第105話 霞をはらう
「象徴というのは何も、“お飾り”のことだけではありません」
「え?」
やわらかな日差し注ぐ裏庭。
そのベンチに肩を並べ、アンジェリーナとクリスが座っていた。
「何やら誤解させてしまったようですね。申し訳ありません。本来ならば、以前に象徴の話をした時点で、説明しておくべきでした」
ぺこりと頭を下げるクリス。
象徴の話。
前に話したのはいつだったろうか。
確か最初の頃、立憲君主制とかを習ったときに出てきたような。
あ、そういえば、私が象徴を『お飾りみたいな?』なんて言ったとき、クリス、言葉を濁していた気もする。
あのときちゃんと聞いていればこんな複雑なことにはならなかっただろうに。
「確かに、象徴がお飾りとして扱われる例がないわけではありません。ですが、実際はもっと重大な役割を負った存在なのです」
「重大な役割?」
「はい」
クリスは正面を向き、静かに語り始めた。
「ある国では、国王による圧制が国民を苦しめていました。当然国民の不満は溜まる一方。そんなあるとき、ついにそれが爆発したのです」
「爆発?」
「えぇ。国家転覆を狙った武力蜂起。つまり、革命を起こしたのです」
「革命――!」
革命なんて物語の世界でしか聞いたことがない。
それでも、革命にはたくさんの血が流れることくらいは知っている。
悲痛な叫び、怒りを露わに突き進む民衆。
その血みどろなイメージがどうしても、非現実を誘うのだ。
「そして特筆すべきは、その革命を起こし、そして率いた張本人が、王の実娘である姫だったということです」
「え!?」
アンジェリーナは素っ頓狂な声を上げ、目を丸くした。
「そ、そ、それでどうなったの?」
「まぁ結論から言うと、その革命は成功しました。国王はその姫によって打ち倒しされ、新たな国家が誕生したのです。このとき姫は、“革命の象徴”として、国民の大きな支えとなりました」
クリスがさらっとそう言う最中、アンジェリーナはその事実の衝撃に密かに絶句していた。
これってつまり、直接かは知らないけど、娘が父を殺したってことなんだよね。
信じられない。
たとえどんなに許せなかったとしても、殺すだなんて、もし私がその姫の立場だったら――。
アンジェリーナは自分の身に置き換えてみようとして、しかしすぐにやめてしまった。
ダメだ。考えるのも恐ろしい。
革命の象徴。
その姫は一体、どれほどの覚悟を持っていたのだろう。
気分が沈んでしまったのを察してか、クリスは別の例を示した。
「こんな例もあります。またある国の話です。そこでは、長きにわたり少数民族差別が行われていました。少しポップ王国と似ていますが。突然ですがアンジェリーナ様、東洋人はご存じですか?」
「え、まぁ一応は」
「東洋人は大昔、魔法が生まれるよりも前に東方の地にて繁栄していたとされる人種です。ですが、今現在その数は数えられるほどにしか存在せず、ほぼ絶滅したと言える状況になっています」
あぁ確かそんな感じだったような気がする。
うろ覚えだけど。
私、どこで見知ったんだろう。
あ、そういえば、『魔界放浪記』に登場していたような。
「それゆえ、少数民族としての差別も受けやすく、その国でも長年差別の対象となっていました。ですが、先程と同様に、あるとき、その体制は崩れ去ることになります、ある男の手によって」
「え?」
体制崩壊。
また、革命とかかな?
アンジェリーナは軽く憂鬱になった。
「あ、ちなみに、革命ではありませんよ」
「え?」
即否定された。
え、じゃあどうやって――。
「その男はその国の指導者そのものになってしまったのですよ」
「え!?」
「ちなみに、武力蜂起などではなく、選挙によって、です。あくまで地道に、時にはしたたかに成り上がったのです。おかげでその国は、今では世界有数の多民族国家として名を馳せています。要は、その指導者は、“民族多様性の象徴”となったわけです」
民族多様性の象徴。
象徴といっても多種多様なんだな。
今回の話は血が流れていないし。
でも、ちらっと聞こえた『したたか』って何をやったんだろう。
「このような例にもあるように、象徴というのは国の代表を意味します。つまり、象徴になるということは、その人の行動その一つ一つが、国の意思となり国の未来を決めるということなのです」
その言葉に、アンジェリーナは喉をごくりと鳴らした。
「アンジェリーナ様にもやりたいことがあるのでしょう?」
そう言って、クリスはこちらに目を合わせてきた。
やりたいこと――。
思わず口走りそうになったものの、アンジェリーナは口をつぐみ、うつむいた。
「でも、いくら机の上で想像しても、実際、私にはどうしようも――」
「一つ、純粋な疑問なのですが」
アンジェリーナはぱっと顔を上げた。
「どうしてできないと思うのですか?」
「え?」
からかったいるわけではない。
純朴な瞳がアンジェリーナを見つめていた。
「今の体制でできないと思うのであれば、自分でやればいいじゃないですか」
「自分、で?」
イマイチ判然としないアンジェリーナに、クリスは告げた。
「あなたが、国王になればいいのです」
――え?
