第179話 慟哭
肩の力を抜いて、剣に集中。
地面の鼓動を感じて、感じて――。
「《
瞼の裏、広がる視界によく目を凝らして、目指す先は、前にぶつかったあの木。
その手前、30センチを、プロット。
――よし。
目を開け、正面の剣を抜き、剣先を体の左前、地面にセット。
右足は大きく後ろへ。
ぐっと踏み込み、遠心を利かせ、体を回しながら、ぐるっと地面に円を描く!
「《
ぷわぁぁっと光が溢れ出し、アンジェリーナの体を包み込んだ――。
「え?」
目を開けると、視界いっぱいに見えるのは木の幹。
そしてその瞬間、アンジェリーナは気がついた。
「――やった」
木から30センチ手前。
自分が今まさに、目標地点その場所に立っているということに。
「やったぁ!!」
笑顔を弾けさせ、喜びを露わに、アンジェリーナはその場でぴょんぴょんと飛び跳ねた。
初めての、瞬間移動成功!
念願のテレポート!!
しかも、プロットした場所と一寸違わぬ、文句なしの完璧な仕上がり!!!
「頑張った甲斐があった!」
「――へぇ、成功したのか。すげぇじゃん!」
その声に、アンジェリーナははっとして動きを止めた。
この、憎たらしい声。
「ポップ!?」
振り向くとそこには、仁王立ちでこちらを見つめるポップの姿があった。
「え、なんか久しぶりだね」
「“なんか”とは何だ、“なんか”とは」
「いやだって――」
最後にポップと会ったのはいつだっただろうか。
確か、最初にギルを紹介したとき?
まぁそれまでも、頻繁に会っていたというわけではないのだけれど。
アンジェリーナの怪訝そうな顔に、ポップははぁとため息をついた。
「お前なぁ?本来何人の侵入も許さない禁断の森に、こうほぼ毎日人が来てうるさくしてりゃあ、俺だって出て行きづらいだろうが」
「え、それはポップが許可したからであって――」
自業自得では?
「というか、今やってたのって、テレポートか?」
「あ、うん!そうなの!」
ポップの言葉に、アンジェリーナのスイッチが入った。
「“サーチ”してからの、“テレポート”。思い描いていた理想、そのままを実現できたの。これってすごいことだよね!?」
「はいはい、そうだな」
ポップは相変わらず軽くあしらっていたが、今のアンジェリーナには、それすらも心地よく聞こえていた。
きっとそんなことも気にならないくらい、心が高ぶっていたのだろう。
「はしゃぐのはいいけどよ。お前、まだまだこれからだぞ?今なんて、言って肉眼で見えるところじゃねぇか。テレポートって本来、すごい遠くのところにいけるもんじゃねぇの?」
「わかってるよ。そんなこと」
正論をかましてくるポップを、アンジェリーナはジト目で見つめた。
確かに、その課題はある。
今はまだ、広間の端から端まで、見える範囲を飛べただけ。
「――でもまぁ、何となく解決策は浮かんでいるような気がするし」
「お?」
アンジェリーナはぼそっと呟いた。
「ははっ、虚勢じゃねぇといいんだけどな?」
どうしてこの人は、いちいち嫌味な言い方をするのだろうか。
アンジェリーナは沸々と湧き上がってくる苛立ちをぐっとこらえた。
はぁ。さて、気を取り直して、練習に戻ろう――。
「そうだ、アンジェリーナ。ちょっとついて来いよ」
「――何?唐突に」
何の前触れもなく、ポップは突然そう言い放った。
「面白いもん見せてやるよ」
「え?」
訝し気に首を傾げるアンジェリーナを前に、ポップがにやりと笑った。
――――――――――
『それってただ逃げてるだけじゃないですか!』
頭の中でギルの言葉が繰り返し襲ってくる。
ジュダはただ一人、泉の前に立ち尽くしていた。
「誰が逃げてるって?俺が?」
ジュダはぼそっと呟いた。
「俺は、どこにも逃げてねぇよ。ただ動けないだけだ」
――ズクン。
「そうだろ?だって、俺はずっと茨に刺されたまま」
――ズクン。
「お前らが先に行くのを見守って。そんで、お前らは向こうで楽しく笑っていて」
――ズクン。
「行けるならとっくに行ってる。行けないからここにいるんだ」
――ズクン。
「そうだ。そうに決まってるだろ。そうでなきゃ――」
そのとき、胸の奥から喉を通って、何かがせり上がってきた。
思わずゴホッゴホッと咳き込む。
