第184話 衝動

「ジュダが――死んだ?」


 8月3日。午前9時。

 アンジェリーナはその訃報を自室で受け取った。


 息を切らし、汗を滴らせ、ギルは動揺露わに捲し立てる。


「さっき、戦線から連絡があって、今朝、複数の拠点が爆撃されたって。その中に、ジュダきょうか――いや、ジュダさんが隊長をやってた小隊も含まれてたって」

「その情報は、確かなの?」


 アンジェリーナの静かな声が、部屋に通った。


「ジュ、ジュダさんの隊はカイオラに近いところに留まっていて。ほら、今回カイオラは本部になっていたから。それで、爆撃が収まった後、状況確認に支援部隊が向かって、それで――」

「それで?」


「――遺体が、確認されたって」


 ギルは震える声でそう言い放った。


 冷たい空気が、部屋を包み込んでいく――。



「待って、“今朝”って言った?」

「え?」


 そのとき、アンジェリーナがぽつりと呟いた。


「今朝、爆撃されたの?」

「あ、うん。今朝、というかほぼ真夜中っていうか。日も昇らないうちのことだったって――」

「ジュダの遺体って今どこに?」

「へ?」


 すると突然、アンジェリーナはバンと机を叩いて、身を乗り出した。


「そういう場合、遺体って回収されるの?」


 突如、切羽詰まった表情を浮かべたアンジェリーナ。

 その変わりように戸惑いながら、ギルはどうにか言葉を絞り出した。


「あ、えっと――戦線の状況によるかな。まだ遺体の近くで戦闘が起こっているようなら、回収はされない。普通は放っておかれる。でも、前線がもうずっと前に通り過ぎたっていうのなら、後方支援部隊が出て、回収している可能性はあるかも」

「もしそうなら、今遺体はどこにある?」

「え?たぶん、本部の置かれているカイオラかな――――っておい!」


 ギルの返答を待たずして、アンジェリーナは言葉を遮るように、勢いよくその場に立ち上がった。

 そして一目散に奥の部屋へ向かい、ぴしゃりとドアを閉めてしまった。


 一体、何なんだ。


 ギルは呆然と、その場に取り残されていた。


 俺が、焦りまくって、すごい剣幕で言っていたのに、アンジェリーナはひどく冷静だった。

 顔色一つ変えないで、声は少し震えていたようだけど。

 でも、俺が、遺体の話をしたら、突然豹変したように、矢継ぎ早に質問を――。


 そのとき、バタンと大きな音がして、ギルはぱっと顔を上げた。

 見ると、奥の部屋からアンジェリーナがこちらに飛びだしてきたところだった。


「おい、いきなりどうし――」

「着て!」

「おふっ――!」


 大きな何かに視界を遮られ、ギルは思わず仰け反った。

 どうやら、アンジェリーナがこちらに何か、投げて寄越してきたらしい。


 これは?


 顔から謎の物体を剥ぐと、それはどうやら小汚い布のようだった。

 しかしよく見てみると、フードらしきものがある。


「なんだこれ――あ、ローブ!?」


 いつか街へ出かけるときに、着て行った――。


「行くよ」

「え」


 そう一言言い捨てると、アンジェリーナはすたすたと、部屋の入口とは反対方向へ足を進めた。


「行くって、どこに!?」

「カイオラに」

「は!?」


 信じられないという面持ちで、ギルはアンジェリーナをまじまじと見つめた。


「お前、何言って――」


 しかしそこでギルは気づいた。

 アンジェリーナが行った先、何があるのか。


 まさか――!


 今さら気づいたとてもう遅い。

 アンジェリーナは慣れた様子で窓枠に足を掛け、そしてそのままぐいっと体を持ち上げた。


 そして――。


「あ、ちょっ――!」


 ギルの制止も虚しく、アンジェリーナは窓から姿を消した。

 急いで下を覗くと、一体どこへ向かうつもりなのか、アンジェリーナは軽々と地面に着地し、その勢いのまま走り出した。


 忘れてたわけじゃない。

 でも、嘘だろ!?


