第116話 修行の成果

 ったく、なんで俺がこんな目に。


 ぐいぐいっとストレッチしながら、ギルは目の前の少女を見つめた。


 6歳も年下のガキだぞ?それも女。

 こんなの一瞬で決着付くに決まってる。

 ジュダ教官も頭がいかれたか?


「よし、じゃあ始めるぞ」


 ジュダの声に、二人が相対する。


 ウキウキってか?

 表情に滲み出てんぞ?


「それでは、手合わせ――」


 剣術は子どもの遊びじゃない。

 わからせてやるにはちょうどいいか。

 とはいえ仮にも姫様。

 傷つければ大問題だ。

 ここは手加減して。


「始め!」


 ジュダの合図に合わせて、即座に剣を振りかぶる。


 つっても、こんなの瞬殺――。




 その刹那、ギルの視界からアンジェリーナが一瞬で消えた。

 突然の出来事に思考が絡まる。


 は?消え――――いや、下か!?


 直感を頼りに、視線を下に向けると、そこには確かに腰を落とし、地面すれすれに攻撃を回避するアンジェリーナの姿があった。


 出来る限り姿勢を低くし、相手の隙を狙う。

 大柄なやつほど動きは大雑把になりやすい。

 ジュダの言う通り!


 アンジェリーナはギルの左をシュルっと通り抜け、剣先を向けた。


 まずい!


 さっきまでの余裕はどこへやら。

 すっかり後手に回ったギルは、頭を戦闘モードに切り替えた。


 すぐさま体の向きを変更。

 後ろを向く回転力を利用して、剣を横に振り抜く。


 ギラリとした目が光り、先程までの舐めた態度はもうどこにもない。

 躊躇なく繰り出される剣撃にプレッシャーがのしかかる。


 反応速度はやっ!


 決して予想していたわけではない。

 見てから動いた、そんな動き。


 伊達にジュダの弟子やってないか。


 アンジェリーナの首筋にヒリヒリとした感覚が襲う。


 このまままともに剣が当たれば、力負けするのは明白。

 そのまま体ごと持っていかれて終わりだ。

 ここは――。


 剣が当たる寸でのところ、アンジェリーナはすっと重心を落とし、右手首を外に傾けた。

 直後、剣がカツンと音を立てる。

 が――。


 くそっ、流された。


 ギルはチッと舌打ちをした。


 ギルの剣が当たったのはアンジェリーナの剣先。

 重心を下げられたことで、当たる場所がずれた。

 しかも斜めに当たったことで力が分散。

 軌道が上に逸らされた。

 この一打、両者の剣はまともに当たることなく、ギルの力は完全に受け流された。


 だがギルも兵士としての経験値が違う。

 すぐさま体勢を整え、追撃を加える。


 しかし、アンジェリーナも読んでいたか、負けじと体をくねらせ回避。

 そしてまたまた低姿勢で脇に潜り込み、後ろに回り込まんとする。


 そのスムーズな動きに、ギルは思った。


 舐めていた。油断していた。

 どうせ何もできやしないと。

 これが12歳の子どもの動きか?

 それもこいつは姫だぞ?


 大振りの攻撃を次々と避けられながら、そのときギルははっと思い出した。


 そうだ。姫とかいう先入観に囚われて大事なことを忘れていたが、こいつはジュダ教官の弟子だぞ?

 剣術指導が始まったのはちょうど2年ほど前だと聞いている。

 つまり、ジュダ教官のもとで2年も指導を受けていたんだ。

 2年だぞ?パレス兵の師弟制度と何ら変わりないじゃねぇか!

 それに――。


 ギルはアンジェリーナを目で追って、後ろを振り向いた。

 アンジェリーナはすでに次の攻撃姿勢を整え、その眼はまっすぐにこちらに向けられている。


 体を柔らかに、臨機応変に対応。

 俺の弱点を確実に付いて来ている。

 これはまるで――ジュダ教官のスタイルじゃないか!


 とここで、アンジェリーナが仕掛けてきた。

 ここをチャンスだと思ったのか、ぐっと踏み込み一気に距離を縮める。

 そして低姿勢からの突き上げ。


 俺の懐を狙って――だが、


 ギルはぐっと足を踏ん張らせ、上半身を後ろに傾けた。


「なっ!」


 剣を前に突き出したせいで、バランスが、崩れる!


 アンジェリーナは勢いそのままに、前へ大きくつんのめった。

 そしてギルはその隙を見逃さない。


 つい1秒前まで倒していたはずの、その体を強引に引き戻す。

 そしてこちらに向けられた刀身を思い切り叩きつけた。


「ったぁ!」


 もともとバランスを崩していたせいで、踏ん張りが全く効いていなかったのだろう。

 横からの強烈な一打に耐えられず、アンジェリーナは勢いのまま、横に吹っ飛ばされた。


「やめ!」


 ジュダの声が響く。

 ここで決着。

 ギルはふぅと息をついて、剣を下ろした。


 はっきり言って危なかった。

 もう少し、手加減を緩めるタイミングが遅かったら、初手でやられていたかもしれない。

 ってあれ、当の本人は?


