、アンジェリーナはぱっと視線を窓に戻した。
「ここがヤルパ随一の歴史ある中心街です」
紹介の通り見えてきたのは石造りの道路、そして建物が目を引く街並み。
こういう、どれも王都では見られないような装いをしているものを見るのが、結構楽しみだったりする。
「やはり石が名産なだけありますね」
「えぇ――そこにあるのが銀行。約200年前からその形をほぼ変えずに残っています」
「200年!本当ですか!?」
うん、確かに、言われてみれば。
ザグルヴが指さした建物を見ると、それは周りの建物と比べても、かなり年季の入ったもののようだった。
ところどころツタが壁を下りてきており、石の色もどことなく変質している。
「次、左手に見えてきたのが元々王室の倉庫だった建物ですね。今は市場として開放されています。それから、この先細い脇道に行きますと、創業100年以上の老舗が立ち並ぶ古街道があります」
機械的な案内とともに、馬車は街を駆けていった。
「足元お気をつけて」
それから数十分後、じっくりと車内から街を見て回り、アンジェリーナたちは街外れの大きな倉庫のようなところへやって来ていた。
「ここが、石の加工場です」
中へ入ると、そこには石を切り、削り、彫る職人たちの姿があった。
先程の街中でも散々見てきた通り、ここヤルパは石が名産品。
ヤルパからさらに北方の国々へと続くシュボン山脈の裾野にて、硬く、耐久性の高い石が産出されている。
「なるほど。実際に加工しているところを見るのは初めてなのですが――これは、素晴らしい技術ですね。大きな石の切り出しから細かな装飾の彫刻まで、職人技がなければできない代物でしょう」
「はい。石工職人は代々その業を受け継いでいる家も多く、
街に会った建物なんかは荒削りの石という感じがしたけど、ここで加工されている石にはいろいろな種類があるみたい。
ピカピカに磨かれた石は、光沢が強く艶が出ている。
「普段はどのようなものを作る場合が多いのでしょうか」
「そうですね――今は石造りの建物も減ってきていますから。ここ最近は墓標なんかが主な生産品です。特に6年前の戦争後なんて、需要がおびただしくて。それこそ、復興を担った産業でもあるんですよ」
その言葉に、場がピリリと張り詰めた。
やっぱりこの感じ、まるで――。
「では、次に行きましょうか」
つい今の発言を何事もなかったかのように無視し、ザグルヴはすたすたと歩き去ってしまった。
「ここが――」
それからさらに数十分後。
山の中にかなり入ってきたかというところで、アンジェリーナは巨大な施設を目の当たりにしていた。
「はい。水力発電所です」
ここがあの――。
アンジェリーナは改めて目の前の建物を見上げた。
白く無機質な外見では、一見何が入っているのかわからない。
ただかろうじて、川のドドドという激しい音が聞こえてくることから、発電所なのだろうと推測はできるだろうが。
初めての物体に見とれるアンジェリーナを前に、ザグルヴは淡々と説明を始めた。
「ヤルパは雪解け水が多いので、発電量は安定しています。そもそもここは山に近いですから、夏でもある程度供給量は確保できるんです。最近では近くで湧いたガスなんかも発電に使われていますが、それでも大部分は水力で賄っている状況です」
「水力発電では水車を使っているのですよね」
「えぇ。水車といっても、田畑にあるような原始的なものとは異なりますが、原理は同じです。水を動力としてモーターを回し、発電するという仕組みです。もっと上流のほうにダムがあり、そこに水を貯めてあらかじめ量を調節し、流しています」
「なるほど」
確かに、ダムを使えば水不足の対策になる。
それに、ヤルパは領地の半分以上を森や山に囲まれているから、水力発電は合っているのかも――。
「予習はバッチリですか?」
「――え?」
その言葉に、アンジェリーナは思わずピタリと動きを止めた。
何?この突拍子もない発言は。
ゆっくりと横を見ると、ザグルヴは先程とは何ら変わらない態度で、アンジェリーナを見下ろしていた。
「王女様、失礼ながら一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「――はい」
ごくりと唾を飲み込む。
「今のあなた様には一体何が見えているのでしょう?」
「え」
予想外の質問に、アンジェリーナは固まった。
「すみません、単純な興味なのですが」
“単純な興味”?いや、意図がわからない。
絶対に何かある。
でも、一体――。
何をどう答えようものか。答えるにしても、問い自体が抽象的すぎる。
しばらく考え込んだのち、アンジェリーナはすっと顔を上げた。
「私は――このヤルパの実態を確かめに来ました。いくら書物で学んでも、人づてに聞いても、実際に見なければそこで暮らす人々、土地の
「なるほど」
それは、どういう“なるほど”なんだ?
「それは殊勝な心掛けだと思います。実に王族らしい、模範的な考え――ですが」
訝しむアンジェリーナを前に、ザグルヴははっきりと言い放った。
「それはあくまで、あなた方からの目線でしかない」
「え?」
あくまで淡々と、声色を変えることなく、ザグルヴは続ける。
「あなた様はきっと、“
そのとき、眼鏡の奥、目がようやく見えた。
「無い土台にいくら物を積み上げたとて、何もないのと変わらないのですよ」
あぁそうか。やっとわかった、この人の感じ。これは――。
敵意だ。
ヤルパ滞在二日目にして、アンジェリーナは大きな壁に阻まれたのだった。
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