第125話 彼女の本質

 うーーーん。


 ギルは悩んでいた。


 あの衝撃発言からかれこれ2週間。

 いまだに結論が出ない。


 はぁ、何だよぉ。俺はただちょっとからかってやろうと思っただけなのに。

 なのに――。


『え』


“え”って何だよ!

 それも突然、クリティカルヒットを食らったような顔しやがって。

 知られたくないならもう少し誤魔化すとか――。


 そこまで考えてギルははっとした。


 おいおい待て待て。

 それじゃあアンジェリーナは本当に、す、好きな奴が――。




「おい、何ぼーっとしてる」

「はっ!」


 その低い声にギルは現実に引き戻された。

 振り替えるとそこには、案の定険しい表情をしたジュダが立っていた。


「忙しい準備時間に呆けてるんじゃねぇよ。というかお前、ネクタイ曲がってるぞ」

「え、あぁー、やっぱりどうにもうまくできなくて」


 ったく、とため息をこぼしながら、ジュダはギルのネクタイに手を伸ばした。


「昨日教えただろうが。これくらい一人前の大人ならできるようになれ。それにお前、記憶力良いんだろ?」

「い、いやぁ、記憶はできても実践となるとどうにも」

「――まぁいい。もう開始まで幾ばくもない。急ぐぞ。おら!」

「う゛っ」


 ネクタイが勢いよく締められ、ギルは思わず呻き声を漏らした。


 ったく、ネクタイなんて初めて付けたんだけど。

 きっついなこれ。


 そう思って無自覚にネクタイに手を伸ばしかけ、はっと手を止めた。


 いやいやこうやって緩めたらまた元通りになっちまうだろ。


 はぁとため息をつき、ギルは辺りを見回した。


 大広間はすでに着々と準備が進み、テーブルの上にはクロスが敷かれ、周りには椅子が並べられている。

 どうやら来賓客各々に席が指定されているようだ。


 物だけじゃない。人も大勢、慌ただしく行き交っている。

 メイド服の使用人から軍服を着た兵士まで、様々だ。

 だが普段と異なるのは、その様相が皆、いつもよりワンランク上だということ。

 いわゆる式典服というものだ。


 ギルはそのたくさんの人の中で、忙しなく動き回るジュダの姿を捉えた。


 ジュダ教官、同じ兵士の人たちだけじゃなく、使用人の人とも熱心に何かを話している。

 さすが警備計画を担った一人なだけある。


 対して俺は――。


 ギルは会場の隅っこにただ棒立ちしていた。


 ジュダ教官は『呆けてないで準備しろ』とか言ってくるけど、実際やることないんだよな。

 というか仕事を任せてくれないというか。


 まぁそうだよな。

 俺なんか言って、近衛兵就任1か月も経ってないひよっこだし。

 そもそも成人してないガキだし。


 まぁ、俺はせめてここにいる奴らの顔だけでも覚えておくか。


 そのとき、ギルはふと思い出した。


 あ、そうだ。

 アンジェリーナのこと、結局どうしよう。

 どうしようもないのはわかってるんだけど。

 いっそジュダ教官に相談する?

 ジュダ教官のほうがアンジェリーナのことよりわかっているだろうし。


 とここで、ギルははっと我に返った。


 いや待て。それは人間として無いだろ。

 仮にも想い人がいるという事実を、勝手に人に話されるんだぞ?

