第161話 飛躍する馬鹿
机の上に鎮座する本。
アンジェリーナとクリスはその光景に釘付けになっていた。
え?何これ。
どういう状況?
あまりの沈黙具合に、ギルは訳もわからず戸惑っていた。
「あ、あのぉ」
ギルが恐る恐る声を出すと、その途端、ばっとアンジェリーナがこちらに顔を向けた。
「ギ、ギル、これって――!」
「あ?貸してもらった『魔界放浪記』と辞書だ」
その発言に、アンジェリーナとクリスの息を吸い込む音が聞こえた。
なになに?なになに!?
事態を把握する間もなく、二人が身を乗り出してくる。
「本当に?本当に言ってる!?」
「本当ってなんだよ」
「まだ貸して2週間ですよ」
「だからなんだよ」
突然の質問責めにギルの苛立ちが募る。
「あ、もしかして、途中で飽きちゃったとか?」
「ちゃんと読んだわ!最後まで!」
その言葉に、二人は再び息を飲んだ。
その態度にギルの眉がぴくっと動いた。
だ、か、らー!!
「もうなんなんだよ!そんなに疑って!」
「いや、ごめん。でもちょっと驚きすぎて、ね?」
「はい」
「失礼だなぁ」
心底驚いたという表情で互いに顔を見合わせる二人を見て、ギルははぁとため息をついた。
「で、でもギル、つい2週間くらい前まではろくに文字も読めなかったでしょう?それなのにどうしてこんなに早く?」
「どうしてって――そんなこと言われても」
別に、特に変なことしてねぇしな。
「あ、もしかして書き込みとかした?本に」
「はぁ!?してねぇわ!借りるときにすげぇ高い本だって言ってただろうが。そんなの、俺が勝手に汚して弁償とか言われたらどうするんだよ」
「いや、別に構わないけど」
アンジェリーナは納得のいかない顔でうーんと唸った。
いや、気に食わないのはお前らの態度なんだが?
「ギルさん、もう少し詳しく教えていただけますか?どのように読み進めたのか」
「え?」
「お願い、ギル」
「えー?」
思わぬ形で二人から、初めての懇願を受け、ギルは気だるげに天を仰いだ。
ったく、なんでこんなことになるんだよ。
再びため息をつき、ギルは渋々口を開いた。
「だから、特に何もしてねぇって。お前らに言われた通り、辞書使って調べてただけ。最初、本開いてみたら案の定、知らない単語だらけで1ページも読めなくて。序盤の序盤から辞書引きまくりよ。一体いつ終わるんだろうって、はっきり言って、面倒臭くなったりしたし」
「それでそれで?」
アンジェリーナがキラキラとした目でこちらを見上げてくる。
くそっ、かわいいな。
ギルは拙い言葉をどうにかひねり出し、先を続けた。
「それで、どうにかこうにか時間見つけて、頑張って読んでいってさぁ。1日目の話が終わったあたりかな。2日目の話になったら、なんだかちょっとスムーズに読めるようになってたんだよ。全部が全部調べなくても済むようになって。そういえば、それからあとは、どんどん楽になっていったな。あ、でも、1回目は調べながら止まりながら読んでいったから、内容を理解するどころじゃなくて。とりあえず全編調べ終わって、よし、もう一度読み直そう!って思ったら――」
「思ったら?」
ギルはここぞとばかりに間を貯めて、すぅっと息を吸った。
「それが――この話、すっげぇおもしろいって!」
ぱぁっと満面の笑みが顔に広がる。
ギルは興奮を露わに、続けた。
「もう何から何まで最高なんだよ!D.Dの面白さもそうだけど、それだけじゃなくて、他にもいろいろ個性ある登場人物が出てきてさぁ。加えて、D.Dって魔界中を旅してるんだぞ?見たことも聞いたこともない世界の話ばかりで、もうずっとわくわくしてた!いつか俺も行ってみたいなぁ、なんてさ」
そこまで一気に言い切ると、ギルはすっと目の前の二人に視線を落とした。
「――って感じなんだけど」
ギルのとてつもない熱量に置いて行かれてしまったのだろうか。
