第136話 消失薬

 クリスによって明かされた消失薬の正体。

 アンジェリーナとギルは口をあんぐりと開けていた。


 魔力を失わせる!?

 この魔法に溢れた魔界において、それって最強なんじゃないの?


 固まる二人を前に、クリスがあくまで冷静に話を進めた。


「消失薬は普通、飲ませたり掛けたりして使うものではなく、武器に練り込むことで用いられます」

「練り込む?」

「はい。例えば刃とか、それこそ矢じりとか」


 矢じり――。


「そして、その消失薬の製造方法は、フォルニア王国の国家機密となっており、門外不出です」

「なるほど。それで他の国は面倒も承知でフォルニア王国から武器を買おうと。消失薬入りの武器が欲しいがために」

「そういうことです」


 はぁー、とアンジェリーナは感嘆の声を上げた。


「フォルニア王国は基本、各国の要望に合わせて武器を製造します。その際に、オーダー元の所有の証を刻むこともしばしば。ヤルパ王国の場合、それが国章だったということです」


 なるほど。そうだったんだ。


 そのときアンジェリーナの頭にぱっと一つの疑問が浮かんだ。


 でも、今回の襲撃、単独の犯行だったらしいし、はっきり言って失敗する確率のほうが高かったのでは?

 それならわざわざ身元がバレるような武器を持たせる必要あったのかな?

 それだけ消失薬が強いと思っていたから?


「じゃあさぁ、俺、あのとき、矢じりに触れてたらヤバかったってこと?魔力失ってたってこと?」


 ギルが身の毛もよだつというふうに、ぞわぞわっと体を震わせた。

 確かに、よくよく考えてみれば、結構危なかったのかも――。


「いえ、そうとは限りません」

「「え?」」


 二人の声がハモった。


「消失薬というのは確かにとてつもない効果を持つものです。ですが、その効果は消失薬そのものに触れているときにしか作用しません」

「触れている?」

「つまり、矢じりならば、矢が刺さっているときにしか効果が出ないということです。一度完全に抜いてしまえば、消失薬の効果は消え、魔力もすぐに回復します」


 クリスの話に、アンジェリーナはなるほどと頷いた。


 言われてみれば、体内に注射するというわけでもないようだし、一度触っただけで魔力を失いっぱなしというほうが考えにくいかも。

 触れているときだけ効力を持つというのならば合点がいく。

 ただ――。


「そう聞くと思っていたほど強くはないのかな?消失薬って」

「いやいや、そんなことねぇよ!戦場では一秒一秒が命懸けだ。そんな時にいきなり魔力が使えなくなったら?一瞬の隙をついて敵にやられること間違いなしだろ」


 声を荒げ反論するギルに乗じ、クリスも話に乗ってきた。


「えぇ。実際、消失薬は人を殺すことが目的ではなく、一瞬でもその人をさせることが目的です。戦争の場において、主に魔法を武器として用いる外国では、魔力を失うことは攻撃力をゼロにされることに等しい。つまり、消失薬は最大の脅威となるわけです」


 そういうことか。考えが甘かった。


 二人の話を聞き、アンジェリーナは心の中で静かに反省した。


「ただ、今までポップ王国との戦争において、消失薬が使われたという記録は残っていません」

「「え?」」


 話の腰を折るような突然の事実に、二人の声が再びハモった。


「どうして?そんなに便利なものなら、たくさん使われていそうだけど」

「理由は主に二つあります」


 そう言ってクリスは指をぴっと立てた。


「一つは、消失薬そのものがとても高価であるということ。消失薬はフォルニア王国、ただ一国のみが作れる秘薬。それも、王国内でも『イントリーガ社』しか作り方を知らないという噂です。その希少性を考えると、フォルニアが値段を高く設定するのも納得でしょう。そのため、消失薬は小国にはとても買えるものではなく、経済の発達した先進国にしか手に入れることができない代物なのです」


 クリスの言う通り、ポップ王国の周りは、ポーラ共和国を除けばすべてが小国。

 外のことはよくわからないけれど、確実にポップ王国よりは国力の劣った国ばかりだ。

 そんな国が消失薬を手に入れられないというのは納得できる。


 そうでなければ、消失薬があちこちに出回って、こちらの耳にも入ってきているだろうし。

 かなりのやり手な雰囲気があるフォルニア王国が、そんな価値を失いかねないような真似、するわけがないだろうし。


「もう一つの理由は、そもそも消失薬がポップ王国民に効くのかわからないから、です」

「「――え?」」


 予想の斜め上の発言に、二人は思わず固まった。


「ど、どういうこと?」

「ご存じでしょうが、我々ポップ王国民が持つ魔力と、外の人間が持つ魔力というのは別物です」

「ポップ王国はポップの力のせいで、ポップ魔力っていう、特殊な魔力を持っているからね」


 イマイチよくわかっていなさそうなギルを横目に、アンジェリーナは丁寧に答えを返した。


「えぇ。そのため、普通の消失薬がポップ魔力を同様に消失させることができるのかは現在不明なんです。それに、試そうにもポップ王国は鎖国ですから、国民との接触もろくにできない。そんな確証も得られない中で、多額の金を支払ってまで、消失薬を実践投入しようとするなど考えられないでしょう?」

「それは、確かに」

「でも、実際ヤルパは持ってるってことだよな」

「はい。だからこそ、事態は緊迫しているんです」


 事態が緊迫――。

 アンジェリーナはごくりと唾を飲んだ。


「もはや、消失薬が効くのかどうか、そんなことは問題ではありません。それよりも大事なのは、ヤルパ王国が、、ということなのですよ」


 その言葉にアンジェリーナははっとして目を見開いた。


「今までは小競り合いが続いていたにしろ、こちらのほうが圧倒的に強いという余裕がありました。ですが、ヤルパ王国が予想以上に発展してきているとあらば、事態は一変します。もしヤルパ側にこちらとやり合えるだけの戦力があるとしたら――」


 アンジェリーナはもう、クリスが何を言おうとしているのか察してしまった。


「それってつまり――」

「はい」


 クリスはまっすぐにこちらを見つめて言い放った。


「ヤルパ王国との戦争が始まるかもしれません」


 突き付けられた事実はあまりに重く、アンジェリーナにのしかかる。


 戦争――。


『この子はいずれ、王国存亡をかけた、巨大な戦争に立ち向かうことになります』


 いつかの母の声が、ふいに頭をよぎった。

 アンジェリーナの胸の中に暗雲が立ち込め始めていた。

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