第110話 ジュダの覚悟
話がある。
そう言われてジュダは、アンジェリーナの後について禁断の森に来ていた。
まだ朝の時間帯というだけあって、辺りはひんやりと涼しく、少し肌寒いくらいだ。
アンジェリーナが、俺に話。
昨日の件か?
はっきり言って、今はあまり、必要以上に話したくはないのだが。
ジュダの心が暗く沈んでいることなど知る由もなく、アンジェリーナはすたすたといつもの広間へ足を進めた。
「まずは――」
到着するなり、アンジェリーナはくるっとこちらを振り返った。
「ごめんなさい」
静かにお辞儀をする。
「昨日は、取り乱して、ジュダにもいっぱい迷惑を掛けてしまって。あの後、クリスとは話したんだけど――」
「え?」
その言葉にジュダはぱっと目を見開いた。
「あいつ、何か言っていたか!?」
「え!?あ、いや、その――」
思わず心がざわめく。
あまりの剣幕に、アンジェリーナは思わず目を逸らした。
その様子にはっとする。
ったく、取り乱しているのはどっちだよ。
気まずそうにうつむいてしまったジュダを不思議そうに見つめながら、アンジェリーナはゆっくりと話し始めた。
「クリスから、色々話を聞いたんだ。私が早とちりしてしまった、“象徴”の意味も」
体が軽くビクッと跳ねた。
幸い、向こうに気づいている様子はない。
アンジェリーナは続けた。
「クリスはこう言ってくれた。私は、私のやりたいことをやればいいって。だから、昨日の夜、考えたんだ。たくさん。自分は一体何をやりたいんだろうって」
「――答えは見つかったのか?」
「――うん」
一瞬言葉を詰まらせるも、アンジェリーナはこちらの目をまっすぐに見て、そう言い切った。
その瞳に再び心がざわめく。
「それで、今日はジュダにそのことを話したくて。剣を取る覚悟のことも含めて――」
「ちょっと待ってくれ」
ジュダはそこでアンジェリーナの話を遮った。
そして今度は自分から、アンジェリーナの目をまっすぐに見つめた。
「先に俺の話を聞いてくれないか?」
「え?あぁうん。いいけど」
そう言いつつも、アンジェリーナは怪訝そうにこちらを見つめた。
そういえば、鍛錬のときを除いて、今まで俺から話を切り出すなんてことは、ほとんどなかったように思える。
流れを切ってしまうのは申し訳ないが、おそらく、話すのならばここしかない。
ここを逃せばたぶん、俺はまた同じ過ちを繰り返してしまう。
ジュダは覚悟を決めて、口を開いた。
「俺は、パレス兵だ。お前と違って幼い頃から兵隊になるためだけに生きてきた。12になって、俺は初めて戦場に出たんだ。そこで初めて人を殺した。でも、淡々と剣を振り続け、血に塗れた世界を目の当たりにしたとき、俺は、自分が、戦場でしか生きられないことを悟った。俺は兵士としての未来しか許されなかったんだ」
ジュダはちらりとアンジェリーナの様子を伺った。
いつもと違って、重い口調の俺に気を遣っているのか、真剣な眼差しのまま微動だにしていない。
「お前と関わるようになって、俺の世界は一変した、ように思えたんだ。華やかな王宮生活。そこにいた場違いな姫様。なぜか剣術指導を任されて、いつの間にか俺自身、それが楽しくなっていた。でも――」
ジュダはうつむいた。
「昨日、クリスに言われた。俺は、お前とは違うんだって。どういうわけか、俺は、勘違いしていたんだ。俺とお前が同じはずなどないのに。俺は兵士で、お前は姫で、絶対に相容れない存在なのに。俺が
そこまで言って、俺は顔の前に自分の手を持ってきた。
他の兵士と比べればかなり小さく、だが誰よりも傷の多い角ばった手。
「真剣の覚悟の問題、俺は自分の考えをお前に押し付けていた。だが、それは間違いだった。俺の手はすでに血に塗れていて、対してお前の手はまだ真っ白だ。何の汚れもない」
ジュダはそっと手を降ろした。
そしてぎゅっと拳を握った。
「だからな、アンジェリーナ」
ジュダは顔を上げ、目の前の澄んだ瞳を見つめた。
「俺は、お前のそばにいるべきじゃないんだ」
声に出した途端、ジュダはどうしようもない苦しさに見舞われた。
胸がきゅうっと締め付けられるような。
なんだ?俺。
こう自覚してもなお、まだ期待しているのか。
この子のそばにいれるんじゃないか、などと。
本当に、馬鹿な野郎だ。
「ねぇ、ジュダ」
凛とした声が森に響く。
アンジェリーナはまっすぐにこちらを見つめていた。
その真剣な表情に体を強張らせる。
「やっぱりクリスにいじめられたの?」
「――は?」
雰囲気ぶち壊し。
突拍子もない発言。
ジュダは思わず己の耳を疑った。
「いやだって、昨日クリスがそう言ってたから」
ぽかんとするジュダに、アンジェリーナは矢継ぎ早に補足した。
慌てふためくその様子に、ジュダは次第に状況を理解してきた。
あ、あの野郎、何言ってるんだ?
適当なこと言いやがって。
というか、アンジェリーナもアンジェリーナだ。
俺がどんな覚悟で打ち明けたと思っている?
「それから――」
まだ何かあるのか?
ジュダは半ば睨むようにして、アンジェリーナを見つめた。
「『お前お前』って、そんなにうるさく言わないでよ。私には、アンジェリーナっていうれっきとした名前があるんだから」
「え?――あぁそれは悪い。普通に無意識だった」
もう、気を付けてよ、とアンジェリーナはぷくっと頬を膨らませた。
その様子にぽりぽりと顔を掻く。
なんだか、拍子抜けだ。
「ま、いいけどさ」
そう軽く告げると、アンジェリーナはふふっと笑った。
そして何の前触れもなく、くるりと体を横に回わし、そのまま広間の中央に移動した。
「じゃあ、今度は私の番だね」
アンジェリーナは優しくこちらに微笑んだ。
雲間から光が射し込み始めていた。
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