第170話 凍てつく瞳

 どうしてこんなことに――。


 イヴェリオの執務室。

 ジュダは居心地悪そうに、そのソファに浅く座っていた。


「落ち着かない様子だな」

「あ、いえ、すみません」


 とは言いつつ、目が泳いでしまう。


 落ち着かないに決まっている。

 何せ――。


 ジュダはちらりと正面に目を向けた。


 目の前に国王が座っているのだから。

 そんな方と同じ高さで向かい合っているなんて、身分不相応すぎる。


「お前がここに来てから2年になるか」


 低く発せられた声に、ジュダはピクッと背筋を伸ばした。


 果たして、一体何を言われるのか――。


「今にして改めて思うが、お前がアンジェリーナの近衛兵になってくれて良かったよ」


 え。


 開口一番、イヴェリオが発したのは予想外の言葉だった。

 国王から直々のお褒めの言葉。

 こんなもの、最高の栄誉に違いない。


「2年前、お前がやって来たとき、アンジェリーナは今よりもっと未熟だった。幼少から大人びた子どもではあったが、それでもまだまだ現実を見る目が足りなかった。そこをアンジェリーナに気づかせてくれたお前には、感謝しかない」

「そんな、私は――」


 その先を言いかけて、ジュダは口を閉ざした。

 いや、本当は言葉が出てこなかったのだ。


 俺はたぶん、国王様が思っているような、立派な大人じゃない。


 イヴェリオの目をまっすぐ見ることができず、ジュダは思わずうつむいてしまった。


「どうだった?アンジェリーナの護衛としての生活は」


 黙り込んでしまったジュダを見て何か察したのか、イヴェリオはそれ以上突っ込んでくることはなかった。


 国王に気を遣わせてしまうなど――。


 ジュダは気持ちを切り替え、再び顔を上げた。


「私は、アンジェリーナ様と出会うまでずっと、戦場で生き続けてきました。自分が握る剣は、人を殺す剣で、人を殺さない剣を教えることになるなど、想像もできませんでした。アンジェリーナ様の護衛として日々を過ごす中で、あの方の成長を目の当たりにできたことは、至極光栄なことだと感じております」


 これは、本心だ。


 そこまで言って、ジュダはすっと立ち上がった。


「パレス兵という身でありながら、私を受け入れてくださいましたこと、本当にありがとうございました」


 すっと頭を下げたジュダを、イヴェリオはしばらくじっと見つめていた。


「――やはり、お前はそういう男だろうな」

「え?」

「いや、なんでもない。座れ」


 何か、気に障ることを言ってしまったのだろうか。


 終始無表情のイヴェリオに困惑しつつ、ジュダは言われるがまま席に着いた。


「後任のギルはどうだ?ここに来てから3か月ほど経ったが、改めてお前の目にどう映る?」

「そうですね――」


 話題の転換に、どう答えようものか、ジュダは口元に手を当てた。


「アンジェリーナ様とはとても良好な関係を築けているように思われます。剣術稽古も、二人で切磋琢磨して励んでいるようですし。誕生日パーティーの件であったように、護衛としての実力も申し分ないかと。ただ――」

「ん?」


 ギルのことは、優秀な部下だと思っている。

 しかし、このままでいいとも思っていない。


「勉強会など、クリス様に少し失礼な態度を取っているように感じられました。私のほうから注意して聞かせてはいるのですが、本人に直す気があるようには思えず。クリス様もそのことを許されているご様子で――」

