第167話 日常の破綻
最近、同じ夢を見るんだ。
目の前には大きな川が流れていて、俺はその岸辺にいる。
向こう岸は見えはするが、川幅が広く、かなり遠い。
おまけに流れも速いときて、泳いで渡るのは難しそうだ。
「わぁ、大きい川」
声のほうに顔を向けると、いつから居たのか、俺の隣にはアンジェリーナがいた。
いかにも興味津々な目で川を見つめている。
そしていつも決まってこのときのアンジェリーナは、今よりも幼い見た目をしている。
おそらく、俺と出会った頃、2年前くらいの姿だろうか。
今と変わらぬキラキラした目で、背伸びしながら向こう岸を見ている。
ったく、そんなにじっと見つめてたって、ここからじゃあ向こうに何があるかなんてわかりっこないのに――。
「あ、誰かいる」
え?
アンジェリーナが指をさした方向に目をやると、確かに対岸に誰かいる。
「アンジェリーナ様!」
よく見ると、そこにいたのはクリスだった。
遠くから懸命に声を張り上げ、こちらに手を振っている。
「こちらに来ないんですか!?」
「だって、行き方がわからないんだもん!!」
アンジェリーナの大声が聞こえたのか、クリスは一瞬何かを考え込むような仕草をして、そそくさとどこかへ立ち去って行ってしまった。
一体どこへ――。
その目的はすぐにわかった。
クリスはどこから持ってきたのか、小さな船を手にして戻ってきた。
“手にして”というとおかしいが、所詮夢の中、実際に人一人乗れるくらいの船を一人で持ってきたのだから、仕方ない。
クリスはその船を川に浮かべ、そしてこちらへ寄越してきた。
やってきた船は一人用の小さいもの。
しかし手漕ぎなどではなく、燃料が要るような立派なものらしい。
アンジェリーナがすたっと降りて確認するも、どうやらクリスは片道分の燃料しか入れてこなかったようだ。
「あ!」
そのとき、アンジェリーナが突然声を上げた。
そしてそのまま後ろの森の中へ走って行った。
なんだ?
しばらくして、アンジェリーナは帰ってきた。
その手に斧を携えて。
「えい!」
するとアンジェリーナは躊躇いもなく木を切り始めた。
そして手早く薪をこしらえると、再び船に飛び乗った。
「じゃあジュダ、行ってきます!」
アンジェリーナは船に薪をくべると、そのまま川へ繰り出していった。
船は順調に動き出し、急流を越え、そして対岸へとたどり着いた。
「おーい、ジュダ!」
上陸したアンジェリーナがクリスと一緒に手を振っている。
「早くジュダもこっちに来なよ!」
わかった!
そう叫んで足を踏み出そうとしたそのとき、俺は気づいた。
自分の足に巨大な茨が巻き付いているということに。
どこから出てきたのかはわからない。
だが茨は確かに棘を俺の足を突き刺し、太もものあたりにまで絡みついている。
足を動かそうにも動ける気配は全くない。
断ち切ろうにも剣も何も持っていない。
「ジュダー!?」
途方に暮れるジュダの遥か前方、アンジェリーナはなおも手を振り続けている。
大丈夫だ。今行く。
そう言ってやりたいのに、足が動かない。
俺は、動けない――。
――――――――――
「はぁー汗かいた」
「何?これくらいで疲れたの?」
「あぁ!?」
アンジェリーナとギルは裏庭を歩いていた。
「俺はだなぁ、大剣振り回すお前の面倒を見てやってんだよ。もっと感謝しろよ」
「良いトレーニングになってるって、さっき自分で言ってたじゃない」
「うぐっ――そんなこと覚えてねぇよ」
「嘘付き」
剣術の鍛錬も終わり、今は二人で部屋へ戻る途中。
いつもと変わらぬ昼下がり。
いつの間にか夏も初旬。
日差しが暑くなり始める頃。
裏庭の花木を撫でるそよ風が心地よい。
「にしても、なんだか変な感じだな。普通過ぎて」
「何が?」
「世間は戦争が始まるって大騒ぎだってのに」
ギルの一言に、アンジェリーナは一瞬身動きを止めた。
「仕方ないでしょう?王政の中心である公務棟ならまだしも、居住棟なんて、世間からは最も隔絶された場所にあるのだから」
そう吐き捨てると、アンジェリーナは再び足を進めた。
うーんと、ギルが頭の上に手を組む。
「ったく、誕生日パーティーの件といい、本気で戦争するつもりだったとは。俺もつい数か月前なら、戦場に直行していただろうに。まさかこんな優雅な王城で、姫様と剣の鍛錬をしているだなんてなぁ」
そう、なんだよね。
本当に――。
ヤルパ国境近く、カイオラの町にミサイルが投下されたのはつい一昨日のこと。
それから昨日、ヤルパ王国が正式にポップ王国に対し、宣戦布告を表明した。
詳しい内容な一切入ってきていないが、ただ一つ言えることは、ポップ王国とヤルパ王国の間で、近々戦争が起こるということ。
こんなところに居ては、現実味も何もないんだけど。
「アンジェリーナ様」
突然呼び止められ、アンジェリーナは足を止めた。
見ると、廊下の奥から使用人が駆け寄ってきていた。
「イヴェリオ様がお呼びです」
「え?お父様が?」
一体何だろうこんな昼間に。
「わかった。すぐ行く。えーっと、談話室でいいの?」
「いえ、公務棟の執務室に来てほしいと」
「――え」
「来たか。アンジェリーナ」
予感はしていた。
いつも話があるときは朝に約束を取り付けてくるか、夜の食事時に言われることがもっぱら。
今日みたいにいきなり呼ばれることなんて、今までなかった。
それも、普段は立ち入りを許可されていない、公務棟にわざわざ呼びつけるだなんて。
「え、なんで」
続けて部屋に入ったギルが、後ろで小さく声を上げた。
考えてみれば当然。
ヤルパとの戦争は、今までの内部紛争の比じゃない。
ポップ王国とて総力戦になる。
つまり、それ相応の準備が必要。
その準備にはもちろん、人も含まれる。
イヴェリオの横、その隣にいた人物を見た瞬間、アンジェリーナは悟った。
「どうしてジュダさんがここに――」
何事も、何の前触れもなく現れ、そして何の前触れもなく消える。
「今回のヤルパとの戦争勃発にあたり、ジュダを、特攻部隊隊長に任命する次第となった」
低い声が響く。
私たちの日常が、終わる。
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