第127話 孤軍奮闘

 あーどうしちまったんだろう、俺。


 背筋をピンと伸ばし、無表情を貼り付かせ、粛々と行われる誕生日パーティーに、ギルは目を光らせていた。

 いや、ただそれは、表向きの話であって、心の中では身をよじるほどに悶えていたのだが。


 さっき、アンジェリーナを見てから、なんだか心が浮つく。

 あいつの目を見ると、急に心臓がバクバク言って、呼吸が荒くなる。

 一体何なんだこれ。


 あれか?あいつが初めて姫様らしい格好していたから、びっくりしたのか?

 いやいや、それなら今もどぎまぎしているのはおかしいだろ。

 うーん、いや、それにしても――。


 ギルの脳裏に、先程の、階段を下りるアンジェリーナの姿がよぎった。


 あのときのアンジェリーナ、きれいだったなぁ。


 ――って、何思い出してんだ俺!

 というか『きれい』って、いやきれいなことは間違いねぇんだけど。


 ギルの中で何の戦いかもわからない、攻防が激化する。


 ほら、思い出してみろ。いつものアンジェリーナを。

 あのじゃじゃ馬だぞ?

 あの、生意気で、俺のことを年上とも何とも思っていないような、ガキだぞ?


 そこまで考えてようやく、ギルは心の中の熱がすぅっと引いていくような気がした。


 ふぅ。やっと落ち着いた。

 そうだ、そうだよ。これは一時の気の迷いだ。

 きっと誕生日マジックで、あいつが、まるで美しい姫様のように見えているだけなんだ。

 今日が終われば元に戻るんだ。

 そうだ。そうに違いない。


 と、無理やり自分を納得させ、ギルは平静を取り戻した。


「アンジェリーナ様、この度はお誕生日、本当におめでとうございます」

「ありがとうございます」


 現在はプレゼント献上会の真っ最中。

 アンジェリーナの前には、次々と高そうな服を着こんだ貴族たちがやって来ていた。


「こちら、我が領地特産の綿を使った、上質なストールにございます。お気に召していただけるといいのですが」


 そう言うと、男は後ろに控えさせていた家来に指図し、テーブルの上にプレゼントを置いた。

 そしてそのプレゼントを、いかにも大事そうにアンジェリーナが抱え上げる。


「なんて素敵なプレゼント。本当にありがとうございます。大事に使わせていただきます」

「いえいえ」


 アンジェリーナの穏やかな微笑みに、男は見るからに鼻を伸ばして笑みを浮かべた。


 いやいやいやいや、何デレデレしてんだよ。


 アンジェリーナのすぐ後ろ、ギルは感情を出さぬよう、心の中で盛大に突っ込んだ。


 あんなの建前に決まってんだろ?

 見ろ、あの作り笑顔!

 普段、剣を握っているときの嬉しそうな表情と比べたら、どんなに不自然なものか。

 くっそ、さっきから来る度来る度、男がニヤついて帰っていく。

 あー腹が立つ!


 と、ここで、ギルは違和感に気づいた。


 いや待て、どうして俺がこんなに苛立たなきゃいけねぇんだ?

 そんな義理ねぇだろ。

 俺は、あくまでこいつの近衛兵であって、許婚でもあるまいし。

 こんなのまるで嫉妬――。


 嫉妬?


 己から出た、予想外の言葉に、ギルは一瞬思考停止した。

 そしてバカがさらにバカに――頭の回転速度が急激に遅くなる。


 嫉妬、嫉妬ってなんだっけ?

 あれ、そうか。確かやきもちってことだよな。

 やきもちってなんだっけ?

 あぁ、好きなやつに対する感情だったっけ。


 え、やつ?