 そんなの、傷つくに決まってる。


 それに、そんなことすれば、短い期間で俺がどうにか積み上げた信頼がパァになる。

 不信、軽蔑、拒絶。

 そんなの、俺が辛くて耐えられない。


 あぁやめだやめ。

 これ以上詮索するのはなしにしよう。

 あいつだって、あれ以来特にあの話題に触れてこないし、要は忘れてほしいってことなんだろう。


 それに――。


 ギルは改めてだだっ広い会場を見渡した。


 12歳とはいえ、ただの少女じゃないんだ。

 こんなに来賓客が来てくれるようなやつ、一端いっぱしの男と触れ合う機会もそりゃあ多いだろう。

 たぶん、好きなやつっていうのも、そういう場で知り合った、どこぞの貴族だろうよ。

 うんそうだ。そうに違いない。


 ギルはそう自分に信じ込ませ、自身の好奇心に蓋をした。


 しかし、この結論がいかに安易なものであったかを、ギルはこの先痛感することになる。


 ――――――――――


 数時間後、いよいよ誕生日パーティーが開幕した。


 次々と来賓客が大広間へ流れ込んでくる。


 その様子をギルは、まだ空っぽなアンジェリーナの席の後ろで眺めていた。


 な、なんだこれ。


 このときすでにギルは圧倒されていた。


 まず第一に人の多さに。

 そして何よりその誰もが自分の何十倍、何百倍も高貴な雰囲気を漂わせていることに。


 無理はない。

 ギルが今まで見てきた人といえば、汗と土埃の臭いがもはや勲章と言わしめんばかりの、汚い訓練服を着た連中。

 もしくは、少し上等な軍服を着こんだ城の警備兵。

 あるいはその白さに抜かりのないメイド服を身に付けた使用人くらいなものだったのだ。


 まぁ、アンジェリーナは、城内にいるときは普通のお姫様らしくワンピースなんかを着ているが、あいつ、剣術指導の時間になると、平気で汚れの染みついたつなぎとか着るからな。

 泥だらけで森を駆け回っているところを見ると、あれ、こいつって姫様だったっけ?って本気で疑っちまうときあるし。

 でも――。


 ギルは再度続々と大広間に集う人々に目を向けた。


 この人たちは本当に本物だ。

 ザ・貴族って感じ。

 いや俺、貴族なんて数えるほどしか見たことないんだけど。


 会場に入ると、貴族たちはすぐに席に着くことなく、数人で固まって立ち話を始めた。

 ここからはどんな話をしているかはよくわからない。

 だが、浮かべているのが偽りの笑顔だということははっきりとわかる。

 きっと話していることもろくな内容じゃないのだろう。

 果たして言っていることの何割が真実なのか。


 そこまで観察して、ギルは一瞬吐き気を覚えた。


 この独特な香水の匂いに、なんだかきな臭い人間の臭いが相まって最悪だ。

 空気悪すぎるだろ、ここ。


「あんまり干渉するなよ」


 その様子を横目に見てか、ジュダが小声で話しかけてきた。


「最初は戸惑うだろうがじき慣れる。お前、仮にも姫の専属近衛兵なんだ。こういう機会、これからもっともっと増えるぞ」


 えぇー?


 ギルは心の中で嘆いた。

 もちろん、表情にはできるだけ出さないようにして。


 ギルは心を落ち着けようと、一度、すぅはぁと深呼吸をした。


 よしよし、胸のむかむかはまだ消えないけど、とりあえず切り替え切り替え。

 いつの間にか入ってくる人の流れも緩やかになってきた。

 立ち話をしていた奴らも席に着き始めたし、あともう少しで始まるな。


 ギルは斜め後ろにちらりと視線をやった。

 大広間の一番前に設置された階段。

 どういう意図で設置されたのか、よくわからないが、キラキラと光るその様は、まさにカヤナカ家の繁栄を物語っているようだった。

 予定では、あそこの2階から、国王様と共にアンジェリーナが下りてくるはずだ。


 それにしても、アンジェリーナのやつ、本当に大丈夫なのか?

 こんな偉そうな人の前で、颯爽と登場するんだろ?

 あの生意気な姫らしくない、あいつが――。


「あ、あと一つ忠告だ」


 ふと思い出したように、ジュダが口を開いた。

 その目線はまっすぐと会場を見つめたまま。


「アンジェリーナのこと、舐めるなよ。心しておけ。でないと火傷するぞ」

「――え」


 どういう意味ですか?

 そう言おうとしたときだった。


 わっと歓声が湧き、来賓の視線が一気に中央に向けられた。

 釣られるようにして、ギルもその方向に目線をやる。




 コツ、コツ、と聞こえるはずもない靴の音が響くような気がした。


 ゆったりとした足取りで下りてくる一人の少女。

 片腕を国王に預け、それが当たり前であるかのように堂々とした態度。


 淡い緑色のドレス。

 他の令嬢が着ているものと比べると、幾分かボリュームが少ない気がする。

 だがそれ以上に、スリムに作られたそのドレスは、体のラインを余すことなく強調し、彼女の、12歳にしては長身なスタイルを如何なく魅せつけている。


 化粧をしているのだろうか。

 いつもより赤く色づいた唇が白い肌によく映えている。

 その口元をほのかに緩ませ、彼女は大広間で大歓声を上げている衆人に微笑みかけていた。


 極め付きは、彼女の頭上で銀色に煌めくティアラ――。


 ここでようやくギルは理解した。


 あ、そっか。

 あいつは、アンジェリーナ=カヤナカは、姫様なんだ。


 そう。そこには姫がいたのだ。

 ポップ王国、たった一人の王女が。


 このとき、ギルは何も考えていなかった。

 何も考えていなかったからこそ、彼は無意識に漏らしたのだろう。

 その一言を。


「――きれいだ」




 アンジェリーナ、12歳の誕生日パーティーが今、始まる。

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