二人は、ぽかんと口を開いて、固まっていた。
おいおい、何か言ってくれよ。
あまりの反応のなさに、自分語りへの恥ずかしさがこみ上げる。
「あ、わかったかもしれません」
数秒間を置いて、クリスはそう呟いた。
そしてぱっと顔を正面に向ける。
「アンジェリーナ様、完全瞬間記憶ですよ」
「え」
どこかこちらも興奮気味で、クリスはアンジェリーナにそう言った。
「おそらくギルさんは、一度調べた言葉の意味を、その瞬間に覚えてしまうんですよ。だから、次に同じ単語が出てきた時に、調べ直す必要がなくて、当然どんどんスムーズに読めるようになっていく。だから、初めに本を読破するのも早かったし、その後読み直すに至っては、何の障害もなかったんですよ」
「あ、そういうこと!?」
「ど、どういうこと?」
自分のことを話していたのに、何を言っていたのか全くわからない。
ギルは一人、戸惑いを露わにきょろきょろと二人を交互に見た。
すると、唐突にアンジェリーナが立ち上がり、くるっとこちらに体を向けた。
「ギル、すごいよ!!」
「え、え、え!?」
アンジェリーナは突如ギルの腕をつかみ、そのままその手をぶんぶんと振った。
何の前触れもなく訪れた接触に、ギルの顔が一気にゆで上がる。
「本当に、素晴らしいです。ギルさん」
「えぇー?」
こちらもまた手放しの褒め言葉。
慣れないことの応酬に、ギルの頭は爆発した。
「俺が、すごいとかすごくないとか、そういうことはいいんだよ!俺は、早くこの本の感想を共有したいと思って!!」
「ははっ、ごめんごめん。そうだね。勝手に盛り上がり過ぎました。つい嬉しくって」
「私もすみませんでした。いつの時代も知識を教え伝えることは、嬉しいものですから。ギルさんが、本を好きになってくれて良かったです」
声を荒げたギルを見て、二人は素直に謝罪した。
といっても、反省の色は全く見えないのだが。
あーもう、なんだかむず痒い。
照れ隠しにギルはむっと顔を歪めた。
「――別に、突然頭が良くなったわけでもねぇし。バカは変わらないぞ?」
「そんなことないよ!」
「いいじゃないですか。馬鹿でも。“無能な馬鹿”でなければ」
「――え」
「無能な馬鹿って?」
「向上心のない、進化を望まない人のことです。頭が悪くても、先へ進み続ける人は、時代を切り開く力があります。だから、私は“無能な馬鹿”が嫌いだと、昔から言っているんです」
「へぇ」
アンジェリーナが納得する中、ギルは一人、クリスの言葉に固まっていた。
今こいつ、“無能な馬鹿”って言ったよな。“嫌いだ”とも。
そのとき、ギルの脳裏に1か月ほど前の映像が流れ込んできた。
『『無能な馬鹿は嫌いだ』――かつて友人に言われた言葉です』
4月25日。アンジェリーナの誕生日パーティーの夜。
残業を手伝ってくれた、優しい城門警備兵の発言。
名前は、ノア=エリソン。
ノアさんとクリス、両方に聞いた話だと、二人は古い知り合いということだった。
でも、ノアさんはこの『無能な馬鹿は嫌いだ』という言葉を、友人に言われたと言っていた。
いや、必ずしもその言葉がクリスの言葉だとは限らねぇし。
たまたま同じことを言っていただけかもしれないし――。
でも、“無能な馬鹿”って特殊な言葉だよなぁ。
――仮に、その言葉がクリスの言葉だとして、ということは二人は友人同士。
“古い知り合い”という意味合いの中に、“友人”が含まれているのだとしたら、別に問題はねぇんだけど。
ノアさんは、なぜクリスを直接友人と言わなかったのか。
クリスもなぜ、ノアさんのことを話題に出した時に、“古い知り合い”としか言わなかったのか――。
クリスとノアさんがもし本当に友人なのだとしたら、二人は、俺が思っている以上に、近い関係なのかもしれない。
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