第159話 古代語

「『さざめく薔薇庭アナジティス』?なんだそれ?」


 禁断の森の広間。

 稽古の途中、アンジェリーナ、ジュダ、ギルの三人は草の上に座り込んでいた。


「それってどういう意味なんだ?」

「だからそれがわからないんだって」


 アンジェリーナはむっとして口を尖らせた。


「自分の中でイメージを膨らませて、いざ魔法発動っていうタイミングで、気が付いたらそう言ってたの!本当に無意識で――」

「あ!?魔法発動?」


 アンジェリーナの言葉に、ギルがばっと立ち上がった。


「え、お前、まさか、魔法使えるようになったのか!?」

「あ、うん。一応――」

「すっげぇ!やったじゃん!!」


 自分事のようにぴょんぴょんとその場に跳ねて、はしゃぐギル。

 まぁ、他人からこんなに喜んでもらえるのは、悪い気しないけど。


「魔法――どんなやつなんだ」


 対照的に落ち着いた低い声で、ジュダは尋ねた。


「えっと、周囲の状況を調べる魔法。サーチみたいな」

「へぇ、すげぇ!」


 未だ興奮冷めやらぬ様子で、ギルがまた跳ねた。


 たまに思うけど、ギルって本当に年上なんだよね?


「――お前は、どんどん先へ進んでいくな」

「え?」


 派手に喜ぶギルに気を取られていると、ジュダがぼそっと呟いた。


「いや、なんでもない。ともかく、魔法使えて良かったじゃないか。その言葉は気になるが。アナ――、何だっけ?」

「アナジティス。“さざめく薔薇庭”と書いて、アナジティス」

「書いて?文字も浮かんだってことか?無意識で言っていたうえに」

「そう。自分で考えたわけでもなく、ぱっと頭に浮かんで、そのまま唱えていたって感じ」

「ふーん」


 そのとき、ギルの動きがピタッと止まった。


「――唱えていた?」


 ギルは再びその場にしゃがみ込み、アンジェリーナに目線を合わせた。


「ていうことはそれ、呪文ってこか?」

「え?」


 アンジェリーナは一瞬ぽかんとしてギルを見つめた。

 だが、すぐにその言葉の意味に気づき、あぁーと声を上げた。


「そういえばそうだね。そうだ!」


 ぽろっと言葉を漏らしたっていう感覚だったから、自覚がなかったけど、言われてみればそうだ。

 あれは呪文だ!


 アンジェリーナは口元に手を当てた。


 ということは、『さざめく薔薇庭アナジティス』っていうのは、あの魔法の名前。

 でも、そうなるとますますわからない。

 どうして私はそんな意味不明な言葉を呪文として唱えたのだろうか。


 うーんと頭を抱えるアンジェリーナを見て、ギルは声をかけた。


「一人で考え込んでも仕方ねぇって。ほら、クリスに相談してみれば?」

「でも、勉強会はまだ先だし――」

「じゃあさ、俺が聞いといてやるよ。なんかあいつ、最近頻繁に居住棟に出入りしているみたいだから、会えるかも」

「居住棟に?」


 クリスは平日、公務棟の外務院で忙しく働いているはず。

 それなのにどうして居住棟こっちに?