ハァ、ハァと荒い息の音がうるさく聞こえてくる。
『どうして俺が憧れた人を、その人自身に否定されなきゃいけないんだ!』
再び脳裏にギルの言葉がよぎる。
ジュダは頭を押さえた。
「知らねぇよ。そんなの」
汚い言葉ばかりが湧き上がってくる。
「俺は別に、お前に憧れられるために、生きてるんじゃない」
――ズクン。
「俺は、この国のために生きてる。国のために命を燃やす。灰も残らぬほどに」
――ズクン。
「兵士たるものそうあるべきだ。俺はそれをずっと信条としてきた。なのに――」
『『当たり前の日常を、彼にプレゼントしてあげたい。穏やかな、何の変哲もない日常だからこそ、また帰ってきたいと思えるでしょう?』って、そう言ったんですよ。アンジェリーナは』
喉が苦しい。
ジュダはごくりと無理やり唾を飲み込んだ。
『ジュダさんだって、わかるでしょう?アンジェリーナが、どんな気持ちで、その言葉を発したのか。あなたのことを、誰よりも、大切に思っているからだ』
痛みが引かない。
こんな苦しい回想など、したくはないのに。
頭の中で、誰かがそれを許してくれない。
『ジュダさんだって本当は知っているんでしょう?アンジェリーナがジュダさんのことを――』
何か、糸が切れたような音がした。
「俺が、アンジェリーナを好きなわけがないだろ!?」
気が付いたときにはそう叫んでいた。
何のことはない。ただの独り言。
でもそのとき俺は、気づいていなかった。
ギルが当の昔に、この場を立ち去っていたという事実に。
それならば、今まで投げかけていたこの言葉は、一体どこへ行くのだろうか。
一体誰に届くのだろうか。
――そしてその言葉は、非情にも、最悪な方向へと導かれた。
――――――――――
「え」
その瞬間、全身から血の気が引いた。
小さな、聞き覚えのあるその声に、ジュダははっと息を飲んだ。
見てはならない、そっちを見てはならない。
心が叫んでいた。
だが、体は言うことを聞かなかった。
ぱっと横を振り向いたその先には、口を開け、目を見開き佇む、アンジェリーナの姿があった。
「あ、んと、えーっと――」
困惑した様子で言葉に詰まるアンジェリーナ。
何か言ってやらないと。何か――何を?
口をパクパクさせるだけで、声が全く出てこない。
「なんか!」
そのとき、凛とした声が響いた。
ビクッと体を震える。
俺はゆっくりと顔を上げた。
「何か――タイミング、悪かったかな」
アンジェリーナは、ぎこちなく笑った。
その表情に、体が固まる。
「ごめんね。えっと――あ、私、先に帰ってるね。きりも良かったし――うん、それじゃあ、また」
「あ――」
最後、自分は何を言おうとしたのだろうか。
たとえ、何を言ったとしても、言い訳にもならない。
でも、俺は、言い訳すらできなかった。
全身の力が抜けるよう。
ジュダは膝から崩れ落ちた。
アンジェリーナの声、震えていた。
無理をして、笑顔まで作って、気を遣わせてしまった。
地面の上、拳を握りしめる。
爪がギリギリと、土を削る。
わかっていた。本当は。
俺は、本当はわかっていた。
ギルの言っていたことは、すべて正しい。
俺は、本当は逃げていた。
自分は逃げていない。ただ、動けないだけなんだって。他人も、自分も、偽って、言い訳ばかりして、正当性を主張して。
だから仕方がない。そう決め込んでいた。
結局、自分が楽になりたかっただけで。
本当は、茨など、地面に生えてはいなかったんだ。
その根っこは自分の心の中から生えていて、自分自身の体を縛り上げていた。
切ろうと思えば切れたんだ。
ただ俺が、動けなかったのではなく、動かなかったんだ。
ジュダは地面に額を付け、口を手で塞いだ。
もはや、何を押しとどめることもできないのに。息はただ漏れ続けているのに。
自分の気持ち一つ、認めることもできないまま、まっすぐに慕ってくれていた弟子を失望させ、挙句の果てに、俺は――。
俺は、一番傷つけたくないものまで、傷つけてしまった。
「う、ぐ――ぐっ、ハァ」
静かな森、風の音にかき消されそうなほどか弱い、男の慟哭が聞こえていた。
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