第118話 勝負のあとで
禁断の森の広間、アンジェリーナは呆然と立ち尽くしていた。
目の前ではジュダがギルを押さえ込んでいる。
すごかった。
さっき行われたことが、嘘みたい。
今は、ただ静寂があるだけ。
ん?
そのとき、アンジェリーナは何か違和感を覚えた。
大事なことを、忘れているような。
そして気づいた。
ジュダがこちらをじっと見つめていることに。
その目線にアンジェリーナははっとした。
そうだ!
「あ。や、やめ!」
終了の合図、完全に忘れてた。
アンジェリーナは慌てて声をあげた。
すると、ジュダはギルの上から体をどかせた。
途端、ごほっ、ごほっ、ごほっ、とギルが苦しそうに咳き込む。
ジュダの催促が無ければ今頃どうなっていたことか。
「だ、大丈夫?」
アンジェリーナはおずおずとギルに近寄った。
「こ、れが、ハァ、だいじょ、っぶ、に、みえるかっ。ハァ、もっ、はやく――」
「うん、ごめん」
かろうじて言葉はわかるが、まさに息絶え絶えの様子。
申し訳ないと、アンジェリーナはぺこりと頭を下げた。
「ほら水、取ってきたぞ」
「ハァ、あ、りがとござ、います」
ジュダが水筒を持ってきた。
こういう気配りができるんだから。
どうにか体を起こし、水を受け取るギル。
しかし未だに呼吸は浅く、手もプルプルとしている。
本当に、辛そうだな。
「ねぇ、軍隊の訓練って、いつもこういう感じなの?」
アンジェリーナは心配そうに上からギルを覗き込んだ。
ギルは水をごくっと一口飲むと答えた。
「ハァ、ハァ、ま、日常茶飯事だろ、このくらい」
「えぇ?想像もできない。私だったら絶対に耐えられない」
「はっ、当たり前だ。俺とお前じゃ積んできた経験がちげぇんだよ」
その言葉に、アンジェリーナの眉がぴくっと動く。
ムカつく言い方。事実だけど。
ぐっと歯を食いしばり、アンジェリーナは気持ちを抑えた。
「というか、本気の手合わせだなんて、初めて見たけど、すごいね。迫力が段違いだった」
「あ?何言ってんだ?アンジェリーナ」
水を飲んで落ち着いたのか、すでにギルの呼吸は元通りになっていた。
こういうところはさすが兵士と言うべきか。
ギルはアンジェリーナを見上げて言った。
「ジュダ教官が本気な訳ねぇだろ」
「え?」
衝撃発言。
アンジェリーナは思わず大声を上げた。
「そ、そうなの!?」
「馬鹿言えお前。そんなことねぇよ」
「嘘だぁ!」
今度はギルが叫びを上げる。
その様子に、ジュダはやれやれとため息をついた。
「本気だよ。今出せる限りは、な」
今?
アンジェリーナとギルは首を傾げた。
「鍛錬において、ちゃんと本気は出している。ただ、俺の全力から加味すれば、まぁ9割といったところか」
「ほら!」
なぜかギルは誇らしげにこちらを見上げた。
でも、10割ではなかったってことなんだよね。
え、あれで?
「じゃあ残りの1割は?」
「それは――」
ジュダが口ごもる。
期待の目で見つめるアンジェリーナとギル。
その様子に、少し迷った様子で、ジュダは口を開いた。
「その1割はお前らには絶対に見せられない。戦場でしか発揮してはならないんだ」
戦場でしか――あ。
その言葉を聞いて、そして何よりジュダの暗い表情を見て、アンジェリーナは理解した。
つまり、その後1割は、人を殺すための力――。
ギルもそのことを悟ったのか、黙り込んでいる。
空気が、重い。
「それはともかく、ギルもすごかったね。ジュダの動きについて行って」
いたたまれなくなり、アンジェリーナは強制的に話題を切り替えた。
「――お世辞はやめろ。全然ダメだったじゃねぇか」
ギルまでもが暗い顔に。
逆効果だったか?
「そうでもないぞ?前よりもますます動きが良くなっている」
「そうですか?」
ジュダの言葉に、ギルの顔が少し明るくなる。
「あぁ。1か月前に比べたら格段に」
「ん?」
その言葉に、アンジェリーナはあることが引っ掛かった。
「1か月前?ジュダってギルといつ会ってたの?普段はずっと私と一緒で、そんな暇なかったでしょう?」
「ん?あぁ。1か月に1回は会ってたぞ?おおよそ1年ちょっと前から。ほら、1か月に1度の休日に――」
「はぁ!?」
アンジェリーナは目を見開いてジュダを凝視した。
「え、え、休日返上でわざわざ毎月弟子に会いに行っていたの?それも1年以上!?」
「あぁ」
さも当然のように頷くジュダ。
その反応にアンジェリーナはため息をついた。
「あのねぇ、休日っていうのは心と体を休めるためにあるわけで。ジュダいつも大変なのに、休日くらいもっとゆっくりしなきゃ――というか、近衛兵の休日が1か月に1度っていうのも見直さなければならない案件の一つではあるのだけれど」
「いいだろうが。俺の休日なんだから。俺がやりたいように使っても」
「そうだけどさ」
普通に心配だよ。
アンジェリーナは不満げに口を尖らせた。
「あれ、でも、師弟制度って12歳と16歳が対象なんだよね。16歳で教官になるってことは――つまり、期間は2年ってこと?」
「そうだ」
「ん?でも、1年ちょっと前って、もうジュダ20歳だし、ギルも16?15?歳、だよね。それなのにどうして」
「あー」
ジュダは語尾を伸ばして、ちらりとギルのほうを見た。
なんだろう?
「まぁ、お前には早めに話しておいた方がいいかもしれないな――ギルも、いいだろ?」
「――はい」
ギルは、渋々というように小声でそう吐き捨て、うつむいた。
「あのな、アンジェリーナ」
「うん」
その声にアンジェリーナはジュダと向き合った。
親指を立て、ギルを指しながら、ジュダは言い放った。
「こいつは、“人が殺せない”んだよ」
「――え」
アンジェリーナは、ジュダが指した方向に視線をずらした。
一瞬目が合い、ギルは気まずそうに目を逸らした。
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