第176話 現実主義
惑う心は止められず。
出した答えはかりそめで。
結局、何が良いのかもわからぬまま、時だけが経っていく――。
「ジュダさんって、どことなく、イヴェリオ様に似ていますよね」
「「え」」
しんみりしていた場の空気が、一瞬にして冷え固まった。
今はまだ、勉強会の真っ最中。
アンジェリーナの独白の後、訪れた沈黙。
しかし、それを破って、突然クリスが口火を切ったのだ。
「え?ジュダがお父様に?」
「だ、急になんだよ。突拍子もない」
「すみません。何となく」
クリスらしくもない、曖昧な返事。
かなり不自然な流れに、ギルが困惑するのも頷ける。
しかし、そんなことより、アンジェリーナの頭は、別のことでいっぱいになっていた。
「そんなのあり得ない」
「え?」
アンジェリーナはぼそっと呟くと、机に身を乗り出した。
「ジュダが、あの人なんかに似ているわけないでしょう!?」
「あの人って――やめろよ!仮にも国王に、というか自分の父親に向かって」
「だって私、国王としてのお父様、嫌いだもん」
「あ?」
そう。混乱するよりも何よりも、アンジェリーナは、ジュダと自分の父を同格と思われることが、我慢ならなかったのだ。
声を張り上げ、むっと口を曲げるアンジェリーナに、ギルははぁとため息をついた。
「お前な――」
「で?クリス、どこが似てるって?」
「無視するな!」
ギルの主張を完全に無視し、アンジェリーナはクリスに詰め寄った。
「アンジェリーナ様はそうおっしゃいますが、私は結構似てると思いますよ。あのお二方。ほら、二人ともいつも眉間にしわを寄せているところとか」
「――まぁ確かに?」
ジュダもお父様も、普段機嫌の良いことのほうが少ないから。
お父様が笑ったところなんて、ほとんど見たことすらないし。
「それからもう一つ、ジュダさんっておそらく、現実主義者なのではないかと」
「げんじつしゅぎ?」
聞き慣れない言葉に、ギルが首を傾げた。
「『理想や空想を追い求めるのではなく、あくまで今ある現実に目を向け、それを第一に置く』という考え方です」
理想ではなく、現実を――。
そのクリスの説明は、アンジェリーナの心に、妙に引っかかった。
「あー確かに、ジュダさんって結構、そういう考え方するかも。今自分にできることをできるだけやるっていうか」
「でも、お父様のあれは別に、現実主義ではないんじゃないの?あれはただの現実逃避」
「お前いい加減にしろよ?」
ギルのツッコミに、なおもアンジェリーナは頬を膨らませていた。
だって、お父様はただ、おじい様の言いなりになっているだけでしょう?
古い政策をそのまま引き継いで、それが間違いだって自分でわかっているくせに、何も変えようとしないで。
「まぁ、現実主義なのか、現実逃避なのかは置いておいて、二人とも何となく、似た雰囲気があるな、と思っただけです。すみません。突然変な話をして」
「本当だぞ」
確かに、唐突すぎて驚いたところではあるけれど――。
アンジェリーナは改めて、目の前のクリスをじっと見つめた。
たぶん、クリスなりに、気を遣ってくれたんだろうな。
暗くなってしまった雰囲気を、どうにか塗り替えたくて、わざと突飛な発言を。
クリスらしからぬ詰めの甘さも、きっとわかりにくいだけで、動揺していたんだろうな。
「いいよ。ありがとう。クリス」
アンジェリーナは感謝の意を込めて、クリスに優しく微笑んだ。
「さ!じゃあ俺も、頑張ろっかな?いつも通り、自分の仕事をこなして、笑顔溢れる毎日を!」
「ふふっ、なんかわざとらしい」
「あ!?」
思わず吹き出したアンジェリーナを、ギルはきっと睨みつけた。
こういうところ、ギルの長所だよなぁ。
ギルにも、感謝しないと。
「というか、当の本人はどうしたんでしょうね?」
――あれ?
クリスの言葉に、アンジェリーナは気が付いた。
もう、勉強会が始まってから15分以上が経つというのに、ジュダが来ない。
「ギル、何か聞いてる?」
「えー?今日は別に、パーティー関連の用事もなかったはずだけどな。急用でも入ったのかな」
ギルも、わからないんだ。
「ったく、せっかくこちらが決意したってのに、本人がこの場にいなけりゃどうしようもねぇだろ」
「まあまあ、しばらくしたら来るんじゃないですか?時間は有限。そろそろ今日の勉強に入りましょう」
「あ、うん」
楽観的な二人に対し、アンジェリーナの中には、不安のもやが広がっていた。
ジュダは、こちらがもう少し気を抜いたらいいのに、と思うほどの真面目さ。
当然時間にも厳しく、どんなに細かいことでも、連絡を欠かさない。
ただ、最近の忙しさを見るに、ギルの言う通り、急用が入ったと思うのが自然なんだろうけど――。
何がこんなに引っ掛かってるんだろう。
――――――――――
「あ、バーグさん」
「――よぉ、ギル。独り立ちはできそうか?」
その夜、ギルは食堂に来ていた。
この時間、食堂は混みあっていて、席がないことも度々。
しかし、今日は運が良いらしく、たまたま特別警備隊バーグの隣が一席空いていた。
「独り立ちって、子どもじゃないんですから」
「18はまだまだ子どもだろうが」
まぁ実際は、まだ17なんですけど。
心の中で呟きつつ、席に着く。
あ、そうだ。
椅子に腰かけ、夕食に手を伸ばそうとしたとき、ギルはふと思いついた。
「バーグさんって、明後日のパーティー、警備責任者でしたよね?」
「それがどうした?」
深い意味はない。
ただ単純に気になっていただけ。
ギルは軽い気持ちでバーグに尋ねてみることにした。
「今日って、パーティーの打ち合わせとかありました?」
「ん?」
突然の質問に、バーグは口をもぐもぐさせながら答えた。
「そりゃあ、明後日に迫ってるからな。今日もこれからまた準備だ」
「緊急で何か入ったりしました?例えば、こちらにも影響するような」
「こちら?お前らにってことか?いや、そんなのはなかったはずだが。そもそも今日は予定通りの集まりしかなかったはずだぞ?」
「――え」
一瞬、時が止まったような気がした。
じゃあ、勉強会のとき、ジュダさんが来なかったのは?
あのとき、勉強会の最中、三人は気づいていなかった。
部屋の外、ドア前で、じっと立ちすくむ男に。
ドアノブに手をかけることもできず、手を震わせるジュダの存在に。
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