第188話 兵士の契り
コチッ、コチッ、コチッ、と、時計の針が淡々と時を刻んでいる。
カイオラから帰ってきてから、アンジェリーナはずっと椅子に座ったっきり、微動だにしていない。
それを突っ立って、後ろから見ている俺は、一体何なのか。
カイオラにて、ジュダとの対面を果たした俺たちは、あれからあっさりと、城へ返ってきた。
結局、誰に見つかることもなく、何の波風も立たぬまま、今、ここにいる。
つい1時間ほど前までは、見知らぬ土地で、大切な人の死を確かめに行っていたというのに。
まるで、夢を見ていたようだ。
「――ジュダと、お話ししてきた。いろいろと、今まで話せなかったことも、全部」
その声に、ギルははっとしてアンジェリーナを見下ろした。
今まで口を閉ざしていたアンジェリーナは、こちらを見ることなく、ゆっくりと語り始めた。
「お別れを言いに行くって言ったくせに、結局さよならは言えなかったな。ジュダも、自分がもうすぐ死ぬんだってことには気づいていたようだったけれど」
うまく、声が出せない。
何と声をかければいいのか――。
「ジュダ、ギルに謝ってたよ」
「え?」
声を掛けられずにいるギルに、アンジェリーナはそっと告げた。
「お前を苦しめた。謝れなくてごめんねって」
その言葉に、自分の中で何かが壊れた音がした。
ずっと本当は、疑問に思っていた。
ジュダさんが死んだと告げたとき、感情を露わに悲しむでもなく、呆然とするでもなく、会いに行くと決断したアンジェリーナの行動に。
だって、好きな人が死んだんだぞ?
普通ならもっと、感情的になってもいいはず。
それなのに、焦りは見せてもあくまで冷静さを欠かさず、心を律して最善の選択をする彼女を見て、俺はあいつの気持ちがわからなくなった。
本当に、ジュダさんのことを好きだったのだろうか、とか、やっぱり、ここで個人の感情に揺さぶられないのが王族なのだろうか、とか。
今まで隣にいたはずなのに、急にあの一瞬で、俺はアンジェリーナを信じられなくなっていた。
そんなはずは、なかったのに。
「え」
そのとき、振り向いたアンジェリーナは目を疑った。
「なに号泣してるの?」
目の前には、子どものように顔を濡らして泣きじゃくる、ギルの姿があった。
ひっく、ひっくと情けないうめき声が、口から漏れていた。
「どうしたの?こんな話、いきなりするから、悲しくなっちゃた?」
眉を下げて、優しい声をかけてくるアンジェリーナ。
困らせてはいけないとわかっているのに、涙が止まらない。
「――くそっ」
あのとき、アンジェリーナが、“
彼女が流した、一筋の涙を見て、俺ははっとしたんだ。
アンジェリーナが悲しんでいないはずがない。
俺以上に、ジュダさんの死を受け入れられずにいたはずだ。
でも、声を上げて泣くこともできなかったんだ。
だって、あいつは姫様だから。
それでもあいつが動いたのは、ただ一心に、最期に、大好きな人に会いたかったからなんだ。
ただ、それだけだったのに。
「ごめん。アンジェリーナ。俺、ごめんっ」
涙が溢れて、溢れて止まらない。
「もう、何謝ってるの?ほら、大丈夫だから」
優しさが痛い。
本当に泣きたいのはそっちだろうに。
俺は何もできなかったのに――。
ギルは水浸しの顔を、ぐいっと袖で拭い、そしてアンジェリーナをまっすぐに見つめ、言い放った。
「俺、絶対に、いなくならねぇから。ずっと、お前のそばにいるから。そばで、お前を守るから、だから、だから――約束する!」
情けない声だったろう。
拙い言葉だったろう。
でも、それを聞いて、アンジェリーナはどこか、ほっとしたような顔をしていた。
「――ありがとう、ギル」
その日アンジェリーナは、ギルと生涯にわたる約束を交わした。
――――――――――
――コン、コン、コン。
「入るぞ、アンジェリーナ」
ガチャリと音を立てて、部屋に入る。
見ると、アンジェリーナは一人、椅子に座っていた。
いつもならば、返事を待たずに入室など、即刻非難されそうなものだが、今日は――。
「お父様」
こちらを振り返ることなく、アンジェリーナはぽつりと言った。
かすかに震える声で。
「私、結婚はしないよ」
その瞬間、きゅっと胸が締め付けられた。
短いその言葉の中に、どれほどの覚悟と決意があったのか。
気丈に振舞うその背中が、余計に悲しく見えて。
わかっていたはずなのに――。
ぐっと歯を食いしばった。
「――わかった」
たった一言。それだけ発すると、イヴェリオはその場を後にした。
――――――――――
「――ぷはっ!」
蛇口をひねり、水を止める。
あの後、ひとしきり泣き終えたギルは、一時部屋を離れ、顔を洗っていた。
「あ゛ぁー、すっきりした」
ゴシゴシとハンカチで顔を拭きながら、ふぅと息をつく。
あの涙でぐしょぐしょの顔じゃ、やってられないもんな。
うわっ、目も腫れてる。
こんなみっともない顔、アンジェリーナに見せていただなんて。
はぁ、と思わずため息が漏れる。
が、ここでうじうじしていても始まらない。
ギルはパンと両手で頬を叩いた。
よし。気合入れて行こう!
半ばから元気のようなものだが、無理やり気持ちを切り替え、ギルは再びアンジェリーナの部屋へと元来た道を歩いて行った。
――とそのとき。
ん?誰だ?
ギルの目に、アンジェリーナの部屋から出てくる何者かの姿が映った。
あれは――国王様!?
そう気づいた瞬間、ヒュッとギルは息を吸い込んだ。
というのも、本来常に主君を守るはずの近衛兵が不在。
こんな事態、あっていいはずがない。
ヤ、ヤバい。職務放棄と思われたかも!
イヴェリオが立ち去ったのを確認し、急いで部屋へ駆け寄る。
コンコンコンと素早くノックし、ギルは扉を開けた。
「ア、アンジェリーナ、今、国王様が――ってうわぁ!」
しかし、ドアを開けるや否や、有無を言わせずギルは中へと引きずり込まれた。
腕を引っ張った犯人は、他でもない。
「な、何だよ!いきなり――」
「ちょっと考えたんだけど、やっぱりギルにも話しておくべきだと思って」
「――え?」
どこか神妙な顔をして、アンジェリーナは声を潜めてそう言った。
その勢いにどこか付いて行けず、腕を掴まれたまま、ギルはアンジェリーナの向かい側に座らされた。
「話って何のことだよ?」
「ジュダが託してくれたバトンについて」
その言葉に、心臓がドキッと鳴った。
「バトン?」
そう、と頷き、アンジェリーナはぽつぽつと語り出した。
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