第173話 遭遇

 川のほとりに俺は一人、茨に足を止められて、どれほどの時が経っただろう。

 対岸にはまだ、アンジェリーナとクリスの姿があった。

 二人だけならとっくに先へ進めるのだろうに、目に着く範囲にいてくれるのは、俺を待ってくれているのか。

 しかし、足を動かそうにも、茨はどんどん絡みついて、その棘を深く食い込ませてくる。


 ふと向こう岸のほうに目をやると、二人は何かを熱心に話し込んでいるようだった。

 時折、アンジェリーナの表情がぱっと明るくなるのが、かろうじて見える。

 きっと彼女にとっては、とても楽しい話をしているのだろう。

 だがこちら側にいては何を話しているのか、皆目見当もつかない。


 やはり身分も教養も異なる、俺と二人とじゃあ、住む世界が違うのか――。


「うおっ、でっかい川!」


 そのとき、藪から棒に声が聞こえ、ジュダはぐるっと後ろを振り返った。

 見るとそこには、ギルがいた。


「げっ、あいつらいつの間にあんなところに。くそっ!」


 そう吐き捨てると、ギルは何を思ったのか、背後の森へと駆け込んでいった。

 が、そのわずか数十秒後――。


「よーし!行くぞ」


 ギルは再び川岸へと戻ってきた。

 その手には、一体どこで手に入れたのだろう。長い長い竹の棒が握られていた。


 ギルはトットットッと数歩後ろへ下がると、勢いをつけて走り出した。

 助走は十分。川底へ長い竹を振り下ろし、同時に全力で跳び上がる。


 見事、川のちょうど真ん中あたりに刺さった竹は、大きくしなり、ぐいっとギルの体を持ち上げた。

 そしてそのまま対岸の方向へ倒れ込み――。


「だっ、いでっ!」


 ギルは向こう岸に着地した。

 ゴロゴロとした川原に結構な高さから降りたため、足への負担は相当なようだが。


 それを見て、アンジェリーナが笑っている。

 声は聞こえないが、ギルの反応を見るに、二人からからかわれているようだ。


 その様子を俺はただじっと見つめるばかりだった。


 初めから居たはずなのに、後から来たギルに易々と超えられて、行けないと思っていたはずの二人の領域に、ギルは軽々と入っていった。


 結局、身分とかどうとか、そんなものは言い訳にしかならないのだと悟った。

 ならば俺にも行けるのではないか――。


 しかし、茨はなおも足を突き刺し、俺を地面に縛り付けたまま。

 三人の楽しそうなさまを、俺はただただ眺めているばかり――。


 ――――――――――


「では、これで失礼します」


 夜も更け、月が明るく照らす中、未だ挨拶回り中のギルとジュダは部屋を出た。


「夜勤組の挨拶まで今日済ませるって、本当どうかしていますよ」

「仕方ないだろ?時間は限られている。警備責任者ではないものの、パーティーの準備もあるしな」


 とはいえ、もう日付またぐだろ、これ。


 ギルは眠い目をこすった。


「でもまぁ、今日の分は終わりましたね。ジュダさんこれからは?」

「入隊手続きの関係で寄るところがある。先帰っていていいぞ」

「わかりました。お疲れ様です」


 お疲れ、と声をかけ、ジュダは去って行った。


「はぁ。これからまだ仕事だなんて、よくやるよ」

「――本当、よくやりますね」


 聞き覚えのある声に、後ろを振り向くと、警備室の窓口からひょこっと顔が覗いていた。


「ノアさん」

「久しぶりっすね。いや、挨拶には来てたからさっきぶりですか?」


 銀縁眼鏡の男。

 ノア=エリソンはこちらに爽やかな笑みを向けていた。


「ここ勤務だったんですね?俺、基本居住棟にいるので、全然会う機会もなくて」

「確かに。同じ城内とはいえ、だだっ広いっすからね」


 知り合いとはいえ、会ったのはパーティーの夜、一度きり。

 間接的にクリスから少し話は聞いたが、それでも会って二度目というのは、なんだか緊張する。

 お互いにそうなのか、何を話すでもなく、微妙に気まずい空気が流れる。


「あ、すみません。せっかくお仕事終わったっていうのに拘束して。早く寝たいっすよね」

「あぁー、はは」


 相手に気を遣わせ、しかも曖昧な返事をしてしまった。

 まぁ、眠いのは事実だし。

 これ以上変な空気にしたくないし、ここはお言葉に甘えてそそくさと退散しよ――う?


 そう思って踵を返したところ、ギルはぴたりと足を止めた。


 ん?奥からやってくる、見慣れたあの人物は?


「あれ、クリスじゃん」

「――ギルさん?」


 ばったり遭遇。

 さすがに驚いたのか、クリスはかすかに目を見開いたような気がした。

 高そうな革のかばんを手に提げて、仕事終わりという様相。


「今から退勤か?もう12時過ぎるぞ?」

「ギルさんこそ、どうして?」

「俺は引き継ぎで挨拶回り」


 こうやって平日クリスと会うのは珍しい。

 少し前はこっちに用事があるとかで、居住棟にも顔を出していたようだが、基本、週末の勉強会でしか顔を合わさないからな。


 今週の勉強会は3日後。

 それが、ジュダさんが出席する最後の勉強会になる、はず。

 そういえばあの人、パーティーの準備がどうとか言っていたけど、まさかそっちに駆り出されるなんてないよな?

 もしそうなったら、クリスと一度も会わずにいなくなる可能性も――?


「ギルさん?」


 その声にギルははっと我に返った。


 ぐるぐると考え込んで、ぼーっとしてしまっていたらしい。


 こうやってうじうじ悩むの、悪い癖だよな。

 だからこそ、こういうときは誰かに話を聞いてもらえばいいんだけど。


 そのとき、ぱちっと目が合った。


「え?」


 面倒な何かを察知したのか、クリスは一歩後ずさりした。

 それを見るや否や、ギルは逃すまいとすすすっとクリスに近づく。


「クリス、勉強会の前とかで、一回時間取れる?できるだけ早く」


 突然の無理なお願いに、クリスは目をぱちくりさせた。

 そしてうーんと口に手を当てる。


「そうですね――日中は難しいかもしれません。今日みたいに遅くまでの仕事が続きそうなので。ですから」


 そこで言葉を切ると、クリスはぱっと顔を上げた。


「今ならいいですよ」

「――え、今!?」


 仕返しかというほどの即断即決。

 ギルは思わず声を張り上げた。


「都合悪いですか?」

「いや、あー、うん。いいぞ」

「ではちょっと外で話しましょうか」


 なんで俺がこんなに押されているんだ?


 そんな疑問を心に宿しながら、ギルはクリスに続いて公務棟を出た。



「お疲れ様です」

「お疲れ様です」


 去り際、おそらく定型の挨拶なのだろう。

 ノアとクリスはお互いに会釈していた。


 しかし、ただ、それだけ。

 別に、二人とも変なところはない。

 二人の話、態度から何となく関係性が気になってはいたが、この感じを見るに、ただの知り合い程度ということなのだろう。


 ま、俺の勘違いか。


 外に出て数歩歩いたときにはもう、その疑問はギルの記憶の奥底に沈んでしまっていた。

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