第109話 兵士の刻印
「これで、できるだけ上等な剣を作っていただけませんか?」
ジュダはボンとカウンターに袋を乗せた。
ジャラリと音が鳴る。
じろりとこちらを一瞥し、中から白髪の老人が出てきた。
ここは基地近くの小さな街、その裏通り。
表では仲間たちが初任給の使い道にわーきゃーとはしゃいでいる。
一方で俺は、数多の魅力的な店になど目もくれず、街へ入るや否や路地を中に入って、ある店にやって来ていた。
カーン、カーンと路地裏中に音が響いている。
そう、ここは鍛冶屋だ。
初任給をもらった後、俺は事前に指導官や先輩の担当教官に『腕の立つ鍛冶屋はいないか?』と聞いていた。
そこで皆が口を揃えて言ったのが、この店というわけだ。
眉間にしわを寄せ、明らかに不機嫌そうな鍛冶屋は、袋の中をちらりと覗いた。
そして重さを確かめるようにジャラジャラと袋を手の上で転がしてみせた。
「この金額、普通のパレス兵がそうそう持てるものじゃないぞ。ましてやあんたは見たところまだ16にもなっていないだろ?」
そう言うと、鍛冶屋はガサツに袋を投げてよこした。
「どこでこんな金手に入れたのかはわからないが、ガキのおもちゃを作る趣味はねぇんだ。とっとと帰んな――」
「お願いします」
鍛冶屋が言い切るより前に、俺は頭を下げ、静かにお願いした。
「初任給なんです。どんなに簡素な剣でも構いません。魔剣でなくても。だから――」
俺はぎゅっと目をつむった。
はっきり言って無茶なお願いであることはわかっていた。
だが、こうまでして懇願するほど、俺は当時、追い詰められていたのだろう。
二人の間に沈黙が訪れ、カーン、カーンと奥から金属音だけが響いていた。
「――金寄越せ」
「え?」
顔を上げると、鍛冶屋はこちらを見つめ、くいくいと手を動かしていた。
急いで金の袋を手渡す。
鍛冶屋は今度はちゃんと口を開け、じっくりと中を確認していた。
「この金額じゃ、ろくな剣は作れねぇぞ?せいぜい軽い身体強化が付けられるくらいだ。それでもいいな?」
「――は、はい!」
必死な姿に何を思ったのか、鍛冶屋は何も聞かず、ジュダのオーダーに応じてくれた。
かくして、俺はもらった初任給を全額投入し、人生で初めてオーダーメイドの剣を作った。
それから約一か月後、ジュダは再び鍛冶屋を訪れていた。
剣が完成したのである。
その日もまた、一か月に一度の休日だった。
例のごとく表から、仲間たちのわいわいという声が聞こえてくる。
一方の俺は、人気のない路地で、静かに目の前の剣に瞳を輝かせていた。
「これが、俺の剣」
まじまじと剣を見つめる。
銀色の刀身。キラキラと光が反射している。
長さは、いつも使っている訓練用の剣よりもずいぶん短いようだ。短剣というところか?
「事前に言った通り、魔剣とは言っても軽い身体強化機能を付けただけだ。それからあんたはたっぱがないから、勝手にこちらで短剣仕様にさせてもらった」
その言葉に思わず体がぴくっと動く。
その様子に目ざとく気づいたのか、鍛冶屋はふっと笑った。
「まぁ気にするな。これからまだまだ伸びるだろう。だが、現時点であんたに合うのはその剣だったってことだ。このほうがたぶん良い。あくまで俺の勘だがな」
その言葉に、ジュダは改めて剣をぎゅっと握り直した。
確かに、訓練で使っていた剣よりも断然体に馴染んでいる。
このフィット感は今まで感じたこともない。
早く振ってみたくて体がうずうずしているのがよくわかる。
うん。やっぱり、ここの鍛冶屋に頼んでよかった。
――ってあれ?