 一体何の目的が――。


「それよりギル、お前いい加減クリス様を呼び捨てにするのやめろ。失礼にもほどがある」

「すみません」


 本当に直す気はあるのだろうか。

 ぺこりと頭を下げるギルを、アンジェリーナは疑惑の目で見つめていた。

 まぁ、クリス自身がそう呼ばせているところもあるけどね。


「さ、もう日も落ちかけている。帰るぞ」

「うん」

「はい!ジュダさん」


 ジュダの声に応じて、アンジェリーナは帰路についた。

 しかし、前を行く二人の背中を見て、アンジェリーナははぁとため息をついた。


 心配なのはこっちもなんだよなぁ。


 ――――――――――


「おそらく、古代語でしょうね」

「古代語!?」


 次の週末、勉強会にて、アンジェリーナ、ギル、クリスの三人はさっそく、アンジェリーナの魔法について話をしていた。

 ちなみに、戦勝記念日がもう数日後に迫っているため、当然のごとくジュダはお休みである。


 ギルはどうやらあの後クリスに話を通してくれていたようだ。


「アンジェリーナ様、古代語は知っておられますか?」

「うん。まぁ一応は」

「お、俺、全く知らない」


 しどろもどろになりながら、心配そうにギルが見てくる。

 その様子に、クリスは解説を始めてくれた。


「古代語というのは、今からずっと昔、創造主マリナがこの世に誕生するもっと前に用いられていたとされる、言語群のことです」


「ギルさん、“魔界共通言語”は知っていますか?」

「え?要は、俺らが普通に使っている言葉だろ?」

「はい、そうです」


 クリスは解説を始めた。


「現在、この魔界には言語は一つしか存在しません。それが、魔界共通言語。創造主マリナが、それこそ魔界創造初期に、世界の言葉を統一して生まれたとされています」

「それが、どうかしたのかよ」


 そこでアンジェリーナはあっと声を上げた。


「もしかして、そのときに言語を統一したからこそ、それまでに使われていたいろいろな言語は失われてしまったってこと?それが古代語?」

「はい、その通りです。ゆえに、古代語には様々な種類があるとされています。まだ、その全容は未解明だとか」

「へぇ。想像もできねぇな」


 確かに、今は使われていない言葉なんて、よくわからないし――。


「意外と身近なところにも使われていますよ?古代語は。例えば、この本とか」

「「え?」」


 そう言ってクリスが指さしたのは、あの『基礎魔法学』の本だった。


 この本に古代語が?


 アンジェリーナは首を傾げた。


「ここに書かれている呪文、あれはすべて“英語”です」

「――え。あれ、英語なの!?」


 アンジェリーナは声を上げ、急いでページをめくった。


 言われてみれば、この呪文、ところどころ全く意味のわからない言葉がある。

 呪文だからと、そんなに気にしてはいなかったけど、そういうことだったのか。

 というか、知っている単語も多かったしなぁ。

 ほら、『サンダー』とか、日常生活でも、雷って意味で使われているし。


「というわけで、ギルさんの話を聞いて、その呪文が古代語なのではないかと疑ったわけですが、何分、私はあまり古代語に詳しくないもので」


 そのクリスの発言に、アンジェリーナは少し意外な顔をした。


 あのクリスでも、知らないことってあるんだ。

 いやまぁ、普通に考えればこの世の何もかもを知っている人間なんて、いるはずがないんだけど。

 そっか。クリスでもわからないんだ。

 残念だけど、仕方がないか。


「ですので、その方面に詳しい友人に問い合わせてみました」

「え?」


 勝手に諦めかけていたところ、アンジェリーナはぱっと顔を上げた。


「あ、そっか。クリスって意外に友達多いんだった」


 おい、ギル。


 アンジェリーナは心の中でギルにツッコミを入れた。


 仮にも本人の前でそれは失礼過ぎないか?

 ま、私もそれ思ったから、人のことあまり言えないけど。


「それで、わかったの?」


 馬鹿正直なギルの発言を無視し、アンジェリーナは先を促した。


「はい。その友人によると、『スペルがわからないから断定はできないが、たぶん“ギリシア語”だろう』と」

「「ギリシア語?」」


 アンジェリーナとギルは、二人そろって首を傾げた。


 聞いたこともない単語が出てきた。


「ギリシアというのは、かつてユーゴン大陸の北西部で使われていた言葉のようです」

「へぇ」


 ユーゴン大陸北西部。

 今ではそんな地名は存在しない。


「ちなみに、読みからその呪文の意味を聞いてみたんですが、単語としての意味は“波”だそうですよ」

「波――」


 アンジェリーナはうーんと口に手を当てた。


「確かに私、魔法を発動するときに、波を伝播させていくようなイメージを想像していたけど、でも、それなら――」

「“さざめく薔薇庭”ってなんだよ」


 アンジェリーナの言葉を引き継ぐように、ギルが割って入ってきた。


「それじゃあ、書いている言葉と読み仮名が全く合わねぇじゃん」

「えぇ。私もそれが気になって、その友人に少し尋ねてみたんです。そうしたら、『確か、ギリシアの神に薔薇に関連したやつがいたような気はするんだが、他になんかヒントはねぇの?』と返ってきて」

「「神?」」


 アンジェリーナとギルは思わず前のめりになり、同時にクリスに聞き返した。


 いきなりスケールの大きい言葉が出てきた。


「アンジェリーナ様、薔薇について何か心当たりは?」

「え!」


 突然、アンジェリーナのほうをまっすぐに向き直り、クリスはそう尋ねた。


 薔薇について心当たり?

