第178話 言葉の矢

「思いを踏みにじる?何のことだ」


 泉の中央、ポップ石が赤々と激しく光を放っている。

 その前、ジュダとギルはで互いに互いを睨み合っていた。


「昨日、話していたんです。ジュダさんが勉強会で」


 わざとらしく言葉を強調し、ギルは当てつけのように言った。


「俺が、アンジェリーナに聞いたんですよ。『ジュダさんとのこと、このままでいいのか』って。そしたら何て答えたと思います?」


 そうこちらに問いかけ、ギルはふぅと息を吐いた。


「当たり前がいいって言ったんです」

「え」


 口から思わず言葉がこぼれた。


「『当たり前の日常を、彼にプレゼントしてあげたい。穏やかな、何の変哲もない日常だからこそ、また帰ってきたいと思えるでしょう?』って、そう言ったんですよ。アンジェリーナは」


 っ――!


 喉のあたりが苦しい。

 ジュダは自身の胸ぐらをぎゅっと握りしめた。


「言われた途端、はっとなりました。だって、そんなこと、生半可な覚悟がなければ、言えるはずがない。俺だったらきっと言えない。だからこそ、アンジェリーナの思いを汲んでやりたいと思った。そのために、俺もいつも通りにあろうって。なのに――」


 ジュダはごくりと何かを飲み込んだ。


「なのに、どうして当の本人である、ジュダさんが、その場にいないんですか!?どうして、どうして――!」

「馬鹿だろ、お前」


 ギルの言葉を遮り、ジュダは低く発した。


「また帰ってきたいと思える?違うだろ。お前もよく知っているはずだ。我々国軍の信条は、『我が国のため、命を捧ぐ』。つまり、国のために命を燃やせということだ。戦争に行っていいのは、その地で死ぬ覚悟のあるやつだけ。行く前から帰ってきたときのことを話すだなんて、そんな理想論、俺には興味がない」

「――本気で言っているんですか?」


 信じられないという面持ちで、ギルは声を震わせた。


「ジュダさんだって、わかるでしょう?アンジェリーナが、どんな気持ちで、その言葉を発したのか。あなたのことを、誰よりも、大切に思っているからだ。好きだからだ!好きだからこそ、帰ってきてほしいという気持ちを、押し殺して、迷惑にならないように、密かに想っているんです!それなのに、それなのにあなたは――」

「くだらない」


 しかしジュダは短く吐き捨てる。


「誰が誰を好きだの、まだそんなこと口にしているのか。アンジェリーナは、一国を背負って立つ姫様だ。将来はクリス様と結婚することが決まっている。そんなお方が、俺なんかを好きになるわけがないだろ?」

「は?」


 そう呆れたように一言こぼすと、ギルはふふっと笑った。


「ジュダさんこそくだらない。まだそんなこと言ってるんですか?」

「何?」


 口角の上がったその口元とは裏腹に、目は一切笑っていない。


「とうの昔にわかってるんですよ。ジュダさんが、アンジェリーナのことを、どう想っているかだなんて。好きなんでしょう?ずっと前から。アンジェリーナだってわかっていますよ、そんなこと。ジュダさんだって本当は知っているんでしょう?アンジェリーナがジュダさんのことを――」

「いい加減にしろ!」


 長く捲し立てられた言葉の数々を、ジュダはピシャリと断った。

 その息は荒く、肩は震えている。


「俺がアンジェリーナのことを好き?そんなことあるはずがない!俺はアンジェリーナ姫の近衛兵だ。それ以上の関係などありえない。それ以上の感情を抱くなんてこと、ありえないんだよ」

「あなたって人は、往生際の悪い――」


 そこまで言いかけて、ギルはふぅと長く息を吐いた。


「ジュダさん、さっき言ってましたよね?俺に自分の存在を否定されたって。要は、俺や、アンジェリーナ、それからクリスと自分との間に大きな溝が見えるってことですよね?でもそれって、結構簡単に解決できるんじゃないんですか?」


 あくまで冷静に問いかけるギル。

 そのあまりの静けさに、心がざわめく。


「ジュダさんもこっちに渡ってくればいいんですよ。溝なんてぴょんと跳び越えて。それか、迂回してきてもいい。どんなに時間がかかってもいい。つまり、俺が言いたいのは――」

「やめてくれ、」


 再びギルの言葉を遮り、ジュダは大声を上げた。


「もう、いいんだ。俺は、このままで。ずっと対岸からお前らのことを眺めているだけで」

「何を言って――」

「足が、動かないんだよ。行きたくても、行けないんだ。それなのに、はるか後方にいたはずのお前は、どんどん先へ行ってしまって。俺なんかとっくの昔に通り過ぎて。違う世界だと思っていたやつらの隣で笑っている。お前と俺は違うんだよ!」


 静寂な森に、自分の声だけが響いている。

 その残響に、喉がまた苦しくなる。


「俺、ダメです」


 そのとき、ギルがぽつりと呟いた。


「当たり前の日常を過ごすって、アンジェリーナと約束したはずなのに。結局、あなたとぶつかって、本当はこんなことしたくない。言いたくない。でも――」

「ギ――」

「我慢の限界です」


 目が合った。

 怒りを孕んだ、でもどこか悲しげなその表情に、それ以上言葉が出なかった。


「何が『先へ行った』だ。何が『とっくの昔に通り過ぎた』だ」


 ギルの鋭い眼光が、容赦なくこちらを貫く。


「俺は、常に、あんたの背中を追っているんだ。今も!なのにそんなふうに自分を卑下してばっかり。どうして俺が憧れた人を、その人自身に否定されなきゃいけないんだ!」


 自身の胸を押さえ、赤く潤んだ目を必死に見開き、語気を荒げながら、ギルは叫んだ。


 飛んでくる、まっすぐすぎる言葉。

 正真正銘、自分の本音。


 ジュダはまた、ごくりと何かを飲み込んだ。


「俺は――」

「本当は、“動けない”んじゃなくて、“動かない”だけなんでしょう?」


 声を失ったかように何も発することができない。


 しかし容赦なく、血のにじんだ言葉の矢は降ってくる。


「“動けない”って思い込んでいるほうが、楽だから。自分はどう頑張っても、ここから動けないって、だからどうしようもないんだった、他人にも自分にも言い聞かせて。挑戦することさえ諦めて。アンジェリーナのことだって、本当は好きなのに、頑なに事実を認めないのも、結局自分が傷付くのが怖いだけなんでしょう?」


 ハァ、ハァ、と肩で息をし、そしてギルは言い放った。


「それってただ逃げてるだけじゃないですか!」






「――すみません、俺、少しアンジェリーナの様子、見てきますね。ついでに頭、冷やしてきます」


 頭が、動かない。

 まるで、鈍色の雲がかかったよう。


 そのとき俺は、ギルが一人立ち去っていたことに、気づいていなかった。

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