そのときジュダは気が付いた。
刃元に何かある。
「え?“ジュダ”?」
そこにはなんと“ジュダ”と名が刻まれていた。
こんなの注文した覚えもない。
「サービスだ」
鍛冶屋がぼそっと呟いた。
その言葉にジュダは目を見張り、そして静かに礼をした。
鍛冶屋を離れ、表通りに戻る前、俺はそっと剣に触れた。
ここに刻まれたのは、俺の覚悟だ。
齢12歳。俺は一生、その剣を使い続けると誓った。
それからというもの、あっという間に2年が過ぎ、俺はようやく16歳になった。
16歳といえば少年兵の規定年齢だ。
規定年齢というのは、正式に軍に一兵士として雇ってもらえる年齢ということだ。
要は、合法的に、主戦力として戦場に身を投じられるようになった、ということだ。
12歳という年齢で、水面下の功績を収めた俺は、案の定、規定年齢になるや否や、あちこちの戦場に駆り出されることになった。
少年兵は基本、成人するまで養成施設を兼ねた基地で生活する。
もちろんジュダもそのはずだったのだが、各地でいざこざが起きるたびに出張を命じられていたため、所属基地にはほとんどいられないという、異例の生活が続くことになった。
実際戦場ではどうだったかというと、俺は、俺が初の戦場で感じた通り、何の問題もなく、淡々と剣を振るっていた。
他人よりも小柄でかつ短剣を振るう姿に、軍や仲間はとりわけ俺を特別扱いするようになった。
もちろん、パレス兵ということで、反発・嫌がらせがなかったわけではない。
ただし、それが気にならくなるくらい、俺は戦場で功績を上げ続けた。
結果、成人する頃には、歴戦の兵士と呼ばれるようになるまで。
覚悟を決めて戦場に立つ。
そんな生活が当たり前になり、そしてこれからもずっと続くと思っていた。
しかし、戦場に赴いき始めてから約4年が経とうとしていたときのこと、突然それはやってきた。
「は?今何と?」
所属基地の司令室。
ジュダは上官、そして滅多に会ったことのない、基地司令と対峙していた。
目の前の二人はともに、苦悶の表情を浮かべている。
「今言ったとおりだ。お前はこれから王宮専属・特別警備隊の配属となる」
ジュダは口をぽかんと開けた。
「えっと、意味がわからないのですが」
「それはこちらの台詞だ」
いやそう言われても。
困惑するジュダを前に、上官ははぁとため息をついた。
「それも姫様の近衛兵だと!?何かの間違いではないのか?」
場の空気が重たすぎる。
そう。パレス兵が王宮専属の警備隊に所属するだけでも前代未聞。
なのに、それどころか、俺に与えられた任務はなんと、『アンジェリーナ姫の専属近衛兵になること』だったのだ。
「仕方がない。王令だ」
司令はぴらっと一枚の紙を見せてきた。
確かに、そこには王宮の印と、それから――。
「え!!」
ジュダは思わず大声を上げた。
それもそのはず、そこに書かれていたのはなんと、国王直筆の署名だったのだ。
「わかったな?ジュダ」
上官の低い声が響く。
「これは、命令だ。しかも国王直々の、だ。国王の命令は絶対。はっきり言って、俺も何のことだか訳もわからないが、こうなったのだから仕方がない。しっかり役目を果たしてこい」
そんなぁ。
心中、辟易しつつもそれを言い出せるはずもなく、あれよあれよという間に俺は王宮に足を踏み入れた。
城の中は目がくらくらするほど煌びやかで、初日にして俺は、帰りたいという気持ちが高まっていた。
「失礼します」
高そうな木の扉を開け、ジュダは部屋に入った。
「よく来てくれたな。ジュダ」
目線を上げると、そこには一生関わり合いのなかったはずの人物が佇んでいた。
イヴェリオ国王。
俺を呼びつけた張本人。
ジュダは基地を発つ直前、上官に言われたことを思い出していた。
『いいか?ジュダ。国王に盾突けば即処刑。護衛は岩だ。間違っても余計なことはするな』
護衛は岩、ね?
「さっそくだが、私の娘、アンジェリーナを一目見てほしい。先程脱走したと聞こえてきたから、庭かどこかにいるのだろう。廊下の窓から覗けるはずだ。ついて来い」
はい、と返事をして、ジュダはイヴェリオの後に付き従った。
脱走?
その内心では疑問を露わにしながら。
事前に問題ありとは聞いていたが、本当なのか?
まぁこのすぐ後、城の警備兵相手に華麗な脱走劇を繰り広げるアンジェリーナを目撃するわけだが――。
アンジェリーナとの生活は、俺の常識を一気に塗り替えた。
自分とはかけ離れた世界。
でもそれは夢でもなんでもなく、リアリティに満ちたものだった。
あいつは噂以上の暴れん坊だし、そのわりに妙に大人びていて、現実をよく理解している。
と思えば、世間の厳しさをわかっていない部分も多く、そのアンバランスさがあいつが姫だったのだと、唐突に自覚させられる。
タメ口は――完全にしてやられた結果だが、それは置いておいても、剣術指導に関しては、俺も仕事として以上に楽しんでいる部分があった。
あいつがどんどん成長していくのが嬉しくて、どんどんどんどん教えたくなっていった。
だから、真剣の振り方を教えるにあたって、覚悟を問うたのは当然のことだと思っていた。
だって、自分はそうだったから。
兵士として、人を殺す覚悟をもって、戦場に立つ。
当たり前の事実が、俺を、俺の常識を鈍らせていた。
あいつも、俺と同じだと勘違いしてしまった。
それが、間違いだった。
『あなたと、アンジェリーナ様は、違う』
その通りだ。
俺はとっくに血に塗れ、手ももう赤黒く染まってしまった。
対するアンジェリーナはか細く真っ白な手で、これから剣を持つというのに。
それだけではない。おそらく、その手で国を動かし、救い、そして作っていくのだろう。
なのに俺は――。
俺は、あいつに、関わってはいけない人間だったのに――。
――――――――――
「ジュダ、話があるんだけど」
翌朝、ジュダに会うなり、アンジェリーナは開口一番そう言った。
真剣な眼差しに、その眩しさに、ジュダは思わず目を細めた。
こいつにどんな顔をすればいいのか、俺はもうわからない。
これ以上俺は、こいつのそばにはいられない。
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