第107話 兵士の悟り

「ようやく俺たちも兵士デビューだ。わくわくするな!」

「はぁ。よくそんな楽観的でいられるな」

「俺は震えが止まらねぇよ」

「おいそこ、何話してる!しゃべる余裕があるのなら手を動かせ!ここをどこだと思っている」


 目ざとく指導官が声を荒げた。


「そんなこと言ったって――」

「ったく、せっかく初の戦地っていうのに、これじゃあ臨場感も何もないだろ」


 仲間のその言葉に、ジュダは顔を上げ、辺りを見回した。


 ここは紛れもない戦場。辺境シガリア。

 ポップ王国の南部に位置するこの地域は、少数民族との対立が激しいことで有名だ。


 長年、王宮側と協議が続けられてきたが1か月ほど前、ついに、シガリアの民は強硬策に出た。

 武力蜂起である。

 それに応戦する形で王国側も軍隊を派遣、事の鎮圧に当たった。

 しかし、戦況は思った以上に膠着し、ひと月経って、パレスの少年兵を派遣するまでになったのだ。


 とはいえ――。


 ジュダは改めて周りの様子を伺った。


 静かだな、これは。


 辺りには砲弾の音も、剣を交える音も、兵士の怒鳴り声も、何も聞こえない。

 ただ街だったであろう瓦礫が積み重なっている。

 ここが戦場であることを忘れてしまうほどの静けさだ。


 というのも、派遣されてきたとはいえ、12歳ほどの少年兵。

 はっきり言って、戦力外にもほどがある。


 底辺と言われるパレス兵といえど、大切な兵力に他ならない。

 足止め程度の捨て駒として起用するほど、ポップ王国は追い詰められてはいない。

 だからこそ、数年の期間をもって、じっくり熟成することで、立派な兵士に育てるのだ。

 戦力として役に立つ駒となるように。


 ゆえに、今、ジュダたちに与えられている仕事は安全地帯での後方支援というわけだ。


 ここはすでに戦場としての役目を終えた場所。

 つい数日前まではこの地で、王国軍と少数民族が殺りあっていた。

 その惨状は今見ても新しく、そこら中に味方か敵かもわからない死体がごろごろと転がっている。


 ここでジュダたち最年少の少年兵は、前線へ物資を運搬するための積み荷作業をしたり、瓦礫を撤去したり、また放置されている死体の回収を行っている。

 要は雑用だ。

 まぁ、がっかりするのも無理はない。


「早く運べ!いつまでもたついている」


 耳のうるさい指導官の檄。

 これじゃあいつもの訓練と変わらない。


「よし、持ち上げるぞ。せーの」


 掛け声に合わせて、ジュダはぐっと力を入れた。

 持つのはもちろん誰かの死体である。

 爆弾にでも当たったのか、あるいは何人にも踏みつけられたのか、体中どろどろであり、顔や腕、脚もあらぬ方向に曲がっている。


「くそっ死体ってこんなに重いのかよ」


 一緒に持ち上げている一人がつぶやく。


「確かに、重いな」


 ジュダはよっとずり落ちる死体を持ち直した。


 複数人とはいえ、12歳の子どもが運ぶにはあまりに重労働。

 しかも死体の運搬だなんて、教育に悪いにもほどがある。

 中には吐いている奴もいるし。

 俺も、この臭いには鼻が曲がりそうになる。

 こう重くなったかつて人だったものを運んでいると、自分もいつかはこうなるのではないかと、どうしようもない恐怖に駆られる。


「よし、置くぞ。せーの」


 声に合わせてジュダはゆっくりと死体を降ろした。

 当然ながら墓など掘っている暇はない。

 すでに死体はうず高く積まれ、山となっていた。


「はぁ」


 思わずため息をつく。

 この作業をまた繰り返すのか。


「おいそこ、終わったなら早く戻れ。でないといつまでも終わらない――」




 そのときだった。


 視界の隅で影が動き、通り去った。


 目をそらしたのは一瞬。


 そして再び視線を戻すと、そこにいたはずの指導官の姿はなかった。


 その代わりにあったのは、首から上のない、血を流したものだった。


「うわぁああ!!」


 響く悲鳴。

 しかしそれは初めて目の当たりにした死に対するものではなかった。


 瓦礫の陰、一体どこに潜んでいたというのだろうか。

 明らかに敵意をむき出しにした兵がぞろぞろと、十人近く顔を出していた。

 その内の一人が血に塗れた剣を携えていた。


「わ、わぁあああ!!!」


 混沌と化す現場。

 先程まで統率の取れていた部隊はどこへやら。

 指導官を失った少年兵に為す術などない。

 そして致命的なことに、後方支援を目的とした未熟なパレス兵が、武器を携行しているはずがない。


 他の部隊はもうすでに遠く先へと向かってしまった。

 たとえ声が届いていたとしても、戻ってくる前に全員がやられるのは目に見える。


 きっとこの敵兵は、運よく軍の攻撃を免れ、ここに隠れていたのだろう。

 だがすでに王国側が制圧した土地。

 どうにも動くこともできぬまま、数日が経過し、のこのことやってきた少年兵を見つけたのだろう。


 奴らもおそらくわかっている。

 たとえここでこの数十人の少年兵を殺しても、戦況が覆るわけではないのだと。

 しかし奴らが攻撃に移ったのは、民族としての誇りのためか、あるいは自暴自棄になった最後のあがきか。

 いずれにしろ、この場において、奴らに敵うものはいない。

 ただ無惨に殺されていくだけ。


 逃げ惑う仲間を前に、俺はそう覚悟した。


 そのとき、何かがきらりと光った。


 そこにあったのは、指導官が持っていた、一本の剣だった。




 俺はその後の自分の行動を忘れない。


 剣の存在に気づいて1秒足らず、俺は、その剣を右手で拾い上げていた。

 その身のまま走り出し、辺りを確認すると、目の前に、敵兵が一人見えた。

 俺は、死体を踏み台に跳び上がった。


 何の迷いもなかった。


 俺は、敵兵の首を斬り落とした。




 それから先のこと、俺はあまりよく覚えていない。


 ただ確かなのは、仲間なのか敵兵なのかもわからない、混濁とした悲鳴が耳を劈いていたこと。

 そして、視界が常に赤く染まっていたということ。

 頭がひどく冷めていたこと。




「おい、生きている、か――」


 応援が駆け付けたとき、そこにはすでに敵兵の姿はなかった。

 そこにいたのは、怯えた眼差しで隅に固まる子どもたち。

 それと敵兵とおぼしき十数の死体。

 そして、全身を血に染めた一人の少年兵。


 辺りはすっかり赤く染められ、少年兵の剣からは血が一滴一滴落ちていた。


 唖然として固まる兵士たち。

 その表情はただの驚愕か、感嘆か。


 そしてつい先ほどまで横で無駄話をしていた仲間かれらの恐怖は、一体誰に宛てられたものなのだろうか。


 あぁ、そうか。


 そのときジュダは悟った。


 俺は、戦場ここで生きていくしかないんだ。

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