言葉の意味が理解できずに、アンジェリーナはその場で固まった。
こくおう?
こくおう、国王、国王――。
え、国王!?
アンジェリーナはようやくその事の異常性に気づいたのは、30秒ほどが経過した頃だった。
「はぁ!?」
アンジェリーナは勢いよく立ち上がり、クリスをまじまじと見つめた。
「わ、私が国王!?そんな、なれるわけ――」
「どうしてそう思われるのですか?」
「え、えーっと」
アンジェリーナの言葉を遮るようにして、クリスは尋ねた。
あまりの温度差に、アンジェリーナの熱がすぅっと冷めていく。
なんでこの人、こんなに落ち着いているのだろう。
「先程の例ですが、革命を起こした姫がいたでしょう?」
「え、うん」
また唐突な。
「その方は今やその国の女王として君臨なされています」
「女王?」
聞き慣れぬ言葉。
本の中で、その存在は知ってはいたけど――。
「現実味がありませんか?」
「うん、まぁ」
クリスはアンジェリーナの目をまっすぐに見て語り出した。
「確かに、かつてのポップ王国である、チュナ王国の時代までさかのぼっても、この国には未だ、女王がいたことがありません」
「あ、そうなんだ」
「ですが、他国では割と普通なのですよ」
「え、嘘!?」
クリスは続けた。
「世界中を見ても、女性の指導者などというのはもう珍しくありません。『女王なんて前例が無いから』という理由は、この国では通用しても、もはや世界では通用しないでしょう。まぁ何より、前例なんて覆すためにあるようなものですから」
またそんな、国家転覆を企てているとも捉えられかねない発言を。
しかし全く気にする様子もなく、クリスは平然としていた。
「アンジェリーナ様も理解なされたはずです。かつて国を変えたその英雄たちは、誰も行ったことのない、道なき道を歩んできました。もちろん、その道は険しかったに違いありません。ですが、その先人たちの確かな歩みは、今を生きる私たちに確かな勇気を与えてくれます」
アンジェリーナ様、とクリスは改めて呼びかけた。
「周りの凝り固まった意見になど、囚われることはないのです。もちろん、広い知見を持つことは重要です。世の中、多種多様な意見を持つ人で溢れていますから」
だからこそ、とクリスは続けた。
「アンジェリーナ様は、自分自身の意思をもって、自分自身のやりたいことをすればいいんです」
「やりたい、こと」
「はい」
そう言って、クリスは穏やかにアンジェリーナを見つめた。
「たとえ周りがあなたの夢を、机上の空論だとか絵空事だとか言ったとしても、それが一体何でしょう?やるのはあなた自身なのです」
「で、でも、一人じゃ何もできないんじゃ――」
なおも不安げに、アンジェリーナはうつむいた。
その様子に、クリスはあっ、とわざとらしく声を上げた。
「そうだ。一つお伝えしたいことがあったんです。この際隠し事はしたくないので」
「え、なに?」
またまた突然の転換。
アンジェリーナは怪訝そうな顔でクリスを見つめた。
「私には夢があるんです」
「夢?」
「はい。子どもの頃からの夢です」
何だろう?
アンジェリーナは興味津々に次の言葉を待った。
「私は、国王の右腕になりたいのです」
「右腕?」
「えぇ。あなたの右腕に」
「――――えっ!」
斜め上の発言。
アンジェリーナは思わず後ろにたじろいだ。
その反応に、クリスは気持ち微笑んだように見えた。
「アンジェリーナ様、あなた様のおっしゃる通り、何事も一人で成し遂げることは不可能です。だからこそ、私はあなたを支える右腕となりたい」
まるで告白とも捉えられるその言葉に、胸がトクンと跳ねた。
「大丈夫です。恐れることはありません」
クリスはすっと立ち上がり、アンジェリーナを見つめた。
「アンジェリーナ様はアンジェリーナ様がやりたいことをやればいい。あなたにはその立場がある」
その瞬間、アンジェリーナの視界がぱぁっと開けた。
「利用できるものは利用していきましょう」
クリスは真面目な顔のまま、ぐっとガッツポーズをして見せた。
「――ふっ、何それ?」
その仕草に、思わずアンジェリーナは吹き出した。
もう、ふざけているんだか、真剣なんだか。
表情が見えないから余計に面白い。
あぁー、なんだか、心の霞が一気に晴れていくような気がする。
顔も心もまるで晴れやかに。
そこには、アンジェリーナの笑顔が輝いていた。
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