第156話 尋常魔法

「基礎魔法学って――何だ!?」


 そのギルの発言に、アンジェリーナは思わずガクッとつんのめった。


「知らないであんなに叫んでたの?」

「いや、つい、ノリで」


 えへへ、と誤魔化すギルをじとっと睨みつつ、アンジェリーナは再び手元の本に目を落とした。


『基礎魔法学』


 この本を直に見たことはない。

 でも、この“基礎魔法”という名前は見たことがある――!


 アンジェリーナはばっと顔を上げてクリスを見た。


「クリス、これ、“基礎魔法”って――ポップ魔法のことじゃないよね?」


「――え!?そういうこと?」


 アンジェリーナの発言に間を置くこと数秒。

 ようやく事の重大さを理解したのか、ギルが声を上げた。

 そして、二人の熱い視線を前に、クリスはゆっくりを口を開いた。


「はい。ここでいう魔法とは、ポップ王国外で広く用いられている、『基礎魔法』。つまりこの本は、魔界で一般的に言われる普通の『魔法』に関する入門書です」


 その言葉に、アンジェリーナは息を飲んだ。


 果たして、何がそんなに重要なのか、思い出してほしい。

 つい鎖国にいると忘れがちだが、この国で使われているのはポップ魔法。

 強力な魔力を保有するポップの恩恵を受けた、ポップ王国でのみ使用することができる、特殊な魔法だ。

 つまり、この広い世界において、ポップ魔法こそが特異なのであって、いわゆる“魔法”などというものとはまったくの別物なのである。


「ど、どうして――というかどうやって!?」

「うんうん、そうだよ!なんでこんな本がここにあるんだよ。“尋常魔法”なんか、この国においちゃ、御法度だろうが!」


 二人が口を揃えてクリスを責め立てる。


 どうしてアンジェリーナとギルがこれほどまでに、クリスに迫っているのか。

 それは、いわゆる尋常魔法の使用は、このポップ王国において、最も重い罪に当たるからである。


 尋常魔法とは、国内でポップ魔法と対比して呼ばれている、外の世界のの魔法のことである。


 過去、ポップ王国は大魔連邦と戦争をした歴史がある。

 これがポップ王国を鎖国にした原因となのだが、この際に定められたのが『魔法禁止令』。

 その名の通り、王国内にて、尋常魔法の使用を禁じる法令である。


 他国からの侵入を察知する目的で定められたその法令は、戦争から100年以上経った、今でも有効であり、特に王都では、尋常魔法の使用を検知する結界が張られているなど、徹底した対策が取られている。


 ところが、この法令は国民には広く知られていないという現状にある。

 というのも、鎖国では外の情報を断絶している。

 外の世界にポップ魔法とは異なる魔法が存在するということ、また、ポップ魔法だけが魔界において仲間外れにされているという状況をあまり知らせたくはないのだろう。


 本の虫であるアンジェリーナ、および、この国の防衛の要である兵士のギルであったからこそ、この本の危険度について理解できたのだ。


「『どうして』、『どうやって』、ですか」


 二人が固唾を飲んで見守る中、クリスは少し考え込むようにうつむき、そしてぱっと顔を上げた。


「『どうして』、に関しましては、アンジェリーナ様のためというのが一番適切な答えでしょう」

「え?」


 私のため?


 アンジェリーナは首を傾げた。


「アンジェリーナ様、突然になりますが、剣術の鍛錬は順調ですか?」

「ん?あ、うん、一応」


 唐突な質問に、アンジェリーナは戸惑いながら答えた。


「最近じゃあ、必殺技なんかも習ったりしているしな?」

「そうですか。ならなおさら良かった」


 どういう意味?


 怪訝そうな表情を浮かべるアンジェリーナに、クリスはぱっと目を合わせた。


「アンジェリーナ様の剣、あれは魔剣ですよね?」

「――うん、広く言えば」

「それならば理屈上、魔法を使うことが可能なはずです」


 その言葉に、アンジェリーナは一瞬固まった。


 確かに、時の宝剣は時空間を操ることができるという魔剣。

 過去にいろいろとその力を用いて、英雄たちを生み出してきたとはあったけど。


 アンジェリーナはうーんと眉間にしわを寄せた。


「でも私、普通の魔力持ち合わせていないよ?ポップ魔力があるだけで」

「えぇ。ポップ王国民のほぼ全員がそうでしょう。ですがよく考えてみてください。時の宝剣の言い伝えを」


 言い伝え?


