第162話 兵士の惑い
「はぁ。ったく、どうしてこうも疲れるのか」
ジュダは一人、疲れた顔で居住棟の廊下を歩いていた。
警備計画者などという、大層な名前はあるものの、所詮肩書のみ。
実際は、体のいい小間使いだ。
今日も朝からずっと、特別警備隊のお偉いさんを交え、警備計画の反省会。
会議室で息の詰まる話し合いだ。
俺は今まで、体を動かすことしかやってこなかったっていうのに、どうしてこういうことになっているのか。
それに今日は『早めに終わったから帰っていい』だなんて、午前中いっぱい拘束されることは、早く終わることに含まれないんだよ!
本来俺は、アンジェリーナの護衛だというのに。
最近じゃあ、アンジェリーナの顔よりも、明らかにこちらを見下してくる、小綺麗な連中の顔のほうが見ているだなんて――考えるだけで嫌になる。
――とはいえ、戦勝記念日以来、数日ぶりの本職復帰だ。
気を引き締めて任務に当たらなければ。
今はたしか、クリス様との勉強会の時間。
ギルのやつ、最近クリス様への失礼な態度が見え透いているからな。
あいつは俺が来ることを知らないはず。
抜き打ちで、実際のところを確かめるか。
そんなことを考えながら、ジュダはアンジェリーナの居室近くにやってきた。
「――やっぱりすげぇよな!あれ」
あ?何だ?
部屋の前、何やら興奮気味の声が聞こえ、ジュダはノックしようとした手を止めた。
この声、ギルか。
部屋の外まで漏れてるぞ?
というか、二人を差し置いて、一体何をしゃべって――。
ジュダは改めて、ドアをノックした。
「失礼します」
中に入った瞬間、ジュダは目を疑った。
そこには、いつも通り机に向かい合って座る、アンジェリーナとクリス、およびその机の前ではしゃぐギルの姿があった。
想像していた何十倍もひどい有様だ。
本来護衛というのは、部屋の隅で、岩と化してじっと存在感を消すべきもの。
それにこの勉強会は、許婚との交流を目的としたもののはず。
それを、あろうことか護衛の男が乱入するなど、あってはならない事態。
午前のストレスもあり、ジュダの苛立ちは最高潮に達していた。
「――でさ!」
「あ、ジュダ」
初めにジュダの姿に気づいたのはアンジェリーナ。
その声にギルがぱっと振り返る。
「え?」
ずかずかと大股で歩み寄るジュダを視認するや否や、ギルの顔がどんどん青ざめていくのが見えた。
「ジュ、ジュダ教官!?どうして――」
「どうしても何もねぇだろ!お前こそなんだこの惨状は!?」
ジュダの怒号にギルの体がビクッと跳ね上がる。
「アンジェリーナはともかく、クリス様にも舐めた態度を取りやがって。護衛として恥ずかしいとは思わないのか?」
「え、えっと、それは――」
「第一、これは許婚との交流を図るための勉強会だ。お前が前に出ていいところじゃねぇんだよ。前々から、クリス様のことを呼び捨てにしていたのが気にはなっていたが、まさか本当にこんな真似をしていたとは」
「あ、あの」
ギルが何か言おうとしている。
だが、今のジュダにはそれを聞き入れるだけの余地はなかった。
「いいか!?俺は、お前を一人前の近衛兵にするためにここへ呼んだんだ。だから俺がいない間も、お前一人に護衛を任せていた。お前の腕を信じていたからこそだ。なのにお前は――!」
「はいはいストップ!!」
そのとき、横から声が聞こえ、ジュダは追及の口を閉ざした。
見ると、アンジェリーナが立ち上がり、二人の間に割って入ってきていた。
「もう!どうしてこんなことになるの?いきなり大声で怒鳴り散らかすだなんて、ジュダらしくない。それにほら、ギルだってもう反論する気力もなくなってるじゃない」
アンジェリーナの発言に、はっとして前を見ると、確かに、ギルは反抗的な態度を取るどころか、今にも泣きそうな表情でただただうつむいていた。
その二人の様子を見て、アンジェリーナははぁとため息をついた。
「確かに、ギルが舐めた態度を取っていたのはその通りだと思う。普通に考えれば、護衛が貴族や王族と一緒に盛り上がっているだなんて、身分不相応だもんね。でも、それを言うなら、今ジュダがやったことも非常識だと思う」
アンジェリーナはこちらの目を見て、半ば呆れたようにそう言った。
そのまっすぐな瞳に、思わず目を逸らす。
確かに、そうだ。
部下の言い分も聞かずに、一方的に怒鳴りつけるだなんて。上司失格だ。
それに、アンジェリーナもクリス様もいるというのに、ところ構わず怒るだなんて、俺のほうが場をぶち壊しているじゃないか。
「それに、一応言っておきますが、ギルさんにタメ口でいいと言ったのは、私です。アンジェリーナ様も、ギルさんがこの場に加わることを許可していらっしゃいますし」
「そうそう!今だって、ギルが読んでくれた本の感想を共有しようとしていたところだし」
「本の、感想?」
その言葉に、ジュダは顔を上げ、机に目を落とした。
そこにはアンジェリーナの言う通り、本が置かれている。
