第160話 クリスの相談会

 アンジェリーナの剣術指導、魔法開発が順調に進む中、ポップ王国は6月1日、戦勝記念日を迎えた。

 例年通り、異例式典やパレード、教会の祭事など、様々なイベントが催され、そして当然、アンジェリーナが毎年出席する、後夜祭のパーティーも開かれた。

 4月の誕生日とは裏腹に、パーティーは順調に進み、アンジェリーナも嫌々ながら貴族方の相手をし、舞踏会では華麗な踊りを見せてくれていた。


 そんなこんなであっという間に終わったパーティー。

 それから数日後、後片付けにより、相変わらず不参加のジュダを除いて、週末恒例、クリスの勉強会が行われていたのだった。


 ――――――――――


「言っていませんでしたっけ?」

「「聞いてないよ(ねぇわ)!!」」


 アンジェリーナとギルの鋭い同時ツッコミがさく裂した。

 と、いうのも――。


「この前の戦勝記念日のパーティー、なんで出席してねぇんだよ!俺、先週の勉強会の夜、ジュダさんからリストもらってびっくりしたんだからな?」

「そうそう!私も、パーティーの2日前にお父様からリスト渡されて、クリスの名前がないって驚いたんだから」


 そう。つい先日のパーティー。

 国内最大のイベントにもかかわらず、なんとクリスは不参加だったのだ。

 それを、本人の口から事前に聞かされていなかった、アンジェリーナとギルは非難轟々なのだった。


「理由は何だ理由は!?」


 まさにそれが気になるところ。


 アンジェリーナは固唾を飲んでクリスの返答を待った。


「すみません。少し実家の用事で」

「実家?」

「バスタコ領の?」

「はい」

「まぁ、大した話ではなかったのですが」


 その言葉に、アンジェリーナは疑り深い目でクリスを見つめた。


 大した話じゃない?そんなわけがない。

 実家の用事というのならば、おそらくガブロも関わっている。

 ガブロならば許婚という立場のクリスを、そう易々と呼びつけるはずがない。

 何かきっと、それよりもずっと重要な用事があったに違いない。


「さぁ、それでは今日も始めますか」


 これ以上会話を引き延ばすつもりはないのだろう。

 クリスはさっさと勉強会を始めようとしていた。


 まぁ、私が下手に首を突っ込むことでもないんだろうけど。


 アンジェリーナはまだ納得のいかない顔を浮かべつつも、勉強のため、頭を切り替えようとした。


 そのときだった。


「あ!!」


 突然、そばに控えていたギルが大声を上げた。

 思わず体が跳ね上がる。


「な、何!?急に叫んで」

「俺、忘れ物してきた!」

「忘れ物?」


 アンジェリーナは怪訝そうにギルを見上げた。


「そう!今日の勉強会に持ってこようと思ってたのにー!」


 そう言ってしばらくあわあわしていたギルは、ばっとこちらに向けて手を合わせた。


「悪い!今取ってきていい?自分の部屋にあるんだけど」

「――いいよ。行っておいで」


 半ば呆れながらアンジェリーナがそう言うと、ギルはごめん、ありがとう!とペコペコ頭を下げ、足早に部屋を去って行った。


 一体、何だったのだろうか。

 台風のように去って行ったけど。


「はぁ。ギルって完全瞬間記憶のくせに、忘れた!ってなるの、何なんだろうね」

「まぁ、“記憶する能力”と“記憶を引き出す能力”は別物ですからね」


 クリスの言葉にアンジェリーナは、あぁと呟いた。


 なるほど。どんなに知識があっても、使いこなせなければ意味がないってことね。


「ところでアンジェリーナ様、少しよろしいでしょうか?」

「ん?」

「前々から二人きりでお話したいことがあったのですが、ちょうどギルさんもいないので、今してもよろしいでしょうか?」

「え、なになに?」


 急に改まった態度で話を切り出したクリスに、アンジェリーナは思わず姿勢を正した。


「は、話したいことって?」


 アンジェリーナが恐る恐る尋ねると、クリスはゆっくりと口を開いた。


「ギルさんのこと、何か気になっておられるのでは?」

「へ!?」


 予想のまるで外からの質問に、アンジェリーナの椅子がガタッと鳴った。


 へ、変な声出た。

 ――それよりも!