「時の宝剣の前任者はポップ王国の人間だったんですよね?」

「え、うん。確かポップ王国の兵士だったかな」


 アンジェリーナは記憶を頼りに答えた。


「それではその兵士もアンジェリーナ様と同様、ポップ魔力しか持っていなかったことになります」

「――あ」


 そこでアンジェリーナは気が付いた。

 クリスの言わんとしていることに。


 そうだ。確かにその通りじゃん。

 前任の使者はポップ王国民だった。

 それなのに、その前任者はポップ王国と大魔連邦の間を縦断するような、巨大な結界を築いている。

 ポップ魔法なんかじゃ、そんな芸当は不可能。


 どう考えても、(尋常)魔法を使ったとしか思えない。


「つまり、ポップ王国民であっても、時の宝剣で魔法を用いることは可能ってこと?」

「おそらくは」


 アンジェリーナははぁと息をついた。


 なんだか頭がパンクしそうだ。


 その様子を見てか否か、クリスは続けた。


「これからアンジェリーナ様がどのような道を進まれるか、私には予想もできません。ですが、どんな道であれ、アンジェリーナ様が自分の生きたいように生きるためには、準備が必要になります。今行われている剣術の鍛錬も、この勉強会もそうです。ですから、恐れながらここでもう一つ、レベルアップが必要ではないかと思いまして」

「それは、つまり――」


 クリスはこちらをまっすぐに見て言い放った。


「時の宝剣の真の力を引き出し、使いこなせるようになることです」


 時の宝剣の真の力――。


 アンジェリーナの胸はドクドクと高鳴っていた。


「そのための、魔法の勉強ってことね」

「はい」


 そう言って、クリスはアンジェリーナが手に持つ本を指さした。


「今渡した本は、国外では広く用いられている教科書です。しかもレベルは初等学校程度。ですが残念ながら、そこに書かれた魔法は尋常魔法です。ですから、ポップ魔力のみを持つ我々には使用できないでしょう。しかし、“魔法というもの”を具体的に想像するのには適していると思いまして、参考になればと差し上げました」

「“魔法というもの”?」


 妙に引っ掛かる言い回し。

 クリスは淡々として続けた。


「後で読んでみてもらえればお分かりになるでしょうが、そこに書かれた魔法たちは、ポップ魔力とは相異なるものばかりです。そもそもポップ魔法は、あらかじめ道具に魔法を組み込み、魔力を注ぐことで使用することがほとんど。しかし、尋常魔法は自分の明確な意志があって初めて、魔法を使うことができる。とても自由なものなんです」


 自由?


 クリスの言葉の意味がわからず、アンジェリーナはうーんと唸った。


「まぁ、とにかくいろいろと体感してみてください。おそらく新発見があるでしょう」

「う、うん」


 アンジェリーナは困惑しながらも頷いた。


 なんだかまとめにかかっているような気がする。

 まぁ、時間も時間だしね。

 それにしても、結構突き放されたような――。


「おい待て!」


 そのとき、どんどんと繰り広げられる難しい話に黙りこくっていた、ギルが声を上げた。


「なんだか終わりな感じになっているけど、クリス!お前、まだもう一つの質問に答えてねぇだろ」

「質問?」


 そんなものあったっけ?


 ピンとこない様子のアンジェリーナにしびれを切らしたのか、ギルが声を張り上げた。


「『どうやって』その本を仕入れたか!」


 あ。


 そこでようやくアンジェリーナは思い出した。


 そうだった。さっきクリスに質問したもう一つ。

 内容の濃い話のせいで、すっかり忘れていた。


「あぁ、その話ですか――」


 先程までの饒舌とは裏腹に、クリスはどこか歯切れが悪い。


「どうなんだよ!」

「検閲、普通なら通れるはずないしね」


 二人の息の合った追及がクリスを襲う。


「まぁ、そこは」

「「そこは?」」

「――コネを、こねこねと」

「は!?」


 コネって――。


 アンジェリーナとギルが半ば呆れる中、クリスはここが逃げ場とばかりに、突然立ち上がった。


「まぁそんなところです。大したことじゃないですよ?――それではそろそろ時間なので、私はこれで」

「あっ、ちょ、待て」


 ギルの制止を一切聞くことなく、クリスは足早に部屋を去って行った。


「ったく、なんだよあいつ」


 ぶすっと不貞腐れるギルに苦笑いを浮かべながら、アンジェリーナはクリスの消えた扉に目を向けた。


 あの感じ、絶対に違法なことしてるよね。まったく。


 アンジェリーナははぁとため息をついて、視線を落とした。


 それにしても、魔法、かぁ。

 まさか、使えるときがくるだなんて。

 不思議な感覚。


 アンジェリーナは静かに本を見つめていた。

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