第180話 無言の絶望

「ん?」


 草陰から音がする。

 ギルはひょこっと顔を覗かせた。


「アンジェリーナ!?」

「え、あー、ギル――」


 大きく目を見開き、ギルはばっと飛び出した。


「どこ行ってたんだよ!探したぞ?広間に行ってもいねぇから」

「うん、ごめん」


 息を切らし、心配を露わに捲し立てるギル。

 しかし、アンジェリーナはどこか元気のない様子で、うつむきがちに返事をした。


「なんか、あった?」

「ん?いや――私、今日はもう帰るから」

「え」


 そう言い捨てると、アンジェリーナはすたすたと歩き去って行ってしまった。


「え、え、ちょっと!?――あ、そうだ。荷物」


 急いで広間へ戻り、二人分の荷物を抱えて、ギルはアンジェリーナの後を追った。


 ったく、目を離したすきに何があったんだ?

 というか、アンジェリーナが来た方向――。


 ジュダさん?




 ――――――――――


「顔を洗うには、その水は不釣り合いじゃねぇのか?」


 その声に、泉を覗き込んでいた男は体を起こした。


「ってまぁ、そもそもお前らだって水汲みに来てたし、その前の奴らなんか洗濯に使ってたからなぁ。言うほどの価値はねぇんだけど――あっ、おいおい無視すんなよ」


 黙ってその場を立ち去ろうとした男に、ポップは急いで声をかけた。


「怒ってねぇのか?俺のこと」

「―――」


 無言かよ。


「たとえ俺が、アンジェリーナをここへ連れてきたとしても?」


 その一言に、ようやく男は足を止め、そしてゆっくりと振り返った。


「はぁ。やっと止まってくれたか。ちょっとお話しようって言ってんのにさ――」


 しかしその瞬間、ポップは固まった。


 はっ、目真っ暗。

 何の光もねぇ。

 まさに絶望のどん底ってか?


 ジュダは焦点の合わない目で、虚ろにこちらを見つめていた。


 この反応。こいつ、まずいタイプか?


「悪かったって!お前みたいな奴見てると、どうしてもからかいたくなるんだよ。いじめがいがあるというか――昔にもさぁ、似たような男がいたもんで」


 いつものように軽口を叩くも、向こうに返事をする素振りはない。


「あ、でも、ちょっと違うか。あの男は現実に目を背けたまま、取り返しのつかないことになった馬鹿だけど、お前はどちらかというと――端から全てを諦めてるって感じだな」


 その言葉に一瞬、ジュダはピクリと眉を動かしたような気がした。

 しかし結局、何を言い返すこともなく、静かにこちらから目線を外してジュダは立ち去って行った。


「ちっ、つまんねぇの。煽りがいがないやつだなぁ。こう考えてみると、あのイヴェリオは相当打たれ強かったのかな?まぁ、アンジェリーナの父親だから当然か」


 ふぅとため息をつき、ポップは地面に寝転がった。


 ジュダ、あれは相当に溜め込むタイプだな。

 ギルの正論責めが引き金となって、最悪の場所に被弾したって感じだな。

 言ってアンジェリーナは大丈夫だろうが、あの男はどうかな?あのままじゃあ、立ち直り不可能だろうな。


 ポップはうーんとその場で体を伸ばした。


 ――それにしても、ギルは案外大人だったか?

 本当は、男二人が自分の取り合いをしている場面を、あいつに見せつける予定だったんだが――あてが外れたな。

 ま、これはこれで面白くなったし。満足満足。


 アンジェリーナのやつ、怒ってるかな?

 それはそれでまた楽しみが増えるのだけれど。


「はぁ。母娘そろってどうしてこう、男の趣味が悪いんだか」


 ポップはがばっと体を起こし、膝の上に頬杖をついた。


「なぁジュダ?お前は自分が隠せばいいと思っているんだろうが、そううまくいくもんじゃねぇぞ?幸せの形は人それぞれだ。アンジェリーナのこと、あんまり舐めるなよ」




 ――――――――――


 結局あの後、アンジェリーナは何があったのかを話してはくれなかった。

 一人遅れて戻ってきたジュダさんも、俺との言い合いの後、何があったのか。

 今まで見たこともないほど生気の抜けた表情で、うわの空で残りの仕事をこなしていた。


 こういうとき、無情にも時間は早く過ぎ去るもので、その日は訳がわからぬうちに終わった。


 そして、否応にも時は来る。


 7月19日。ジュダさんとの最後の任務。

 饗宴が今、幕を開ける。

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