 そんなこと急に言われても。


 えぇー?薔薇かぁ。薔薇、バラ――。


 ん?


 そのとき、記憶の端、何かが引っ掛かった。


 なんか、昔もこの剣に関することで、バラが出てきたような気がするんだけど――。


 ――『柄だけではなく刀身にもバラや白鳥といった細かな装飾が施されており』


「あ」


 思い出した。


 アンジェリーナはいきなり立ち上がると、テーブル横のスペースへ移動し、何の予備動作もなく、ぱっとその手にあの大剣を召喚した。


「うおっ、急に出すなよ。びっくりしただろ」

「なるほど、これが例の宝剣」


 唐突なアンジェリーナの挙動に、ギルとクリスが驚く。

 しかし、そんな二人の様子もお構いなしに、アンジェリーナはその刀身に目を向けていた。


「これ、これ!薔薇じゃない!?」


 興奮を露わに、アンジェリーナは剣を指さし、必死に訴えた。

 その熱量に、二人は急いでこちらに駆け寄ってきた。


「あ!確かに」

「他にも、白鳥やイルカ、これは真珠ですかね?細かくいろいろと描かれているようです」


 そう。思い出したのは、剣に刻まれていた装飾のこと。

 かつて本で見たとおり、そして剣にある通り、この大剣には薔薇が彫られていたのだった。


 やっと思い出せたよ。

 薔薇と聞いて、なんだか引っ掛かってはいたんだけど。


 いや待てよ。

 でもどうしてこの剣には、薔薇があるんだ?


「あくまで仮定の話になりますが」


 その声に、剣から目を離し、アンジェリーナはクリスのほうを見た。


「この剣はおそらく、モチーフとなった何かがあったようです。先程話したギリシアの神なのかは断定できませんが、一つ思い出したんです」


 クリスは続けた。


「強力な武器や道具には、稀に意思が宿るとされています」

「意思?」


 あれ?また何か引っ掛かる。


 アンジェリーナはうーんと頭を捻った。


「えぇ。そして、この時の宝剣もまた、創造主によって生み出されたとされる、強力な武器。ですので――」

「この剣にも、意思が宿っている可能性があるってこと?」


 そのとき、アンジェリーナは再び閃いた。


「思い出した。昔、時の宝剣について教えてもらったとき、言われたの。時の宝玉は意思がある、使者は、時の宝玉を使うのではなく、時の宝玉に使われるためにある、って」

「なるほど。それならばやはり、アンジェリーナ様が無意識的に呟いた呪文も、剣の意思によるものなのかもしれませんね」


 剣の意思?


「アンジェリーナ様の話を聞く限り、時の宝剣の意思はかなり強固なもののようです。使い手であるはずの使者を侵食する可能性すらありそうに思われます」

「し、侵食!?」


 突然出てきた物騒な物言いに、アンジェリーナは思わずその場にたじろいだ。

 同様にひるんでいたギルが、声を上げる。


「そんな怖いこと言うなよ!」

「まぁ、言い方が少しおどろおどろしかったかもしれませんが、私は一理あると思います。例えば剣が、以前に用いられた魔法を自身の記憶として持っていて、それがたまたまアンジェリーナ様のイメージと合致したがために、魔法を発現させるに至った、とか」


 クリスの補足説明に、アンジェリーナははぁーと声を漏らした。


 確かに、クリスの言っていることには説得力がある。

 時の宝剣は、これまで何人もの使者を選んでいるわけだし、その記憶が残っていてもおかしくない。

 とはいえ――。


「ギルじゃないけど、なんか操られているみたいで少し嫌だな。せっかく私が開発したと思ったのに」

「そう悲観的になることではありませんよ。そもそも、魔法研究を始めた最初の目的は、剣の真の力を引き出すことにあったはずです。アンジェリーナ様は今、剣の真価のうち一つを発揮させることに成功したわけなのですから」

「真価――」


 シンプルだがとても強い。

 アンジェリーナはその言葉に強くひかれた。


「なんか、やる気出てきたかも」

「俺はもう後半のほう、付いて行けなくて、胸いっぱいだけどな」


 本当に具合悪そうなギルを見て、アンジェリーナは苦笑いを浮かべた。

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