第101話 パンク

 世界は残酷だなんて、そんなありきたりな表現、あまり使いたくはないけど、結局はそういうことなんだ。

 何かを手に入れるためには何かを捨てなければならない。


 だから国を救うためには人を殺さなければならない?

 敵の誰かを殺して、この国の国民を救う?

 ジュダの言う通りなのだろう。

 だって彼にはきっとそんな風景が日常茶飯事なのだろうから。


 でも、なんでだろう。

 それが真実なのだとしても、私はまだ解せないのだ。

 どうして人を殺す必要があるのか。

 人を殺し、汚れた手で、国を救うことなど可能なのか。


 覚悟ができていないだけなのかもしれない。

 けれど、私は――。


 ――――――――――


「――様?アンジェリーナ様?」


 その声にはっと我に返った。

 見ると、アンジェリーナの顔の目の前でクリスがひらひらと手を振っている。


 あっそうだ。

 今日は日曜日。クリスとの勉強会の日だった。


 ジュダから覚悟を問われて数日、未だアンジェリーナは結論を出せずにいた。

 そのせいですっかり頭は容量を超え、クリスの話など全く耳に入らなかった。


「まぁ、まだ早いですが今日はここまでにしましょうか」

「え、あ、ごめんなさい」


 アンジェリーナは申し訳なさにうつむいた。


「何かありましたか?」


 クリスの優しい声が降ってくる。


「よければ私にお話しください。一人で抱え込むと良いことなんてありませんから」


 クリスはこういう気づかいができる。

 だが今はその優しさが沁みて痛い。

 話してしまいたいのはやまやまだ。

 だがこれは、私自身で解決しなければならない問題だ。


 アンジェリーナはジュダをちらりと見た。

 いつも通りの無表情。護衛モードだ。


 その一瞬、アンジェリーナは油断した。

 聡いクリスはアンジェリーナの、その視線の意味に気づいてしまった。


「ジュダさんと何か?」


 ビクッとしてアンジェリーナはクリスを見た。

 いつもと変わらぬ無表情の中に、碧の眼が光る。

 何か、心の底まで見透かされていそうな。


 どうにか、取り繕わないと。


 アンジェリーナはすでにパニックに陥っていた。

 しかしキャパを超えた本人は、全くそのことに気づいていなかった。


 ジュダ関連、ジュダ関連の話で何か話題を――あ。


 アンジェリーナは再度ジュダをちらりと見ると、クリスに向き直った。


「――パレス制度についてどう思う?」


 我ながら苦しすぎる。

 こんな突拍子もない話題の切り替え、付いて来てくれるのか。


「そうですね。パレス、ですか」


 アンジェリーナの予想に反して意外にも、クリスは何の抵抗もなく、アンジェリーナの話に乗ってきてくれた。


「パレスと言えば今や、ポップ王国の傭兵育成の要となっていますね。幼少期からの英才教育のおかげで、パレス兵は早くから戦場で大いに活躍すると重宝されているとか――まぁ、表の話は、ですが」


 実際に協議してみたい話題ではあった。

 本意ではなかったけど、この機会だ。

 しっかり話し合ってみたい。


 アンジェリーナはさらに質問した。


「クリスは、その、裏についてどう考えている?」

「そうですね」


 クリスはそう言って口に手を当てた。


「パレス制度は孤児の救済が目的などと謳ってはいますが、実際は少年兵養成機関ですからね。少年兵なんていうのは、将来ある子供の未来を制限します。学校にも通えませんし。その分識字率や学力は低下しますから、遠い目で見れば国力の低下につながりかねません。それも起因して、今現在もパレス兵の地位はとても低いですし」


 アンジェリーナはあっけにとられていた。

 確かに、今クリスが言ったようなことは常々、アンジェリーナも感じていたことではあった。

 だが、仮にも貴族側の人間が、こんなことをずけずけと言っていいものなのだろうか。


「アンジェリーナ様はどう思われますか?」

「え、あぁ――」


 クリスの振りに、アンジェリーナは言葉を濁した。


 ここで何か言えばもしかしたらジュダを傷つけることになるかもしれない。

 前に、ジュダにこの話をしたときは、なんかすごく怒っていたから。

 いや、話題を持ち出した時点でもう遅いか。


 アンジェリーナはゆっくりと口を開いた。


「私も、少年兵制度には反対です」


 そしてすぐに口を閉じてうつむいた。

 なんだか今日はうまく言葉が出ない。


「では制度を撤廃したいと?」


 しかしクリスの問いかけは続く。


「撤廃、したい、です。でも――」


 アンジェリーナはぱっと顔を上げた。


「パレス制度はおじい様の代に定められて、お父様が国王になっても結局そのまま。お父様は問題点に気づいているはずなのに、何もしていない。できないから。だから――」

「どうしようもない、と?」


 うっと言葉に詰まってアンジェリーナは再びうつむいた。

 クリスが言葉を続ける。


「確かに、今の体制において国の重要政策であるパレス制度を撤廃するのは困難でしょう。国王の決定=国の決定とはならないものですから。周りの貴族階級を説得するのはあまりに難しい。ただ、私は不思議でならないのですが――」


 その言葉にアンジェリーナは再び顔を上げた。

 その目には首を傾げるクリスの姿が映った。


「どうして、今の体制でなければならないのですか?」

「――え?」


 アンジェリーナは戸惑いを隠すことなく、その場に固まった。


 どういうこと?


「ずっと話そうと思っていたのですが、私がどうしてアンジェリーナ様の家庭教師を受け入れたのか」


 そのとき、クリスは唐突に切り出した。


 どうして?

 そういえば、どうしてだろう。

 普通、許婚がこんなこと、姫である私に勉強を教えるだなんて容認するはずがない。

 こんな、将来必要とは思えないような内容の。

 やっぱり何か裏が――。


 アンジェリーナは注意深く、クリスの次の言葉に耳を傾けた。


「私は、あなたに、この国の“象徴”となっていただきたいんです」

「――は?」


 予想だにしない発言に、アンジェリーナの脳は完全にパンクした。

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