 そこでギルの思考はフリーズした。

 もう何も考えられない。

 防衛本能のためか、それとも単に、脳が負荷に耐えられなかったのか、ギルはそれ以上考えることを完全に放棄した。


 ――よし、じゃあ場内の監視を続けるか。


 それどころか、先程までの思案を無かったことにするかのように、ギルは一旦すべてを忘れることにした。


 今はまだ、後ろから2番目のテーブルの人たちが挨拶に来ている。

 ここにいるのは全部で100人以上。

 まだまだ先が長い。


 ギルは、会場に隈なく目を向けた。


 各テーブルでは、貴族たちが何やら高貴な話をしている様子。

 アンジェリーナは、現在進行形でプレゼントを渡しに来たやつの対応に当たっているし。

 国王様は極力関わりたくないのか、黙ってワインを飲んでいる。

 ジュダ教官はさすがの無表情でアンジェリーナの前の男に目を光らせているし。


 うんうん、何もかも順調に進んでいるようだ。

 護衛や使用人たちも、事前に決められた通りに、動いているようだし――。


 そのとき、ギルの目線がある一点で止まった。


 あれ?


「ジュダきょうか、ジュダさん」


 すぐさま小声で横のジュダに囁く。

 ジュダはこちらに目線を向けることなく、答えた。


「なんだ?」

「今日ここに入る使用人って、事前準備にいた人で全員ですか?」

「そのはずだが――」


 そこではっとしたようにジュダはこちらに視線を向けた。

 ギルが言わんとしていることに気づいたようだ。


「どこだ?」

「今、会場内に入ってきました」


 ギルの視線上にいたのは、使用人の格好をした男。

 今まさに、大広間に足を踏み入れたところだった。


 だが、ジュダにはギルが言っている男が誰かわからない様子。

 それも無理はない。

 何せ相手はきちんと式典用の服を着ており、違和感の欠片もないからだ。


 このままじゃ、来賓のいるテーブルまで到達してしまう。

 じゃあここは――。


「少し空けます」


 ギルはジュダに一言そう言うと、後ろを抜け、すたすたと男の場所へ向かおうとした。


「待て、ギル」


 小声で呼び止められ、ギルはくるりと後ろを振り向いた。


 ――――――――――


「すみません」


 入り口付近、ギルは一人の使用人に声をかけた。


「はい?」

「先程手違いがあったようで、本来城に届けられているはずの、姫様宛のプレゼントがまだ到着していないようなんですよ。それで、まだ届いていないのか、確認をしたくて。一緒に来ていただけますか?」

「えっと」


 その男はきょろきょろ周りを見回した。

 どの使用人も、見た目こそ落ち着いているが、事実、自分の仕事を必死になってこなしている。


「私でよろしければ」


 助けが得られないとわかったのか、男は素直にギルのヘルプを引き受けた。




「本当にありがとうございます。私、まだここに来て日が浅くて、城の中に詳しくないんですよ」

「なるほど、わかります。私も最近入ったばかりで」


 軽い談笑を交わしながら、二人は大広間の外廊下を歩いていた。


「あ、あれ?」


 ここで突然、使用人の男が立ち止まった。

 突き当たりには壁。行き止まりだ。


 男は苦笑いを浮かべて、こちらを振り返った。


「すみません。案内をしておくと言っておきながら、こっちでしたかね?」

「そっちへ行けばまた行き止まりですよ」


 引き返そうとしたところ、ギルの言葉に男はピタッと足を止めた。


「手紙や宅配物の受け取り・選別は一度一階に下りなければならないんですよ。ここ、外から通じてはいますが、実は中二階なので」


 そのとき、空気が変わった。

 肌がひりつく。


 男の肩がすっと下がる。

 背を向けていて顔色は窺えないが、俺にはわかる。


『肩の力を抜いて次の戦闘に備えろ』


 ジュダ教官に散々言われたことだ。


「俺、記憶力は良いんです。城の見取り図も初日に覚えてしまったり、それから今日、パーティーに配属された護衛・使用人の顔だって、覚えてしまっていたり――」


 俺は話すのが得意じゃない。

 交渉なんて論外だ。

 だから――。


 ギルは静かに剣の柄に手をかけた。


「もし、臨時の代理で来たんだったらすみません。でも――――あんた、ここの人間じゃねぇだろ」




 同時、ギルは剣を抜き、そして男は右手に何かを携え、勢いよくこちらを振り向いた。


 折り畳み式の黒い棒、警棒か?


