第123話 尊厳破壊

 金髪碧眼。顔面良し。スタイル良し。


 ギルは下から上まで舐めるように見た。


 アンジェリーナがポップの精霊だとかいうやつを、上の中と言った理由がわかった。

 つまり、これが、上の上。


「ギ、ギル?」


 アンジェリーナの不安そうな声にはっと目が覚めた。

 そうだ。今の俺はあくまで護衛。

 表情を引き締め、何が起ころうとも不動の精神でいなければ。


 ギルはビシッと姿勢を正し、クリスをまっすぐに見つめた。


「この度アンジェリーナ様の専属近衛兵となりました、ギルです。こちらこそよろしくお願いします」


 そしてすっと頭を下げる。

 その様子をちらりと視線を後ろにやり、アンジェリーナも見ていた。


 よかった。ギルも仕事モードに入ったみたい。

 でもなんでだろう。

 モヤモヤとした不安が未だ消えないのは。


 ――――――――――


「――ですから、ポーラ共和国との貿易は厳しい監査のもとに成り立つのであり、実際のところ自由貿易とは程遠く」

「なるほどなるほど」


 いや何がなるほどなんだ?


 勉強会が開始され、ギルは二人から少し離れたところに立っていた。


 始まるや否や分厚い本を取り出して、それ以降ずっと何か熱く語り合っている。

 許婚との会話ってこんな感じだったっけ?

 そもそも許婚とのやり取りなんて、聞いたことないけど。


 ただ、一つだけわかるのは、難しすぎて内容が全くわからないということだ。


「じゃあポーラに手紙を出そうと思ったらそれも全部見られちゃうってこと?」

「そうですね。ポップ側に入るときに普通は検閲が入ります」

「嫌だな。プライバシーも何もない」


 だから何の話をしているんだよ。


 ギルは段々と、体がむず痒くなってきた。


 さっきから見ていたら、アンジェリーナもあのでかい本読んでるよな。

 あいつ12歳だろ?

 12歳って言ったら確かまだ、初等学校の年齢だろ?

 何者なんだよ。


 それにしても――。


 ギルは改めて二人の様子を見つめた。


 何の話をしているのか、気になる。

 聞いたところで絶対にわからない自信があるけど、でも気になる。


 きっと魔が差したのだろう。

 気配を殺し、ギルは背後からそっとアンジェリーナに近づいた。


 本をちらっと見るくらいはいいよな。


 頭越しに机を覗き見る。


 さぁ、さっきから何を見て――。


 目に飛び込んできたのは、文字、文字、文字。

 びっしりと文字が並び、ページが黒くまで見える本がそこにはあった。


 その異様な光景に、ギルは思わずよろめいた。


 何だこれ!

 こいつらさっきからこんなの平然と読んでいたのか!?


 そのとき、パチリと目が合った。

 クリスだ。


「ギルさんも、読んでみますか?」

「え――ってうわっ!」


 その発言を不審に思ったのだろう。

 振り返ったアンジェリーナは、突如として現れた背後の男を見て、盛大に驚いた。


「なっ、なっ、いつからいたの!?」

「――今さっき」

「もう!気配消さないでよ!びっくりした」

「いや、うん、悪かった」


 アンジェリーナは呆れたと言わんばかりにこちらを見てきた。


 あぁ、結局内容もわからぬまま、怒られ損だ。


 ギルはがっくりと肩を落とした。


 そんな二人の様子をじっと見つめる男が一人。


「タメ口なんですね?」

「え?――あ」


 クリスの指摘に、ギルはばっと口を塞いだ。


 そ、そうだ。まずい。


「で、でも、ジュダきょうか、ジュダさんだって、タメ口ですし」

「ジュダは、護衛モードのときは、いつも敬語だよ」


 咄嗟の言い訳もアンジェリーナの一言で砕かれてしまった。


「いいですよ?タメ口でも。私は気にしませんし。普通に“クリス”と呼び捨てにしてくださって構いません」

「え」


 予想外の提案に、ギルは固まった。


 いいの、か?


 だがすぐに己の理性が揺れる心を制する。


「いやいやいや、さすがにそんなわけには行きません。私はしがないパレスの近衛兵ですし、一方のあなたは貴族の許婚様でいらっしゃいます。そんな身分不相応なこと、できるわけが――」

「え、ギルってそういう立場とか気にする性格だっけ?」


 アンジェリーナの割り込みに、ギルの気が逸らされる。


「いや、あの、俺は?いくら身分うんぬんで陰口叩かれていたとしても、気にしねぇけど、身分の違いがあるのは事実だし、仕事上に支障が出るのも確かだろ?」

「なるほど――ところで敬語外れているけどいいの?」

「――あ」


 しまったー!


 数十秒前の反省はどこへやら。

 墓穴を掘り、ギルはその場で頭を抱えた。


 その様子にアンジェリーナがはぁとため息をつく。


「もう。無理しなくていいよ、ギル。使い分けとかできないんでしょ?」

「あぁ?それじゃあ俺がまるでバカみたいじゃねぇか」

「いやだから馬鹿そうなんでしょう?」

「はぁ!?」

「だって現に怒鳴り散らして、立場も何も関係なくなってるじゃん」

「あ、が――」


 アンジェリーナの怒涛の口撃に、ギルは口をパクパクさせることしかできなかった。

 それもそのはず、言い返そうにもその隙も語彙力もなく、何より図星。

 ギルはもはや何も言うことができなかった。


「いいじゃないですか。楽しいですし。アンジェリーナ様も、こういうふうに同レベルで話せる相手がいたほうがいいですよね?」


 二人の言い合いを傍から眺めていたクリスが口をはさんできた。


「誰が同レベルだ!」

「知能レベル12歳」

「あ!?」


 ここぞとばかりにアンジェリーナも乗ってくる。

 これではもはや二対一だ。

 ギルの頭はすでに一杯一杯だった。


「ったく、人をからかうのも大概にしろ!アンジェリーナもも!」

「「あ!」」


 その瞬間、狙っていたかのように二人は一斉にこちらに指をさした。

 途端、はぁっ、と息を飲む。


 今一番やってはいけないことを――!!


 事態に気づき青ざめるギルを前に、二人は淡々と話を進める。


「何の抵抗もなく呼べるじゃないですか」

「いや、これは――」

「よしよし。これで万事解決」

「あ、あのぉ」


 当人を置いてけぼりにして、二人がどんどんと話を終わらせにかかっているのを、ギルはひしひしと感じていた。

 そして満を持して、アンジェリーナはばっと立ち上がった。


「改めて、ギルが仲間に加わって、これからこの3人、今いないジュダも含めて4人、一緒に頑張っていきましょう!」

「はい」

「え、えぇー」


 大げさに拳を突き上げるアンジェリーナ。

 それを文句も言わず容認し頷くクリス。

 そのノリに全くついて行けず、ギルはただただ戸惑いを露わにした。


 だがそれを逃してくれるはずもなく――。


「返事は?」


 アンジェリーナがこちらを睨む。

 主導権ははなから向こうにあったのだ。


「えー!?――はい」


 あ、これはもうどうにもならないやつだ。


 ギルは抵抗を諦め、ぼそりと答えた。


 はぁ。これ、ジュダ教官に怒られるやつじゃないのか?


 ギルの護衛としての尊厳は、数分のうちに見事に打ち砕かれたのだった。

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