第182話 囁き
周りの音が、やけに遠くから聞こえる。
「そうだ!せっかくですし、お二人で踊られては?」
「「え?」」
アンジェリーナにクリス、また面倒な話題を振られているのか。
「え、踊る?」
「そうですよ!せっかくこの場に姫様と許婚様が揃っておられるのですから、こんな機会はそうそうないでしょう?」
この男、モリス最高司令。
声が大きいな。
二人とも困惑しているというのに。
「何々?アンジェリーナ姫とクリス様が?」
「嘘でしょう!?お二人が踊られているところを拝見することができるだなんて!」
ほら、周りがざわつき始めた。
「どうでしょう?他の皆様もこうおっしゃられているようですし」
何を白々しく。
初めからこれが狙いだったんだろうが。
わざと二人が逃げられないようにして、たちが悪い。
「では、一曲だけ」
これ以上抵抗しても立場が悪くなるだけ。
外堀を埋められて、どうしようもなくなったのだろう。
クリスがそう言うや否や、辺りがわっと盛り上がった。
「――安心してください。これが終わったらそのままお席へ戻られていいですから」
不安げに口をきゅっと結ぶアンジェリーナを見下ろし、クリスは優しくそう囁いた。
そして、慣れた様子でエスコート。
アンジェリーナをホールの真ん中へと導いた。
バイオリンの調べを合図に、演奏が始まる。
煌めくシャンデリアの
踊りの良し悪しなど、わかるはずもない。
だが――。
「――ちっ、絵になるなぁ」
隣でぼそっとギルが呟いた。
嫉妬のにじみ出た声。
どうしてそんなに悔しがることができる?
見てみろよ、あの二人を。
100人以上の群衆が見つめる中、堂々と。
華やかな舞台にも全く見劣りしない、華麗な振る舞い。
その姿はまさに、姫と王子。
誰しもがその光景を、息を飲んで見守っていた。
そういえば、アンジェリーナとクリスがこうして一緒に踊るのは、これが初めて。
デビュタントは急な変更で、国王様と一緒に踊っていたし、その後の舞踏会でも、タイミングが合わず、そもそも機会がなかったのだ。
クリスのやつ、相変わらずの無表情。
愛想笑いもろくにできないだなんて、本当に大丈夫なのかと疑いたくなる。
だが、そんな俺の心配など不要なのだろう。
だって、あんなふうに、アンジェリーナがのびのびと踊っているところは、今まで見たことがない。
クリスのリードがうまいのか、もしくはあいつにしかできない、何かがあるのか。
いずれにしろ、今のアンジェリーナとクリスを見るだけで、二人がどんなにお似合いであるか、痛感させられる。
光注ぐホールで輝くアンジェリーナと、暗闇に埋もれる自分。
立場、いやそれ以前に人間として、違いは明白なのに、どうして一緒にいられると思い込んでしまったのだろうか。
曲が終わり、二人の動きが止まる。
途端、会場から拍手の嵐が巻き起こった。
普段なら水面下の攻防を繰り広げる貴族たちも、今はただ、この国の若き後継者二人を称えている。
その声に答えるかのように、アンジェリーナとクリスは優雅にお辞儀を返した。
やっぱり、すごいな。あいつは。
初めから終わりまで、綺麗な流れのまま、手を放し、互いに礼をして――。
「――――」
なんだ?
去り際、アンジェリーナはクリスを見上げ、何か一言、言葉を放ったような気がした。
当然、こちらからその内容を窺い知ることはできない。
ただ、どこかアンジェリーナの表情が悲しげに見えて。
しかし、クリスの返事を待たずして、アンジェリーナはけろっとした態度で、すたすたとこちらに歩み寄ってきていた。
この感じ、気のせいだったということなのだろう。
そもそも、あの二人が何を話していようと、関係ないわけだし。
まぁいい。この後は予定通り、元の席に戻ればいいのだから――。
「ジュダ」
そのとき、すぐ側から声が聞こえた。
一瞬のうちに体が硬直する。
体が触れ合うか触れ合わないか。
そのギリギリ真横で、アンジェリーナは足を止めた。
「パーティーの後、稽古場に来て」
「――え」
こちらに顔を向けることなく、聞こえるか聞こえないかという声で、アンジェリーナは一言そう放つと、何事もなかったかのように、自分の席へと戻っていってしまった。
「パーティーの、後、稽古場?」
ざわめきを取り戻した群衆の中、その意味を反芻するかのように呟いた。
何もかも終わった、そう思っていた。
でも――。
まだ、心が置き去りにされている。
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