 次の瞬間、ガギンと音を立て、剣と警棒がぶつかる。

 ギルの耳元、バチバチッと音が鳴った。


 なんだこれ、電気でも仕込んでるのか?


 ガン、ガンと二人の攻防は続く。

 狭い廊下、二人とも大きく得物を振るうことは不可能。

 だが男は冷静な身のこなしで、次々と攻撃を繰り出してきた。


 体を柔軟に操り、こっちの攻撃をいなしつつ、攻める機会を窺っている。

 この殺気溢れる雰囲気といい、やっぱり手練れだ。

 ――だが。


 相手が警棒を振り下ろしたところ、ギルはその下から剣を押し上げた。

 力のせめぎ合い、ギリギリと音が鳴る。


 そのとき、男の表情が揺らいだ。

 予想以上の力に持っていかれそうになったのだろう。

 後退しようと後ろに一歩を踏み出す。


 しかし、それでもギルは逃さない。

 剣に最大限の力を込める。


「おらぁ!」


 ギルが大声を上げると同時、警棒は男の手を離れ、宙に舞った。

 ギルの後方、ガシャンと落ちる音がした。


 よし、武器を奪った。

 ジュダ教官に比べれば、こんなやつ、怖くも何ともない。

 でも油断は禁物。まだどんな武器を隠し持っているかもわからな――。


 そのときだった。


 鼻先、悪寒――!


 咄嗟に後ろに仰け反る。

 次の瞬間、シュンと空を切り、男の右手がこちらの顔目掛けて突き出された。


 あっぶね。


 ギリギリのところで攻撃をかわすことに成功。

 男の手はギルの顔の上スレスレを通過した。


 そのとき、ギルの目に、手の先、銀色の何かが映った。


 小さく、尖った、あれは――矢じり!?


 すぐさま体勢を立て直し、男に向き直るギル。


 だが相手もこの隙を逃すほど馬鹿ではない。

 こちらが準備する間もなく、次々と攻撃を繰り出してくる。

 どうやら男は、指の間に矢じりを挟み、腕を突き出し、振り抜き、攻撃してきているようだった。


 銀の矢じりなんて見たことねぇ。

 くそっ、こうちょこまかと動かれちゃあ、剣を振る前に体の隙に入られる。

 それに――。


 ギルは狭い廊下でどうにか体をねじらせながら、回避を続けた。


 俺には、制約がある。

 この男を止めようと思えば、いくらでも手はあるんだ。

 例えば、武器奪取のために腕を斬り落とすとか。

 だが、その方法じゃ、こいつを殺しかねない。


 そこまで考えて、ギルはふぅと息をついた。

 自然と肩の力が抜ける。


「――邪魔だな」


 ギルはそうぼそっと呟くと、素早く剣を鞘に収めた。

 唯一の武器を捨てるなど言語道断。

 これを好機と見たのか、男は大きく前に踏み出し、ギルに矢じりを突き立てた。


 次の瞬間――。


 パシッ。


 勢いよく突き出された男の右手、その手首をギルはいとも容易く左手で掴んだ。

 しかも目線は相手の顔に向けられたまま。

 そして流れるように、ギルは右手で相手の襟元を掴み、そのままぐるっと180度回転した。


 このとき、男は気づいただろう。

 自分は今すぐこの場を抜け出さなければいけないと。


 だが、そう思ったときにはもう遅い。

 男の体はすでに前に傾いていた。

 先程空振りに終わった自身の攻撃。

 そのツケが及んできたのだ。


「うおぉぉ!!」


 腰を屈ませ、左手を下に引き、右手を突き上げ、ギルは男を背負い上げ、そのままの勢いで床に叩きつけた。

 ガハッと男が呻き声を上げる。


 ギルは素早く相手をうつ伏せになるように転がし、その体の上に跨り、右手を明後日の方向へ捻り上げた。


「いでっ!いででで」


 聞くに堪えない苦しそうな声が廊下中に響き渡る。

 数秒の抵抗の後、男は力なく矢じりを手から落とした。


「はぁ、制圧完了」


 水面下の戦いは、大広間の誰にも気づかれることなく、無事、ギルの勝利により終結したのだった。

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