「あ゛ぁー、もう!!」


 こうなってしまえば選択肢はもうない。

 ギルは頭をわしゃわしゃと掻きむしると、ガッと窓に足を掛け、勢いよく外へ飛び出した。




 ――――――――――


「待て、アンジェリーナ!!」


 城の裏庭、その外周を、二人が爆走していた。


「どこ行くんだよ!お前」

「森!」

「森!?」


 くっそ、なんでだ。

 思ったより距離が縮まらねぇ。


 先に下へ降りたとはいえ、所詮12歳の少女と17歳の兵士。

 普通なら、数秒で追いつきそうなものだが、数十メートル先を行くアンジェリーナの背中は、全然大きくなっているようには見えなかった。


「あいつ、こんなに足速かったっけ?」


 そのとき、ローブが風に揺れ、アンジェリーナの腰元がちらりと見えた。


 あれは、ベルト?――そうか、身体強化!


 そう、アンジェリーナが身に付けていたもの。それは、以前ジュダがプレゼントした、あの魔石入りのベルトだったのだ。


 なるほど。どうりで追いつけないわけだ。

 このままじゃあ、ろくに近づけない。

 となれば――。


 ギルは大きく一歩を踏み出し、そしてぐっとその足に力を込めた。


「身体強化には、身体強化だ!」


 力を解き放つと同時、ギルの体は宙に突き飛ばされた。

 しかしもちろん、これは想定通り。

 ギルはアンジェリーナのほぼ真横に着地した。


「なんで森なんだ!?」


 なおも足を止める様子のないアンジェリーナに、ギルは大声で問いかけた。


「森以外で、今まで発動したことないから、念のため」

「“発動”?何言ってんだ?」

「言ったでしょう?カイオラに行くって」


 カイオラに行く――あ!


 数秒考えたのち、ギルは思い付いた。


「まさか、“テレポート”使う気か!?」

「そう!」


 そうか。そういうことか。


 ようやく気が付いたアンジェリーナの意図に、ギルは合点がいった。


 アンジェリーナがずっと練習していた“テレポート”。

 決起パーティーの前日に完成したって、後から聞いてはいたけど。

 まさか、ここで使うとは。


 でも――。


 こちらをちらりと見ることもなく、ただひたすらに前を行くアンジェリーナに、ギルは我慢の限界だった。


「ちょ――待てって!!」


 再びばっと足に力を入れ、ギルはアンジェリーナの目の前に跳び下りた。

 ハァ、ハァ、と肩で息をしながら、二人がようやく向かい合う。


「一度冷静になれって、カイオラに行くったって、行ってどうすんだよ!ジュダさんの生死を確かめにでも行くのか?お前もわかってんだろ?カイオラは、今は戦闘区域じゃないだけで、ものすごく危険なところなんだよ!いつ爆撃されてもおかしくない。そんなところに、姫様を連れて行けるわけないだろ!?それに、たとえジュダさんに会えたとして、今更どうすることも――」

「ねぇギル、知ってる?」

「あ?」


 ギルの言葉を遮り、アンジェリーナは語り始めた。


「魂はね、死後一日で消えてなくなるんだって」

「え」


 突拍子もない話に、体が固まる。


「つまりね、たとえ体が死んでいたとしても、魂は約一日体に残り続けるの――ねぇギル、言ったことあったっけ?」


 そのとき、アンジェリーナがぱっと顔を上げた。


「私の能力」


 琥珀色の澄んだ瞳が、こちらを覗き込んでいる。

 まるでそれは、心のすべてを見通してしまえるかのような――。


 あ。


 そこでギルは思い出した。

 アンジェリーナが生まれながらに持つ、その力の内容を。


「“記憶の旅人マインドトラベラー”、あの力ならまだ、やれることがあるかもしれない」


 アンジェリーナの決意に満ちた眼差しが、ギルを貫いていた。

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