第172話 濃くなる影

「スケジュールは覚えているな?」

「はい。大丈夫です」


 ジュダとギルは居住棟と公務棟を繋ぐ渡り廊下にいた。


「剣術稽古はあと一回。決起パーティーの前日。その前の日は、クリス様との勉強会で、ジュダさんはパーティーの翌日に出立、と」

「そうだ。俺は早朝には城を発つから、気になることがあれば早めにちゃんと言っておけよ」

「了解です」


 現在時刻は午後6時。

 いつもならばまだ、アンジェリーナの護衛任務に当たっている時間。

 しかし、ここ数日は融通を利かせてもらい、ギルと二人、早抜けさせてもらっている。


「今日って公務棟のほうに挨拶でしたよね」

「あぁ」


 今向かっているのは公務棟。

 城内勤務の特別警備隊に挨拶をしに行くのだ。


 つまりは引き継ぎである。


 基本、俺とギルとの間には、業務内容の差はほとんどないのだが、各所への定期連絡等、面倒な細かい仕事もあるわけで。

 内容自体は別に難しいことじゃないのだが、問題は、特別警備隊のお偉いエリート兵士相手に、どれだけうまく立ち回れるかどうか、ということだ。


 最近ではあまり差別的な発言を聞くことはなくなってきたが、最初の頃はひどかった。

 陰口は当たり前。

 どうして卑しいパレス兵なんかが、自分たちと同じ空間で仕事をしているのか。それも姫様専属の近衛兵なんかに、と。


 それを経験しているからこそ、最初の印象は大事にしたい。

 だから、挨拶回りが必要なのだ。


「おいギル、くれぐれも失礼な態度を取るんじゃねぇぞ?こういうのは初手の印象が大切なんだからな」

「大丈夫ですよ。任せてください」


 本当に、大丈夫か?


 自信ありげに腕をパンと叩いてみせたギルを、ジュダは不安げに見つめていた。




「お疲れ様です。王女付き専属近衛兵のジュダです。本日はお時間を取っていただき、誠にありがとうございます」

「まぁ別にいいよ。これくらい」


 ここは警備兵の詰め所。

 例外的な俺やギルとは違い、選ばれしエリートたちの集まる場所だ。

 つまり、俺たちがここに来るのは明らかに場違い。

 ゆえに、周りからの視線が痛い。

 まるで早く出て行ってくれないかと言わんばかりだ。


「それで?お前の後任っていうのは?」

「はい――ギル」


 ここにいると息が詰まりそうになる。

 できるだけ早急に事を済ませたい。


 ジュダは、部屋の外で待機させていたギルを呼び出した。


「ギルと申します。ジュダさんの後任を務めさせていただきます。若輩者ですがこれからどうぞよろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げるギル。

 こいつも知らないうちに大分、社交的な口が利けるようになってきた。


「はい。よろしく」


 そっけない態度で対応する兵士。

 もう慣れたが、こういうことの積み重ねは堪えるものだ。


 だが何はともあれ、挨拶は済んだ。

 さっさと次の場所に――。


「というか――」


 ジュダが退散しようとしていたそのとき、兵士が口を開いた。


「お前、本当に姫様の護衛だったんだな!」


 え?


 突然の切り替えに、ジュダは戸惑い固まった。

 目の前の男は、先程までの真顔から一変、にこやかな笑みを浮かべている。

 その視線の先にいたのは――。


「なっ、信じてなかったんですか!?」

「そりゃあそうだ。お前みたいな子どもに、務まるはずがないならな」

「ひどい!」


 なんだこのフランクな会話は。


 自身の常識外で繰り広げられる応酬に、ジュダはただただ唖然としていた。


「ギル、知り合いなのか」


 どうにか言葉を絞り出し、ジュダはむっと口を尖らすギルに囁いた。


「あ、はい、一応。えっと――」

「食堂で知り合ったんだよな?」


 会話に割って入ったのは、例の兵士。


「4月ちょっとしたくらいで、食堂でなんだか見ない顔があるなぁと思って、ちょっかいかけたんだよな」

「ちょっかいどころじゃないですよ!」


 すかさずギルがツッコミを入れる。


さん、いきなり『どこの出だ?』って詰め寄ってくるんですから。それで俺が馬鹿正直に『パレス出身です』って言ったら、『はぁーん』って一言残して、黙って俺の肉一切れ取ってったんですよ!」

「一切れだったんだからいいだろうが」

「よくないです」


 より一層不満げに、ギルはぷくっと頬を膨らませた。


「その次の日にも食堂行ったら、バーグさんがいて、しかも席ほぼ満員で隣しか開いていなかったっていう」

「そんな顔するなよ。おかげで今やこうして仲良しだろ?」

「そうだそうだ」

「適当に野次飛ばすのやめてください。さん」


 睨むギルと、それをからかう兵士たち。

 その光景はまさに、仲の良い後輩と先輩の関係。


 俺が今まで見てきたものとはなんだったのか。

 先程までの冷ややかな空気はどこへやら。詰め所はいつの間にか、笑いに包まれた暖かな空間へと変わっていた。




「ギルお前、本当にどうやってあの人たちと仲良くなったんだ?」

「え?」


 部屋を出て、階下へ向かう途中、ジュダは尋ねた。


「あの人たち、特にバーグさんやニックさんはあそこのNo.1, 2だ。普通に考えたら、あんなに親しくなれるはずがない」


 眉間にしわを寄せ、ジュダはギルに問い詰めた。

 その様子に首を傾げ、ギルはうーんと唸った。


「特に何かしたつもりはないんですけどね。さっき話した通り、最初にちょっかいかけられて、その後少し話す機会があって、気が付いたらっていう感じで――あ!そういえば一つ言われたことはありますね。『お前は一発で名前覚えてくれたから、初めから印象が良かった』って。いじりやすかったの間違いじゃないですかね」


 名前――。


 そのとき、ジュダの頭の中で、記憶がフラッシュバックした。


 そういえばこいつ、人を殺せない件で追い詰められる前は、常に人に囲まれているようなやつだった。

 もともとコミュニケーション能力が高いのだろうと思っていたが、そういうことか。


 初対面の印象はもちろん重要だが、それは二回目の対応も然り。

 普通、食堂で一度会っただけの人物なんか、よほど強烈な印象がない限り、覚えているほうが難しいものだ。


 それゆえ、名前を覚えていてくれたらその分、嬉しさがこみ上げるもの。

 当然印象も良くなる。

 印象が良くなれば、その後も話しかけてみようという気になる。

 それを繰り返すうちに次第に仲が良くなっていき、その人が友人を連れていればそれだけ、コミュニティが広がっていく。


 きっとギルは今までもこうして人とのつながりを増やしていったのだろう。

 生意気ながらまっすぐで人懐っこい性格も、好かれる要因なのかもしれない。


 それもこれも、ギルの気質と驚異的な記憶力が為せるもの――。


「次は1階玄関横の詰め室ですよね」

「――あぁ」


 小さく呟き、ジュダは下に目線を落とした。


 俺が成しえないことを、こいつはいくつもやり遂げている。

 それに比べて俺は――。



 窓から差し込む夕日が、影をより濃く黒く伸ばしていく。

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