第171話 魔法陣

『アンジェリーナを不幸にするような真似、私は絶対に許さない』


 何もかも見透かされている。

 冷たく低い声を聞いたそのとき、そう直感した。

 国王様が俺を呼びつけたのは、これを言うためだったのか。


 今まで、それなりに死線をくぐり抜けてきて、それなりに恐ろしい場面も経験してきたと思う。

 だがあのとき、一瞬のうちに、気圧されてしまった。

 あれが、一国を背負う方の威厳なのか?

 いや、というよりもむしろあれは――。


 あれが、か――。




「――さん、ジュダさん?」


 その声にジュダははっと我に返った。

 隣のギルが怪訝そうにこちらを見ている。


「どうしたんですか?ぼーっとして」

「い、いや」


 悪い、と一言呟き、ジュダはふぅと息を吐いた。


 そうか。今は剣術指導の時間。

 何を一人で物思いに耽っているのだか。

 貴重な一回、集中しなければならないのに。


 ジュダ、ギル、アンジェリーナの三人はいつも通り禁断の森にいた。

 ただなぜか今、アンジェリーナの姿は近くにない。

 一体どこにいるのかというと――。


 ジュダは前を指さした。


「あれ、アンジェリーナは何をやってるんだ?」

「あぁ、あれですか?魔法の練習ですよ」

「魔法――」

「はい、“テレポート”の」


 ――――――――――


 ここまではいい。『さざめく薔薇庭アナジティス』でのサーチもできた。

 問題はここからだ。集中力を高める。


 そして――。


 よし、ここ!


 アンジェリーナはぱっと目を開き、剣に力を込めた。


 次の瞬間、アンジェリーナは突如、ふわりとした浮遊感に襲われた。

 そして1秒も経たぬうちに、地面に着地した、かに思われたのだが――。


「いだっ!」


 悲痛な叫びを上げ、アンジェリーナは木に激突した。

 後ろに倒れ込み、顔を押さえる。


 もう何回目だよー!


 涙目になりながら、アンジェリーナはゆっくりと体を起こした。


 ここ最近、ずっと練習してはいるけれど、この先がどうにもうまくいかない。

 サーチはもう慣れてきたし、実際に瞬間移動はできているんだけど、目的地にピンポイントで飛べないんだよね。


 アンジェリーナは座り込んだまま、うーんと頭を抱えた。


 現時点、まだ“呪文”も出せてないし、どうしたものか。


「はぁ。こう一人で悩んでいても、仕方ないか」


 そう呟くと、アンジェリーナはそのままよちよちと地面を這って、下に置いてあった本を手に取った。


 困ったときは、この本でしょう!


 アンジェリーナは『基礎魔法学』を開いた。


『――魔法の発動には、呪文、魔法陣、詠唱など、様々な方法が存在する。この本で取り上げているのは呪文だ。呪文は詠唱や魔法陣などを簡易化したものであり、基本的に短い言葉で表現される。ゆえに、即座に魔法を繰り出すことができ、現代において最も使われている形態である。一方、詠唱は長い文章を唱えることで、魔法を発動するというものであり、発動までに時間がかかるが、その分、呪文ではできないような、複雑な魔法を繰り出すことも可能である。また、魔法陣は円形の陣(文言や図形を含んだもの)を描くことで、魔法を発動することができる。詠唱と同様、発動までに時間はかかるが、より複雑な魔法を展開することが可能である。――』


 詠唱、魔法陣。

 呪文以外にも魔法を出す方法はいろいろある、か。


 アンジェリーナはふむと顎に手を当てた。


 もしかしたら、今やろうとしている瞬間移動って、結構複雑な魔法なのかな。実際難しいし。

 それなら、呪文にこだわらずに他の方法を考えてみるのもいいのかも。

 たとえば――。


「魔法陣とか」


 アンジェリーナは本を置き、その場に立ち上がった。


 詠唱とかは考えるの大変そうだし、魔法陣ならそれよりかは簡単そう?

 けど、詳細は何もわからないんだよなぁ。

 描くって言っても、ペンで書くわけではないでしょうし。


 完全なるノープラン。

 アンジェリーナは躊躇いつつも、両手で剣を握った。


 さて、とは言ったものの、どこから取り掛かればいいのか。

 とりあえず円を描いてみる?中の文様とかはわからないからなぁ。

 円の大きさは?あ、例えばそもそも円の中に私が入っちゃうとか?

 まぁ、そんなのでうまくいくわけないんだけど。


 冗談半分。遊び半分。

 ゆっくりと体を回転させて、剣を地面に擦り付けていく。


「まぁ、こんなものかな」


 自身を囲うように、地面に円を描き切った。


 そのときだった。


 ぷわぁぁっと光が漏れ、魔法陣が白く輝いた。


 うわっ!!


 その眩しさに思わず目を閉ざす――。



「え?」


 数秒後、アンジェリーナが目を開けると、そこには先程と変わらぬ広間の光景が広がっていた。


 今の、一体何だったんだ?不発?


 あまりに一瞬の出来事。

 アンジェリーナはすっかり困惑していた。


 それにしてはいかにもな光が出ていたような。

 でも、問題は瞬間移動できていたかどうか。

 実際何も変わったことは起こっていないし――。


 ん?


 辺りを見回したとき、アンジェリーナはその視界に、違和感を覚えた。


「なんであんなところに『基礎魔法学』の本が?」


 アンジェリーナの数メートル後方、その本は地面に無造作に置かれていた。


 あの本はついさっきまで私が見ていた。

 剣を持つときに地面に置いて――でも、もっと近くにあったはず。

 つまり、あの場所にあるはずがないわけで。


 え?


 訳がわからず、アンジェリーナはその場に固まった。


「もう一度やってみよう」


 しばらく考えた末、アンジェリーナはもう一度剣を握り直した。

 そして先程と同様に、ゆっくりと自身の周りに円を描き始める。


 これで、どうなるか?


 線がつながり、円が生み出される。


 次の瞬間、アンジェリーナは再び、白い光に包まれた。

 今度は見逃すまい。そう思って目を見開く――が。


 どういうこと?


 特に違和感もないまま、光はすっと消えていってしまった。


 やっぱり何か起こっていたようには思えない。

 あ、そうだ。例の本の位置は――。


 そう思って顔を上げた直後、アンジェリーナはごくりと唾を飲み込んだ。

 その視線、数メートル先には、もはや見慣れたあの本が置かれていたのだった。


 これ、もしかして――!


 アンジェリーナは今一度、辺りを見回した。


 一回目のとき、ほぼ隣にあった本が後方に移動した。

 逆に二回目は、一回目のときよりも前に移動した。

 

 一瞬、本の場所が移動しているのかと思ったけど、違う。

 おそらく移動しているのは――私自身だ!


「おーい、アンジェリーナ」


 何か掴みかけた瞬間、ギルの声に、アンジェリーナの思考は遮られた。

 見ると、遠くでギルが手を振っている。


「そろそろ、手合わせしようよ!」

「――うん、わかった!」


 これはまた、後日かな。

 でも、見えた。


 アンジェリーナの心の中には、一筋の光が射していた。

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