第148話 矢印

 ふふっ。


 プレゼント交換が終わったその夜、アンジェリーナは一人自室のベッドの上に座って、ニヤニヤと笑っていた。

 そっとベルトの革を撫でながら――。


 ――――――――――


「じゃーん!」

「おぉ、ちゃんと似合ってるじゃん」


 時間を戻すこと数時間、森の広間。

 アンジェリーナはもらったベルトをさっそく身に付け、二人に見せびらかしていた。


「どうだ?付け心地は」

「うん。いい感じ」


 合わせているのが薄汚れたつなぎっていうのが残念だけど。


 ベルトは腰のあたりでつなぎをピタッと押さえつけ、アンジェリーナの腰のあたりにちょうど収まっていた。


「差してるのが木の剣ってところが残念だけどな」

「それは、仕方ないでしょう?」


 ギルの小言に口を曲げながら、アンジェリーナは自身の腰元に目線を落とした。


 確かに、今現在、ベルトに差してあるのは木の剣。

 せっかくベルトは一級品なのにこれでは雰囲気が台無しだ。

 真剣でもあればいいんだけど。


「アンジェリーナ、体の軽さはどうだ?」

「軽さ?」


 ジュダの言葉にアンジェリーナは首を傾げた。


「ほら、身体強化が入っているはずだから」

「あぁ」


 確かに、そうだった。


 アンジェリーナは自分の体の様子を確かめるように、その場でジャンプしてみた。

 だが特に変わりはない。


「じゃああっちまで走ってみろ。ただし、きちんと足に力を込めることを意識して」

「わかった」


 ジュダの指示に応じて、アンジェリーナは準備体勢に入った。


 足に力を込める、イメージ――。


 アンジェリーナはぐっと足を踏み出した。

 その瞬間、


「う、うわっ!!」


 たった数歩進んだだけ。

 それなのに、目の前にはなぜか、鼻先ギリギリに迫る木が見えた。

 そう。アンジェリーナは一瞬のうちに、広間の端から端まで到達してしまっていたのだった。


「こ、怖い」


 恐怖に思わず言葉がこぼれた。


「と、いうわけだ」


 その声にアンジェリーナはくるりと後ろを振り返った。


「身体強化を使うのにもそれなりに訓練がいる。でないと今のように制御不能になるからな」

「な、なるほど」


 百聞は一見に如かず。習うより慣れよ。

 うん。身に染みてよくわかったよ。


「まずは普通に走れるようになるところからだな。それじゃあ、練習を始めるぞ」

「うん」


 ――――――――――


 あれから結局、みっちり身体強化の特訓をさせられて、ヘトヘト。

 ジュダやギルは簡単に自分の体を操っていたけれど、あれって相当すごいことだったんだな。


 それにしても――。


 アンジェリーナは再度、ベッドの上に置かれたベルトに目を落とした。


「ふふっ。らしくない」


 こんな高そうな買い物。

 ジュダが――。


 まぁ、公費で買ったって言ってたから、お金の心配はする必要ないんだろうけど。



 ん?公費?


 そのとき、何かが引っ掛かった。


「あれ?でも剣術指導に公費なんて出てたっけ?」




 ――――――――――


 一方その頃――。


 よく頑張った!俺ぇ!!


 俺にしてはよく耐えた。よく表情に出さなかった。

 普通に会話もできていたし、目線をそらせたりもしなかった。

 きっと、たぶん、バレていないだろう。


 俺が、気づいてしまったことに。


 まさかまさかだろ。

 アンジェリーナがジュダ教官のことを好きだなんて。

 いやよくよく考えてみれば、アンジェリーナに一番近いのは、ジュダ教官だったわけだし。

 今日も思ったけど、二人の、何て言うの?信頼感というか、互いが互いを思い合って尊重している感じ?すごいんだよなぁ。


 あっ、ちょっと待てよ。


 ギルはあることに気が付いた。


 アンジェリーナからの矢印がジュダ教官に向いていることは、ほぼ確実になったわけだけど、じゃあ逆はどうなんだ?

 ジュダ教官はどう思ってるんだろう?


「おい、ギル」

「へあ!?」


 素っ頓狂な声をあげ、机から跳ね起きると、その目の前、訝しげな表情で見下ろすジュダの姿があった。


「何一人で百面相してんだ」

「あ、すみません」


 連絡事項があるからと、休憩室で待たされていたのをすっかり忘れていた。


「今朝話した件だが――」


 今朝?――あ。


「例の自殺――」

「そうだ。引き続き調査は行われるらしいが、実質犯人死亡をもって、捜査終了だと」

「え?」


 突然の通達に、ギルはぽかんと口を開けた。


「で、でも、まだヤルパのこととか何も証拠見つかってないんですよね?」

「あぁ消化不良にも程がある」


 そう吐き捨て、ジュダはチッと舌打ちした。


 ジュダ教官、すごい苦い顔してる。

 まぁそうだよね。

 散々後処理に巻き込まれてきたんだから。


 はぁ、俺も、せっかく犯人捕まえた張本人だってのに、なんだか後味悪いな。


「ったく、このこと知ったらヤルパの連中、大喜びでしょうね。自分たちの秘密を漏らすことなく、事件の幕引きができたんですから」


「――大喜び?」


 そのとき、ぽつりとジュダが呟いた。


「え?」

「いやなんでもない――まぁそういうことだ。よってこれ以後、事件の内容について口に出すことは一切許されないからな。ということで誓約書」

「え!?」


 これが本題か!