「気になる、とは?」

「まぁ言葉通りに?」


 ここまで聞いておいてなお、はぐらかすクリス。

 あくまで私に吐かせる気か――はぁ。


 アンジェリーナは観念して、ちらりとクリスを見上げた。


「そんなにあからさまだった?」

「――まぁ、私以外は気づいていないようですが。ギルさんも、も」

「!」


 そこまでわかっているのかぁ。


 アンジェリーナは内情を吐露し始めた。


「実は、前にクリスとギルが二人で話しているところを聞いてしまって――」

「なるほど。そうだったんですか」


 どうやらこの事実は知らなかったらしい。

 クリスは少し目を見開いた。


「ということは、結構前から、それも直接ストレートな言葉を聞いてしまったわけですね」

「――うん」


 アンジェリーナはぐでっと机に突っ伏した。


 ついに言っちゃったよ。

 はっきり言って、一人では解決しようのない悩みではあったけど。

 まさか相談相手が――。


「最近ため息が多かったので、いつかお話を聞ければなと思ってはいたのですが」

「え?」


 アンジェリーナはぱっと顔を上げて、クリスを見上げた。


 ため息?気づかなかった。

 もしかしたら自分でも無意識のうちに、結構ストレス溜まっていたのかな。


 自分では気づかないことも他人からは意外と気づきやすい、なんてよく言うけど、本当なんだな。

 というかクリス、私のこと、ちゃんと見てくれていたってことだよね。


「ギルさんのこと、率直にどう思っておられるのですか?嫌なら別におっしゃらなくてもいいのですが――」

「あぁいや」


 ここまで来たら言うべきか?

 でも――この人、一体自分がどの立場にいるのか、わかっているのかな?


 そう。それがアンジェリーナが憂慮している最大の問題なのだった。

 というのも、クリスは何を隠そうアンジェリーナの許婚。

 こういう風に、仮にもアンジェリーナを好きと公言している男の相談など、する方が常識外れというものだ。


 クリスの態度を見るに、純粋に私の相談に乗ってくれているようだけど、何せ立場も立場。

 それに、クリスって表情が読めないから、今何を思っているのか、全く予想もつかないんだよね。

 もし何か裏があったとしたら――。


「あ、私が許婚ということは、一旦置いておいてもいいですよ」

「え」


 アンジェリーナの心を読んだかのように、タイミングよくクリスが言ってきた。


 置いて、おく?


「アンジェリーナ様がお困りならば、助けになりたいというのは当然の思いです。私は、アンジェリーナ様の幸せを一番に願っておりますので」


 ぽかんとした顔のアンジェリーナに、クリスは柔らかな声でそう言った。

 相変わらず感情のない顔ではあったが、アンジェリーナは、その言葉が真実であると直感した。


「うーん、迷惑ってことはないんだけど」


 アンジェリーナは躊躇いつつも、口を開き始めた。


「こんなに近くの人に、思いを伝えられることって今までなかったから、戸惑いのほうが大きいというか。どうしたらいいのかわからないというか。また最悪だったのが、その告白を盗み聞きしてしまったってところなんだけど」


 クリスは黙ってこちらの話を聞いてくれていた。

 アンジェリーナは続けた。


「なんというか、告白されてもいないのに、自分から何かアクションするのも違う気がするし。その一方で、聞いてしまったことへの罪悪感はどんどん高まっていくし。加えて、なぜかジュダとの仲も変になっているし」

「ジュダさんとの仲、ですか」


 ここで口を挟み、クリスはうーんと顎に手を当てた。


「確かに、いつの間にか“教官”呼びから“さん”付けに変わってしましたね」

「そう」


 アンジェリーナははぁとため息をついた。


「二人の間で何かあったことは確かだし、それを私が突っ込むのはお門違いなのはわかっている。でも、もしそこに、ギルが、私のことを好きなことが関わっているのだとしたらって考えると、責任を感じてしまって。それに何より私は――」


 アンジェリーナはそこまで言いかけ、口を閉ざし、そしてそのまま、黙りこくってしまった。


「では、こうしましょう」

「え?」


 アンジェリーナの暗い雰囲気を察したのか、クリスは唐突にパンと手を叩いた。


「私が一肌脱ぎましょう!」


 え。


 気合十分に立ち上がり、その細腕を叩いてみせたクリスを、アンジェリーナはぽかんとして見上げた。


「お待たせしました!!」


 そのとき、部屋の戸をバーンと開け、問題の男が帰ってきた。


「おかえり、ギル」


 ハァ、ハァと息をつくギルを横目に、アンジェリーナは一人考え込んでいた。


 クリスが相談を聞いてくれて、良かったとは思う。

 実際、話を聞いてもらう前より今のほうが、心が軽くなっている気がするし。

 でも――。


 こ、こじれないかなぁ。


 息巻くクリスを心強いと思うよりなにより、アンジェリーナはとてつもなく不安に駆られていた。


「ところでギルさん、何を取ってきたのですか?」


 クリスの声に、アンジェリーナは顔を上げた。


 そうだ。今はこっちのほうが気になる。

 いやこっちのほうに意識を向けよう!


 アンジェリーナは半ば強引に気持ちを切り替えた。


「確かに、忘れ物って何だったの?」

「ん?これこれ!」


 そう言って、クリスはバンと何かを机に置いた。


「「――え?」」


 それを見たアンジェリーナとクリスは、同時にそう呟いた。

 二人の目に映っていたのは、分厚い本と、その上に積まれた『魔界放浪記』と書かれた本だった。

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