第193話 テーブルの裏側

 長い長い旅を終え、すっかり日も傾いた頃。


「お待ちしておりました、アンジェリーナ王女」


 馬車を降りると、そこは石造りの大きな建物。

 視察隊は無事、ヤルパ領・領主官邸に到着した。


「お初にお目にかかります。私、ヤルパ領領主、トリスと申します。お会いできて光栄です」

「初めまして。アンジェリーナ=カヤナカです」


 出迎えてくれたのは気の優しそうな男。

 アンジェリーナはトリスと握手を交わした。


「長旅でさぞお疲れでしょう。夕食の準備はできておりますが、一度ホテルでお休みになられても――」

「いえ、問題ありません。せっかく用意してくださったのですから、ありがたく頂きます」


 公務をするようになって初めて気づかされる。

 あの面倒な所作の授業の必要性を。

 そして、真面目に授業を受ける要因を作ってくれた、ジュダのありがたみを。


「さぁ、春とはいえ、夕方になるとまだまだ寒いですから。どうぞ中へ」

「はい。失礼いたします」


 元敵国とは思えない、柔らかで爽やかな態度に、内心アンジェリーナはほっとしていた。


 中で大幅な改革が行われているのだとしても、実際どうなっているのかは、外からでは計り知れないものがある。

 それゆえ、かなり緊張していたのだが、どうやら杞憂だったらしい。


「他の皆様も、どうぞこちらへ――」


 そのとき、トリスの動きが止まった。

 見る見る間に目が大きく開かれていく。


「どうして――」


 視線の先、その延長上にいたのは――。


「予定には、なかったはずでは?――大臣」


 えっ!?


 その言葉に、アンジェリーナは目を見開いた。。


 クリス、アポなしだったの!?

 でも、さっきは“用事があるから”って。


「あれ、連絡入っていませんでしたか?」

「え」


 あくまで堂々と、クリスは平然として答えた。


「モーリー様のご都合が悪くなったため、代行を頼まれたのですが。至急そちらに速達をお出ししたので、予定では昼頃には到着しているものかと」


 その発言に、トリスはばっと後ろを振り返った。

 側近とおぼしき男に目を合わせ、急いで確認に向かわせる。


 それから数分後――。


「すみません。こちらの不手際で、確かに、速達文を受け取っておりました。本当に、申し訳ございません」

「いえいえ、突然の変更で、こちらこそ申し訳ありません」


 どうやら確かめた結果、クリスの言っていたことは正しかったらしい。

 トリスは額に汗を滲ませながら、どうぞと一行を奥へ招き入れた。


 なんでこんなにごたついてしまったのだろうか。

 それにしても――。


 アンジェリーナはちらりと後ろを見た。


 クリス、一体どういうつもりで――。




 ――――――――――


「――なるほど、では姫様は、北方の地は初めてで」

「えぇ、まぁ」


 本当は、2年前にこっそり来たんだけど。


 先程のバタバタ具合もどうにか落ち着き、アンジェリーナは食事の席に着いていた。


「では気候の変化には驚いたでしょう。王都と比べるとこの辺りは、春でもとても冷えますからね」


 両サイドには名だたる役人たちがアンジェリーナを挟むように並び、向かいには領主トリスが。そしてその脇には側近たちがずらずらと並んでいる。


「姫様はこのヤルパでどこか興味のある場所などあるでしょうか。ありましたら明日にでも。また今回は訪問期間も長いですし、町全体の様子もぜひご紹介させていただきたいのですが」

「いいですね。ぜひお願いいたします。私はまだ、ヤルパに関して知らないことが多いものですから」


 表面上、笑顔を向け合うこの対面でも、内心誰がどう思っているのか、詮索し合っている。

 現に私だって、観光のためにここに来たのではない。


 王女として、そして女王を志す者として、今のヤルパの実態を目に焼き付けておく必要がある。

 加えて、ここでしかわからない“裏切り者”の情報も、もしかしたら――。


 アンジェリーナは得意の作り笑顔を貼り付かせ、軽くジャブを入れてみることにした。


「それにしても、まだ少し街の様子を見ただけですが、戦争から6年でこの復興具合とは、トリス様の努力の賜物ですね」

「いいえ。私はやれるだけのことをしただけです」

「そんな謙遜なさらなくても。元敵国という中で一人、改革に乗り出すのはさぞ大変だったでしょうに」

「いえいえ、そんな」


 アンジェリーナの上っ面の褒め言葉に、トリスは吹き出した汗をハンカチで拭った。


「一つ、質問してもよろしいでしょうか?」

「あ、はい。もちろんです」


 アンジェリーナは笑顔を絶やさぬよう気を付けながら、言い放った。


「領主として改革に乗り出すうえで、気を付けたことなどあるのでしょうか?」

「――といいますと?」

「例えば、行政の人事も総入れ替えになったでしょうし、側近の方々の人選方法だとか――いえ、私が聞いてどうするのか、ということでしょうが。国王に任されてここへ来た以上、将来、国を支えるために知るべきことは知っておかねばと思いまして」


 それを言うや否や、周りからおぉという歓声とともに、拍手が巻き起こった。


 まったく、こんな薄っぺらい言葉にも称賛の声は上がってしまうのか。

 何か所も主要都市を回ってみて、その度にこういうことを言ってはいるけれど、つぐつぐ嫌気が差してくる。

 まぁ誰も、私が直接国を動かそうと目論んでいることなど、知らないのだけれど。


 そのとき、揃いも揃った作り笑顔を見渡して、アンジェリーナは気が付いた。

 その群衆に紛れた三人だけが、笑っていないということに。


 一人は、クリス。

 この人は出会ったときから表情一つ変えたところを見たことがないし、まぁ無表情でいるのが通常運転なんだけど。


 問題は、この後の二人だ。


 アンジェリーナはすっと正面に視線を戻した。


 トリス様。

 さっきは爽やかな笑顔を向けてくれていたのに、今は余裕のない表情で汗をひたすら拭っている。

 その目は明らかに泳いでいて、時折隣をちらちらと見ている。

 まるで、誰かの機嫌を窺うかのように。


 そしてその隣に座っているのは、先程、トリスがクリスの変更を確認に行かせた側近の男。

 口元をかすかに引き上げ、笑っているように見せてはいるが、その視線は下を向いている。

 目も笑っていない。

 何か、不気味な印象を漂わせているような――。


「――あぁ、人選、でしたね」


 その声に、アンジェリーナはぱっと顔を上げた。


「確かに――えぇ、大変でしたね。一からのスタートでしたから。ですが、私一人でどうこうしたわけではなく、復興事業には、王都から私含め、あくまで複数の役人が対策にあたりましたので。今の側近も主にその中から人選を――」

「なるほど、そうでしたか」


 やっぱり、この人。


 あくまで笑みを浮かべたまま、アンジェリーナはじっとトリスの顔色を窺っていた。


 第一印象は、撤回だな。

 この領主の人、優しいというよりも気が弱いという雰囲気。

 それも、嘘をつくのが苦手。


 絶対に何か、隠してる。


 アンジェリーナはグラスを手に取り、ゆっくりと水を飲んだ。

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