 でも結局はぐらかされたな。


 ジュダは言葉を濁したまま、それ以上何も言ってこなかった。

 ギルは手早くサササッと誓約書にサインをした。


 うん。我ながら汚い。


「よし、じゃあ帰ろうか」

「はい」


 二人は連れ立って各々の部屋へと向かっていった。


「あ、ところで、今日のすごかったですね」

「ん?何がだ?」

「アンジェリーナへのプレゼントですよ」


 帰る途中、ギルは何気なくジュダに話しかけた。


「俺、あんな高級そうな剣ベルト、見たことないですよ。相当高かったんじゃないんですか?――あ、でも、公費だからジュダ教官は払っていないのか」


「馬鹿、公費なわけないだろうが」


「――へ?」


 ギルは思わず足を止めた。


 公費、じゃない?


「いや、で、でも」

「どう考えても嘘だろ。ああでも言わなきゃアンジェリーナが気後れするだろうからな」


 う、嘘?


 ギルはなおも意味がわからず、その場に立ち尽くしていた。


「そもそもなぁ、他の授業と違って、剣術指導は別に公認でも何でもないんだよ」

「え!?」


 そう言って、ジュダは呆れ顔でこちらを振り返った。


「アンジェリーナが許可されているのは、あくまでに剣術を稽古してもらえるということ。つまり、授業でも何でもない。極論、俺らはあいつの暇つぶしに付き合っているようなものなんだよ」

「え、えー?」


 衝撃の事実に、ギルは声を漏らした。


 まさか、剣術指導にそんなタネがあったとは。

 全然知らなかった。


 ん?待てよ。ということは――。


 そこでギルははたと気が付いた。


「あのプレゼント、結局私費だったんですか?」

「――だからそう言っているだろ?というかお前、本当に気づいてなかったのか?」


 なっ、なっ――!




 ちょっと待て!


 ジュダと別れ、自室に戻ってきたギルは、ベッドの上に座り込んでいた。


 よく思い出せ。

 あのベルト、いくらだった!?


 ギルは必死で記憶を掘り出しにかかった。


 あのとき街で一瞬見ただけで、詳細はわからないけど、確か本革のタイプだと4,850マリンだった。

 加えて魔石本体が19,800マリン。

 この他に魔石の加工代とか諸々オプションがついて?

 いや、そもそも女用の剣ベルトなんて置いてるのか?

 え、ということはオーダーメイドで――。


 あれ?これ一体いくらかかったんだ?


 そこまで考えてギルの頭はフリーズした。


 まさか私費だっただなんて。騙された。

 アンジェリーナは気づいているのか?


 あーもう、ジュダ教官の意図がわからない。

 あの人ってそんなに簡単に散財する人じゃないし、ずっとストイックで。

 それなのにどうしてそこまでアンジェリーナのために?



『ありがとう、ジュダ。すっごく嬉しい』


 ――屈託のない笑顔。



 身体強化の練習をさせたかったから?

 だから剣ベルトだけじゃなく、魔石付きで?


 いや、にしても、本革にする必要あったか?

 しかもあの魔石、相当大きかったし。あんなの、兵士でさえ付けてるやつ少ないのに。

 俺ちょっと見ただけだけど、あんなに濁りのないキラキラしたの、見たことないし――。



『きれいだったな』

 ――小さな呟き。



 ん?


 そこでギルは何か違和感を覚えた。


 なんだ?この引っ掛かりは。



『琥珀色――』

 ――何か宝物でも見つけたような目。



 コハク色?


 そのとき、ギルの脳裏に、数時間前の記憶が鮮烈に蘇ってきた。


 そうだ。あのとき、アンジェリーナは確かにコハク色と呟いていた。

 コハク色ってなんだ?


 耳慣れない単語に、ギルは首を傾げた。


 まずい。知らない言葉だ。

 でもなんだかすっごく重要な気がする。

 考えろ。考えろ俺。

 ない頭を精一杯動かせ。


 ギルはゆっくりとその呟き周辺の記憶を辿った。


 確かその前、アンジェリーナは魔石を見ていた。その上で“コハク色”と呟いて――“色”っていうからにはつまり、コハク色は色の種類?

 あっ、たぶんそうだ!

 つまりあの魔石の色がコハク色っていうこと――?


 じゃあどうしてアンジェリーナはその色だとわかった途端に、感動した目を?


 ――目?


 その瞬間、ビビビッとギルの頭に電気が走った。


「あ、そうか!」


 ギルは思わずその場に立ち上がった。


 そうだ!どこかで見覚えがあると思ったんだよ。あの魔石の色!

 そうか、やっとわかった。

 コハク色は――。


「アンジェリーナの瞳の色だ!」




 え?

 ――ドクン。



 つまり、アンジェリーナが赤面したのは、魔石の色が自分の瞳と同じ色だと気づいたから?

 ――ドクン。



 ということはつまり、ジュダ教官はそのことに気づいていて?

 ――ドクン、ドクン。



 相手に気を遣わせないための嘘。

 魔石と瞳の色。

 ――ドクン、ドクン、ドクン。



 すべては、アンジェリーナのために?

 ――ドクン、ドクン、ドクン、ドクン!!




『ジュダ教官はアンジェリーナのことが好き』


 アンジェリーナからジュダに伸びていたはずの矢印。

 しかしその瞬間、その図に新たな矢印が浮かび上がった。


 ジュダ→→アンジェリーナ??




「はぁ!!??」


 部屋中に、城中に、ギルの声が轟いた。


 今、すべてのピースが繁がった。

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