 このときようやくギルは気づいた。


 アンジェリーナが2、3メートル先に吹き飛ばされていることに。


「はぁあぁぁ!!」


 途端にギルは息を飲み、大きく開けた口を両手で押さえた。

 

 変な声出ちまったじゃねぇか。


 と同時に、どっと変な汗が吹き出す。


「え?懲戒免職?首切り?」

「落ち着け」


 あわあわもたもたするギルの肩をジュダがポンと叩いた。


「見ろ。受け身もちゃんと教えている」


 その優しい口調に、ギルは恐る恐るアンジェリーナの様子を伺った。


 見ると、確かに。

 転がっていたはずのアンジェリーナはすでに体を起こし、パンパンとほこりを払っていた。

 何事もなかったかのように。


「何割出した?」

「え?」


 ジュダのその問いに、ギルは目を丸くした。

 そしてすぐにバツが悪そうに目を伏せる。


「6、いや7割」

「だろうな――アンジェリーナ、こっちに来い」

「はい!」


 待て待てこの呟きは無視か!?。

 元気のいい返事が聞こえ、アンジェリーナはこちらに駆け寄ってきた。


「どうだった?ギルとの手合わせは」

「うーん、やっぱり単純力勝負になると、どうしても勝てないよね。そうならないために頑張れって話だけど」

「そうだな。初手はうまくやれていたがその後がお粗末になったな。攻めに転じるタイミングが早すぎた。相手の本気を見る前に当たりを付けて飛び込むのは愚策だな」


 うーむと難しい表情を浮かべるアンジェリーナ。

 その様子を内心愕然としながら、ギルは眺めていた。


 なんだよその高度な会話は。

 本当に師弟関係になってるんじゃねぇか。


 その光景を横目にして、ギルはようやく二人の師弟関係を実感したのだった。


「さて、ギル」

「は、はい!」


 ひとしきりアンジェリーナの講評が終わったのか、ジュダの鋭い視線が刺さってきた。


 うぅー、説教が来るぞ。

 

 ギルはビシッと姿勢を正し、ジュダに向き直った。


「お前は、何度も言っているが、攻撃が大雑把になりすぎだ。体格ゆえに細かい動きや柔軟性が劣るのは仕方がない。だが、それと動きの繊細さはまた別問題だ。もっと一つ一つの動きに注意して体を動かせ」

「はい!」


 返事だけは一丁前。

 ギルは腹から声を出してみせた。


 いや、ガチ指導じゃん。

 仮にも姫様の前で。

 でも、ジュダ教官の言葉って、何もかもが的確で身に染みるんだよな。


「ね、ねぇギル」

「んぁ?」


 やばっ、また変な声が出た。


 ギルが一人感傷に浸っていたところ、おずおずとアンジェリーナはギルに近づいてきた。


「どうだった?私の動き」

「ん?あぁー」


 ギルはそっと顎に手を当てた。


 なるほど。感想を求められているのか。

 えーっと、こういう場合は何て言えばいいのか?


 ギルは改めてちらりとアンジェリーナの様子を伺った。


 真剣そのものな目。

 これは、ちゃんと答えないいけないやつだ。


 ギルはアンジェリーナに体の正面を向けた。


「まぁ、はっきり言ってビビった。完全にお前の事舐めてたから、最初消えられたときは本当に驚いた。その後も、いちいち動きが面倒くさくて嫌だった」

「な、なるほど」


 ん?あれ、反応が薄い。


 何がいけなかったのか、アンジェリーナは小首を傾げた。

 そしてちらりとジュダの顔色を窺う。


 え?何か変なこと言った?


 場が静まり返り、何となく気まずい空気が流れる。

 その微妙な雰囲気に、ジュダはたまらずため息をついた。


「よかったってことだろ。こいつ、頭悪いから、語彙力ねぇんだよ。これでも相当褒めてるから、安心しろ」

「あっなるほど」


 この説明で納得したのか、アンジェリーナはポンと手を叩いた。


 あーそういう?

 俺の語彙力がないせいで、伝わってなかった?――って失礼だな!?


 ギルは思わず顔をしかめた。

 その表情をちらりとだけ見ると、アンジェリーナはすっと目をそらした。


 あ、あいつ――!


 とここで、ジュダがパンと手を叩いた。


「オーケー。じゃあいろいろ問題はあったがとりあえず、二人の仲は無事修復できた、ということでいいな?」


 その言葉に、ギルとアンジェリーナは互いに顔を見合わせた。

 そして数秒固まる。


 そう。このときはもう、二人はつい数分前まで喧嘩していたことなど、すっかり忘れていたのである。


 あぁジュダ教官はことを含めて、場を作ってくれていたのか。


 その事実に気づき、二人は思わず吹き出した。


「あーそういやそうだったな」

「うんうん。そうだったそうだった」


 森の中に笑い声が響く。


 ひとしきり笑った後、ギルははぁとため息をついた。


 なんだかいろいろとしてやられたな。


 するとそのとき、目の前に、小さな手が差し出された。


 ん?


 顔を上げると、そこには穏やかに微笑む少女の姿があった。


「改めて、どうぞよろしく。ギル」


 白く細い手。

 ちょっと触れただけで折れてしまいそう。

 でももう、奴をか弱いだなんて思っていない。


 ギルはニコッと笑い、力強くその手を握った。


「あぁ、よろしくな。アンジェリーナ」




「偉そうにすんな馬鹿。お前、護衛という任務がわかっているのか――」

「あっすみません」


 ジュダの罵声が響く中、ペコペコと頭を下げるギル。

 その光景を目の前に、アンジェリーナはただただ笑っていた。


 剣と剣のぶつかり合い。

 交わされた握手はスタートライン。

 怒涛の初日を経て、晴れてギルは、アンジェリーナの専属近衛兵として正式に加わる運びとなったのであった。

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