「お前が、本を?え、でも、お前、文字読めないんじゃ――」
「――頑張って、勉強したんです。その本読んでほしいって、アンジェリーナに言われたから。辞書借りて、コツコツ2週間かけて。それで今日ようやく二人に、読み終わったよって報告したんです」
ぼそぼそと、若干不貞腐れたような口調でそう言ったギルを、ジュダは信じられないという表情で見つめていた。
「だからね?許してあげてよ」
少し困ったように笑うアンジェリーナを見て、ジュダはいたたまれない気持ちに苛まれた。
「ジュダも、一緒に――」
「いや、俺はいい。字も読めないからな。三人で楽しんでくれればそれでいい」
「あ――」
こちらを気にしてくれたのだろう。それは嬉しい、だが――。
何かを言いかけたアンジェリーナを背に、ただ一言、わかった、と呟くと、ジュダは部屋の端のほうへ移動した。
一方、ギルはというと、未だ暗い表情でうつむいたまま。
部屋の空気まで暗く重たくなる中、アンジェリーナとクリスは、どうにかギルを復活させようと、必死にフォローを入れてくれていた。
最終的には、二人がギルにお願いし、渋々ながらもギルは、再び二人の輪の中に戻っていったのだが。
それから数分後――。
「――ってすごいよな!?」
「それ、私も思った!」
先程までの落ち込みようはどこへやら。
ギルはすっかり元気を取り戻していた。
今はもう、ジュダが来る前と同じくらいのテンションで、二人と話し込んでいる。
「ギルさんが、一番好きなエピソードってどれですか?」
「え、一番?うーんと――あ!D.Dが詐欺野郎を退治したやつだな」
「あ、それ私も好きなやつ!」
『魔界放浪記』の感想共有会が再開。
心なしか、全員いつもより数段テンションが高い気がする。
「何だっけ、悪徳商法?とか言うんだっけ。D.Dが行商で訪れた町がたまたま詐欺で苦しんでいてさぁ。それだけだったら、ほら、D.Dって意外とドライじゃん?気にしないで商売するんだけどさぁ」
「でも、関係ないD.Dまで、詐欺なんじゃないかって疑われて、全く儲からなくなっちゃうんだよね」
「そうそう!」
アンジェリーナの相槌に、ギルが饒舌に語り出す。
「いっつもマイペースでどこ吹く風のD.Dがさぁ、このときばかりは詐欺呼ばわりされたのが気に食わなかったのか、『ちょっと、腹立つね』なんて言って、詐欺グループ特定して、真っ向勝負を挑んじゃうんだよな。それで勝って、相手を打ち負かすのが、もう痛快で!」
「わかるわかる!あの心理戦は『魔界放浪記』のバトルの中でも、屈指の話だよね」
アンジェリーナの屈託のない笑顔が、彼女の嬉しさを物語っている。
「あの話は実は、序盤から伏線が張り巡らされていて、果たしてD.Dがいつから詐欺グループに目を付けていたのかという点でも、面白いですよね」
「え?何それ、そんな伏線なんかあったっけ?」
「ご、ごめん俺、それ以前に、心理戦も何もわかってないかも」
三者三様、同じ作品を読んでいても、感じ方は全く違うもの。
皆口々に己が感じたことを発言する。
「えー?あれが面白いんじゃん」
「いや、大雑把に流れだけ見ても相当おもしろいもんよ?」
「嘘だぁ」
中には同意できることも、できないことも。
「あれって結局、契約書が鍵だったんだよね」
「はい。その契約書を手に入れるために、D.Dが引き入れた受け子。その人にいつ目を付けたのか、それが謎なんですよね」
「受け子って、あのなよなよした奴か?」
「そういえば、どうやってこちら側に引き入れたのかっていう描写はあったけど、いつその人に当たりを付けたのかっていう描写はなかったもんね」
作品の雰囲気を楽しむ者、トリックを暴こうとする者、人間性を楽しむ者。
「つーか俺、D.Dが、そのなよなよした野郎を口説き落とすシーン、怖っ!て思って見てたんだけど」
「え、私は好きだけどな」
「まぁあのシーンは、D.Dも、救済と見せかけて、結局自分の利益のためにしか、動いていませんからね」
「あのシーンはじゃねぇよ。あの話全体だよ」
「D.Dって、なんだかんだ言って、損得勘定最優先の商売人だからね。でもそういう人って良くない?緩そうに見えて、実はやり手みたいな――あ、心理戦と言えばさぁ」
盛り上がる三人の協議。
しかしその後ろ、その光景をまっすぐに見つめることができないでいる者がいた。
何を言っているのか、全くわからない。
今までも、アンジェリーナとクリス様との勉強会には立ち会ってきた。
そこで繰り広げられる二人の会話は、俺にとってはとても高度なものに見えて、ただ俺は、自分には関係のない世界だと聞き流していた。
だがそれがどうだ?
つい数か月前までは、俺と同じ位置にいた男が、今やあの輪の中に平然と入っている。
自ら学び、自ら考え、自ら発言する――。
お前はどうして、先へ進めるんだ。
ジュダは静かに目を閉ざした。
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