「なるほど」


 告げ口をした形になってしまったのは申し訳なく思っている。

 だが、俺がこの件に関われなくなった以上、この際対処してもらうには、国王様を頼るしか。


「お前の言いたいことはもっともだろう。実際、護衛の立場で貴族にそのような態度を取っていることが知れ渡れば、いろいろと不都合が起こるだろうからな」


 その言葉に、ジュダはほっと胸を撫でおろした。


 良かった。こうなればギルとて、さすがに態度を改めてくれる――。


「ギルには、外でぼろを出さないように徹底させるとして、まぁ、だが、三人だけでいるときは別にいいだろう」

「え」


 想定外の発言に、ジュダは固まった。


「ジュダ、私はな、ギルがアンジェリーナの護衛になってくれて良かったと思っているんだ」


 そんなジュダに気づいた上での発言か、イヴェリオは構わず続けた。


「ギルはお前とは違って、少し子どもっぽいところがあるだろう?その分、改めなければならないことも多いが、それ以上に、アンジェリーナにとって、とても重要な存在であることも確かだ」


 重要な存在――。

 心の中にずしんと沈み込む。


「王族という身分上、私はずっとアンジェリーナを一人にさせてきた。母親がいなかったことも大きかったとは思うが、同じ年ごろの友も作れず、城に籠りきりにさせてしまい、申し訳なく思っている。だからこそ、ギルには驚いた。アンジェリーナの懐にすっと入り込み、一日足らずで仲良くなるとは――きっと、良い意味にも悪い意味にも遠慮のない、裏表のないギルの性格が、アンジェリーナには合っていたのだろう。同レベルの友人ができた今、あいつの表情はよりいっそう輝いて見えるからな」


 ジュダ、と一言呼びかけ、イヴェリオは穏やかな顔を見せた。


「ギルがアンジェリーナと友人になってくれたこと、私は純粋に嬉しく思っているんだ」


 その言葉はおそらく、国王としてではなく、父としてのものなのだろう。

 イヴェリオが優しい表情を浮かべる一方、“部下が褒められている”、その事実を素直に喜べない自分がいることを、ジュダは自覚していた。


 本当に、俺は――。


「ところで一つ、尋ねてもいいか」

「なんでしょう?」


 ったく、国王の前で一体俺は何を考えているんだ。


 イヴェリオを正面に捉え、ジュダは再び姿勢を正した。



「アンジェリーナのこと、実際どう思っている?」

「え」


 そのとき、ジュダは、自分の心臓の鼓動が一気に高まっていくのを感じた。

 一方のイヴェリオは、あくまで淡々と話を続けた。


「護衛として、そして剣の師匠として、健全な関係を築いてきたのはこちらもよくわかっている。だが、もしそれ以上に何かあるのだとしたら――」

「国王様」


 普段ならこんなことはしないだろう。

 イヴェリオの言葉を遮り、ジュダは口を開いた。


「恐れながら申し上げます。“それ以上の何か”など、存在するはずがありません。この2年間、私は私なりに誠心誠意、アンジェリーナ様に仕えてきたつもりです。国王様が私を近衛兵として指名してくださったのも、一人前の兵士として、その任に堪えうると認めてくださったからだと自負しております。しかし、ただ今国王様がおっしゃったことは、私がつまらぬ個人的な感情を抱くような、未熟者だと言っているようなものです。そのように見なされることは、私への侮辱に他なりません」


 そのジュダの主張に、イヴェリオはどこか値踏みするような目で、こちらをじっと見つめていた。


 この方の視線を受けていると、息が詰まりそうだ。


「わかった。その通りだな。もうこれ以上は何も聞くまい」


 しばらくして、イヴェリオは静かに目線を外した。

 その様子に、思わずふぅと息が漏れる。


 そうだ。何もやましいことなどないんだ。

 さっき俺が言った通り、何もないのだから。

 ギルでもあるまいし、これ以上話を広げる意味もない。


「だが一つだけ言っておく」


 その声に、ジュダは何気なくイヴェリオの顔を見た――。




「アンジェリーナを不幸にするような真似、私は絶対に許さない」


 刹那、全身の毛が逆立つのがわかった。

 今まで感じたことのないような寒気が体中に伝播し、ヒュッと喉が鳴る。


 震える手をぎゅっと握り、大きく見開いたジュダの瞳には、凍てつくような目をしてこちらを見据える、イヴェリオの姿が映っていた。


 この日、ジュダは人生で最も恐ろしい人の顔を見た。

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