第165話 最高の友達

 息が荒い。

 心臓の鼓動が指先にまで響いてくる。


 一世一代の告白を終え、ギルは緊張した面持ちで、アンジェリーナのことを見つめていた。


「ありがとう。ギル。でも――」


 ゆっくりと口を開き、アンジェリーナはこちらに向かってそっと微笑んだ。


「ごめんなさい。気持ちには応えられない」


 わかってはいた。

 わかった上での無駄なあがき。

 アンジェリーナなら、面と向かって、俺のわがままを受け入れてくれるんじゃないかっていう、甘えもあっただろう。


 だけど――やっぱり痛いな。


 ギルはぎゅっと自分の胸元を掴んだ。


「まぁ、知ってたけどな」


 ぱっと顔を上げ、いつも通りにこやかに笑ったつもり。

 だが、きっとアンジェリーナの目にはずいぶんと不自然に映ったのだろう。

 アンジェリーナは申し訳なさそうに、こちらを見ていた。


 ったく、俺はなんでこうも嘘をつくのが苦手なんだ。


「悪い。やっぱり一つだけ聞いていい?」

「うん」


 不格好な作り笑顔を下げて、ギルは再び真剣な表情を浮かべた。


 もう、アンジェリーナのことを傷つけたくはない。

 だからこそ、今、胸に残っているわだかまりは取り除いておくべき。


 ギルはすぅっと息を吸って、そして言い放った。


「俺の気持ちに応えられないのは、アンジェリーナに好きな人がいるから?」


 その問いかけに、アンジェリーナは少し困ったように目をふせ、しかしすぐに顔を上げた。

「うん、そう」


 澄んだその瞳がまっすぐにこちらを向いている。

 ギルは続けざまに口を開いた。


「それってやっぱり――」

「ごめん。それは言えない」


 半ば食い気味にそう言われ、ギルは口を閉ざした。

 先程までの真摯な姿勢とは異なり、アンジェリーナはギルを見ようとはせず、ただただうつむいている。


 そこには何か、彼女が触れては欲しくないものがあるようだった。


 ギルは言葉を探りながら、極力穏やかに尋ねた。


「どうして――身分の問題か?確かに、それはどうにもならないのかもしれないけど――でも、本当にこのままでいいのか?何もしないままで。アンジェリーナだってわかってんだろ。ジュダさんだってお前のこと――」

「ギル!」


 強い口調で放たれた一言。

 思わず体がビクッと跳ねる。


「それは、ちょっと、辛いかな」


 っ――!


 ギルは息を飲んだ。

 そのとき、アンジェリーナは、ギルが今まで見たこともないほど、悲しい笑顔を浮かべていた。


 胸が痛い。

 さっき、告白を断られたときよりも、ずっと。

 彼女の心の痛みが、その辛さが、こちらにも伝わってきて――。


 ギルは下唇を噛み、そのまま視線を落とした。


「わ、悪い。俺、またお前を傷つけて――」

「あーもう!またすぐそうやって沈んで。そんなに辛気臭くなる必要ないから!――ギルって打たれ強いのか弱いのかよくわからないな」


 ギルがまた泣きそうなのを察したのだろう、アンジェリーナはぱっと明るい笑顔を浮かべ、こちらをなだめにかかった。


 だから、また向こうに気を遣わせて――。


 しかし、ギルの自己嫌悪は止まらない。

 その様子に、アンジェリーナははぁとため息をつき、突然その場に立ち上がった。


「ギル、前に私が女王になりたいって言ったの、覚えてる?」

「え?」


 いきなりなんだ?


 アンジェリーナの突然のフリに、ギルは暗く曇っていた顔を上げた。


「あのときのこと、ちゃんと話していなかったなぁって思って」

「あぁ、確かに、きちんと聞いてはいなかったけど――え、今!?」


 突拍子もない行動にあっけにとられるギルを見て、アンジェリーナはふふっと笑った。


「私はね、ギル。夢があるの。“誰も血を流さない、誰の血も流させない、そんな国を創りたい”っていう夢が」


 そういえば、いつかジュダさんが教えてくれたっけ。


「そのためには、私に力がなければいけない。つまり、女王になることは、私の夢を叶えるための、過程なの」


 アンジェリーナはその真剣な眼差しをこちらに向けていた。


「女王になるためには何をすればいいのか。一番は国民の信頼を得ること。そのためには何をすればいいのか。まずは、誰もが認めるような立派な王族にならなければならない。そのためには、どんなに面倒な勉強も、作法も覚えなければならない。そのためには、未来へのバトンを渡さなければならない。結婚はまさにそれ」


 揺らがない、力強い声。

 アンジェリーナは言い放った。


「私は自分の夢を叶えるために、私を犠牲にすると決心したの」


 あぁ。ジュダさんは、こんなアンジェリーナの姿に惚れたんだろうな。

 12歳の少女の決意を前に、ギルはそんなことを考えていた。

 もっと、違う感想があったような気がするのだが。


「ま、というのは、大分格好つけてるんだけどね」

「え?」


 ぼーっとしてしまったギルを前に、アンジェリーナは突然、ヘラッと笑った。


「自分で言っていて、結構恥ずかしくなってくるよ。なんでそんなに反応無いの?」

「――いや、お前が真剣だから、こっちだって!」

「はいはい」


 はいはい?

 こいつ、本当に俺が年上ってわかってんのかな。


 自分の行動を省みない、幼稚な苛立ちを抱き、ギルはじっとアンジェリーナを睨んだ。

 しばらくして、アンジェリーナは穏やかな顔つきでこちらを見た。


「ギルの言ったとおりだよ。私もそこまで鈍感じゃない。2年も一緒にいれば、彼が、私をどう想ってくれているのか、それくらいはわかる。でもね、だからこそ――」


 アンジェリーナは再びニコッと笑った。


「私は逃げてるの。たとえその事実を自覚したとしても、認めない。周知の事実にはさせない。卑怯でしょう?」


 それを言えている時点で、お前はもう、逃げてはないだろうが。


 そう心の中で呟き、ギルはどこか遠い目でアンジェリーナを見つめた。


 はぁ。こいつは本当に格好いいな。


 よし、決めた。


 ギルはニヤッと笑って、その場に立ち上がった。


「じゃあ俺は逆に逃げない!」

「え?」


 首を傾げるアンジェリーナを見下ろし、ギルは宣言した。


「俺はお前を諦めない!たとえどんな障壁があろうと、折れない。どんなに時間がかかろうと、お前を振り向かせてやる」


 ふんと、鼻を鳴らし、仁王立ちになるギル。

 ちゅんちゅんと、この森らしからぬ、気の抜けた平和な鳥の声が聞こえた。


「えー?」

「なっ!?」


 ギルの人生最大の勇気を目の当たりにしたにもかかわらず、アンジェリーナは懐疑的な、挑戦的な瞳でこちらを見上げていた。


「何だその反応は!?」

「えー?だってぇ?」

「おちょくるな!!」


 なんだなんだ、この子どもみたいなやり取りは!


 ふーっ、ふーっとギルが怒りを燃やす中、アンジェリーナはぷはっと吹き出した。


「ごめんごめん。あーもう、ギルが友達でいてくれて、良かった!」


 あはは、と笑い転げるアンジェリーナを前に、ギルは嬉しいような、悲しいような、どうしようもない気持ちに駆られた。


「やめろよ!望みなしみたいに言うの!!」


 ははは、と笑い声が森中に響く中、ギルはあ゛ぁー!と頭を抱えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る