第163話 自戒

「ギルさん、ちょっといいですか?」

「あ?」


 勉強会終わり、ギルはクリスに突然呼び止められた。


「ジュダさん、少しの間ギルさんをお借りしても?」

「――まぁ、構いませんが」

「それでは」

「え、あ、ちょっ!」


 有無を言わさぬ勢いで、クリスはこちらの意思などお構いなしに、腕をグイっと引っ張った。

 強引すぎる連行。

 しかし、上司の許可が出ているかつ、立場上の問題から、ギルに断る余地はない。


 もう、なんなんだよ。


 ギルが拉致られていくそのとき、アンジェリーナはどこか不安そうな、複雑そうな顔をして、ギルを見つめていた。


 ――――――――――


「んだよ。わざわざこんなところに呼び出して」


 二人はいつか話をした、あの裏庭に来ていた。


「少しお話ししたいことがありまして」

「何だよ」

「アンジェリーナ様のことです」


 その言葉に、ギルは目を見開いた。


 クリスのほうからアンジェリーナのことを?

 一体何を言うつもりなんだ。

 まさか、やっぱり諦めろって!?


 ギルは動揺をどうにか取り繕うと口を開いた。


「ア、アンジェリーナのことって?」

「ギルさんは、私に伝えてくれたように、自分の気持ちを今も貫かれていますよね?」

「――まぁ」

「それが、アンジェリーナ様を悩ませてしまっているということは、ご存じで?」

「え」


 クリスの発言に、ギルは固まった。

“悩ませて”?え?

 思考が停止する。


「アンジェリーナ様は、先日、私たちが話しているところに偶然出くわしてしまったようなんです。それで――」

「は?」


 クリスの言葉を遮り、ギルは思わず呟いた。


 先日の話?

 え、クリスと二人きりで話したのって――。


 その事実に気づいた瞬間、サァーっと血の気が引いてくのがわかった。

 それを見計らったかのように、クリスがとどめを刺す。


「アンジェリーナ様はとっくの昔から、ギルさんが自分に好意を持っていることを知っておられた、ということです」


 この瞬間、ギルが何を思っていたのか。

 羞恥心で悶えていたのか?いやそうではない。

 そのときギルは何も考えていなかった。いや正確には考えられなかったのだ。

 あまりのことに、思考容量を超えたギルの頭は、完全にフリーズしていたのだった。


「それで悩みというのはですね?」

「え、あ、ちょっと」


 明らかに固まっていたであろう、無反応のギルを置いて、クリスはさっさと次の話題へ移ってしまった。

 人のことは言えないが、この男も大概自分勝手だ。


「今日、ギルさんが不在のときに、アンジェリーナ様に尋ねてみたんです。何か悩み事はありませんか、と」

「不在?――あ、俺が本を取りに行ったときか」


 まさかあのときに話していただなんて。


「で、悩みって?」

「はい。ギルさんの告白を盗み聞きしてしまった罪悪感に苛まれている様子でした」


 その事実に、ギルはぐっと押し黙った。

 クリスは淡々と続ける。


「聞いてしまったのはたまたまだったけれど、勝手に聞いてしまったことに変わりはない。かといって、知らないはずの自分から謝りに行くわけにもいかない。そういう風に、自分の中で消化しきれない思いに悩まされていたようです」


 罪悪感。

 全然知らなかった。

 アンジェリーナがそんなことを感じていただなんて。

 誰にも吐き出すことができずに、ずっと苦しんで。

 ずっと普段通りに振舞って。

 それなのに、俺は知らずに、ただ身勝手に――。


「それからアンジェリーナ様は、ギルさんとジュダさん、お二人の関係についても気になっている様子でした」

「え?」


 ギルは声を漏らし、ぽかんと口を開けた。


「あるときから二人の様子がおかしくなったと。ギルさんが“ジュダさん”と呼び方を変えた件もそうですが、二人をよく知るアンジェリーナ様だからこそ、微妙な空気感の違いに気づいたのかもしれません」


 言葉が、出ない。


 自分がアンジェリーナを苦しめていたという罪悪感が湧き上がり、ギルは絶句した。


「ジュダさんとはお話しされたんですか?アンジェリーナ様のことを」

「あぁ、言った。俺はアンジェリーナのことが好きだって。諦めたくないからって」


 そのギルの言葉に、ふぅと息をついて、クリスはゆっくりと口を開いた。


「ギルさん、私はギルさんのまっすぐなところが好きです。いつどんな時でも進み続ける意志のある人は、強いですから。ですが、それによって傷つく人がいることも確かな事実です」


 正論が刺さる。


 ギルはその場でうつむいた。


「私はそのこと自体は悪いとは思いません。時には犠牲が必要などということはよく言いますし、世の中皆が幸せになれるほど、甘くはありません。しかし、絶対に侵してはならない領域はあると思うんです」

「侵してはならない領域?」

「えぇ。今回の場合は――アンジェリーナ様を傷つけること」


 その静かな声に、ギルははっとして顔を上げた。

 目の前には、いつもと変わらぬ表情のクリスが、こちらをまっすぐに見ていた。


「ギルさんはアンジェリーナ様のことが好きなんですよね?アンジェリーナ様の幸せを願っている。ですが、今のギルさんはただアンジェリーナ様を一人悩ませ、苦しめているだけです。それでは本末転倒というものでしょう?」


 苦しめる、だけ。


「アンジェリーナ様とこれからも関係を築きたいというのならば、ここで一回、面と向かって話をするべきです」

「話――」

「まっすぐ向き合えば、アンジェリーナ様もまっすぐに答えてくれるはず。それはギルさんだってよくわかっているのではないでしょうか」


 話、話か。


 確かに、クリスの言う通り、このままではいけない。

 俺のほうからアンジェリーナに、きちんと話を通すべきなんだ。

 でも、でも、もしかしたらまた、アンジェリーナを傷つけてしまうことになる可能性だって。


「それから、もう一つ」


 踏み出すことを恐れ、決心のつかないギルを見て、クリスは切り出した。


「アンジェリーナ様は明言しておられませんでしたが――」


『それに何より私は――』


「アンジェリーナ様は何より、“自分の好きな人が傷つくのを、これ以上見たくない”のだと思います」


 それは、ギルが今まで言われたことの中で、一番重い言葉だった。


 ――――――――――


 自分が何を話さなければならないのか、何を謝らなければならないのか、クリスと話してようやく自覚した。


 翌日。ギルは一人、アンジェリーナの部屋の前に立っていた。


 今日の護衛は俺一人。ジュダさんはパーティーの後始末に追われている。

 そして午前は自由時間。本来ならば剣術稽古の時間だ。

 時間を奪ってしまうことは申し訳ないが、でもこの機会を逃すわけにはいかない。


 ギルは大きく深呼吸をし、パンと両手で頬を叩いた。


「よし、行こう」


 ギルは部屋のドアをノックした。

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