第166話 DAY X

「誠に、申し訳ございませんでした!!」


 翌週末、勉強会の初手、ギルは二つ折りになるまで、頭を下げていた。


「本当ですよ」

「そうだそうだ」


 この状況を面白がってか何なのか、自由気ままな声が上から降り注ぐ。


「この度は、皆様に多大なる無礼を働きましたこと、深くお詫び申し上げます」



「――ギル、その台詞、どこで覚えたの?」

「あ?『魔界放浪記』第2巻、147ページに書いてあっただろうが」

「知るわけないでしょう!どうせ主要人物の台詞でもないでしょうに」

「そうそう。商人 A」


 ぱっと顔を上げると、アンジェリーナは呆れたと言わんばかりに、長いため息をついた。


「まぁとりあえず、二人の仲が元に戻ってよかったですよ」


 お前は一体どの立場から物言ってんだよ。


 相変わらず他人事なクリスを、ギルは横目で見た。


「ギル、ちゃんとジュダにも謝った?」

「ん?あぁそれはもちろん!だけど――」

「だけど?」


 ギルはぽりぽりと頬を掻いた。




 ――――――――――


「本当に申し訳ありませんでした」


 アンジェリーナへ謝罪したその夜、ギルはジュダに頭を下げていた。


「ジュダさんの気持ちも考えずに、俺、一方的にひどいことを――」

「わかってる」


 ギルの言葉を遮るように、ジュダは一言発した。


「俺のことは大丈夫だ。もう、気にしなくていい」

「あ、はい」


 それだけ言うと、ジュダは足早にその場から立ち去って行ってしまった。




 ――――――――――


「だけど、何!?」

「え?いや、やっぱり何でもない。本当に」


 なんとも下手なごまかし。

 ほら、アンジェリーナが疑いの目を向けている。


 大したことじゃない。

 でも――。


 妙にあっさりしてたんだよな。

 ジュダさんらしくない。


 ギルは去り際、ジュダのどこか寂し気な背中を思い起こしていた。


「今回の件を見て思ったのですが」


 そのとき、唐突にクリスが口を開いた。


「ギルさんってイノシシみたいですよね」


 イノシシ?


 突拍子もない発言に、思わずぽかんとする。


「誰がイノシシだ!?」

「ほら、猪突猛進って言うじゃないですか。ギルさんって常人なら躊躇うところを、常にまっすぐに突き進む感じがして」

「あぁ、確かに」


 アンジェリーナも納得するなよ。


 ギルは二人を睨みつけた。


「きっとギルさんは自分でブレーキが掛けられないんですよ。だから、一度走り出したらもう止まれない。今回のようにたとえ悪い方向悪い方向へ迷走したとしても、自分ではもうどうにもならないという感じなのでは?」

「いや、尋ねられても――」

「迷走といっても、ギルさんは自分ではまっすぐ走っているつもりなんですよ。その目標とする方向が的外れなだけで」


 こいつ、人の話聞くつもりないな。


 本人の気持ちなど気にする素振りも一切なく、クリスはすらすらと続けた。


「ですから、止まるためには外の力が必要になると思うんです。例えば壁とか」

「壁?」

「えぇ。ですが、減速なしにその壁に突っ込むため、その壁にも自身にも、それなりのダメージがいく。結果、うまくいかない」


 その考察に、ギルはうーんと唸り、顎に手を当てた。


「なぁ。俺のこと、馬鹿にしてない?」

「そんなことないですよ」


 本当かよ。


 ギルは懐疑的な目でクリスを見つめた。


「それよりギル、本当にそんな感じなの?今まで壁にぶつかってきたの?」


 なんでお前までそんなにノリノリなんだよ。


 ギルは大きなため息をついた。


 絶対二人とも面白がってる。

 どうしてこうも他人の話で盛り上がれるんだか。

 本人そんなに興味ないのに。


 まぁ、これ以上長引かれるほうが面倒くさいし、茶番に付き合ってやるか。


「壁かぁ。といっても、俺、そんなに障害にぶつかってきた記憶ないんだけどな――あぁそういえば、パレス兵同期の中で一番剣が上手いって、調子に乗っていたときに、ジュダさんにボコボコにされたことはあったな。あとは、ジュダさんの弟子としていざ戦地に行こうと息巻いていたら、現実に打ちのめされて孤独になったりしたこともあった。あ、それこそ、アンジェリーナが好きだって自覚したら、すでに両思いだったと判明したり、それでも頑張るぞって思ったら、クリスに止められて、アンジェリーナに振られたり――」


 あれ?


 そこまで言って、ギルは固まった。


 俺、そんなに壁にぶち当たってきたっけ?

 今ちょっと思い当たることだけでも、こんなに――。


 つらつらと列挙される事例の多さ。

 三人の間に沈黙が広がる。


「――あれ?俺ってやっぱりイノシシなのかな」


 ギルはぽつりとこぼした。



「さぁ、今日も勉強会始めますか」

「そうだね。始めよう」

「無視するな!」


 テキパキと教材の準備を始めるクリス。

 机に身を乗り出し文句を垂れるギル。

 それを見て満面の笑みを浮かべるアンジェリーナ。


 何気ない日常。くだらない会話。

 この平和な空間がいつまでも続けばいいのに。

 そのとき、三人のうち誰しもがそう願っていた。






 ――――――――――


 一か月後――。

 北方国境近くの町、カイオラ。


 その日は快晴だった。

 洗濯日和だとシーツを吊るす主婦たちに、農作業に精を出す男たち。

 子どもたちが野原を駆け回る。


 何でもないただの一日。


「あれ、なぁに?」


 そのとき、一人の子どもが空を指さした。


 雲一つない青い空。

 その中を突っ切る流線型の白い何かを。


 間もなくして、街に轟音が響いた。




 7月10日。

 ヤルパ国境近くの町、カイオラにミサイルが投下された。そしてその翌日――、


 ヤルパ王国はポップ王国に対し、宣戦布告した。

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