第102話 癇癪

『私は、あなたに、この国の“象徴”となっていただきたいんです』


 クリスの放った一言から数秒、アンジェリーナの体がプルプルと震え始めた。


「――ざけないでよ」

「え?」


 ぼそっと呟かれた言葉にクリスが反応する。

 そのとき突如、アンジェリーナががたっと立ち上がった。


「ふざけないでよ!!」


 怒りを露わにした大声。

 ビリビリと響くようなその声に、思わずクリスとジュダの体がビクッと跳ねた。


「ア、アンジェリーナ様?」

「何よ!象徴って。要は“お飾り”のことでしょう!?」


 なおもアンジェリーナの癇癪が収まる気配はない。


「あ、あの――」

「せっかく勉強を教えてもらえることになって、剣術も教えてもらえることになって、私も何かできるんじゃないかって思えたのに。やっぱりそういうことでしょ!?私は結局“お飾りの姫”にしかなれないんだって!」


 ふー、ふー、と息を切らしてアンジェリーナはクリスを睨みつけた。

 その目には、為す術もなく固まる二人の姿が――。


「もういいよ!」


 そう言うと、アンジェリーナは足早に部屋を出て行ってしまった。

 バタンと派手に音を立てて扉が閉まる。


「おい、アンジェリーナ!」


 急いでジュダが追いかけるも、すでに廊下にアンジェリーナの姿はなかった。


 ったくあいつ、逃げ足の速い――。


「呼び捨てなんですか?」


 ギクッとしてジュダは振り向いた。

 そこには今さっき出て行かれたとは思えないほどに、落ち着いた様子のクリスがいた。


「ア、アンジェリーナ様が二人のときはそう呼べと」

「なるほど」


 クリスはそう言うと静かに机の上に手を組んだ。


 何がなるほどなんだ?

 というか、仮にも許婚を抑えて呼び捨てとか、許されざる行為だよな。

 いや待てよ。こいつは確かなはずだから、また違うのか?


「それにしても、またやらかしましたかね」

「え?」

「そんなつもりはなかったのですが、地雷に触れてしまったようで、怒らせてしまいました。はぁ、回りくどいのは悪い癖ですね」


 ジュダはそう呟くクリスの背中をじっと見つめた。


 こいつ、落ち着いているように見えて意外と焦っているのか?

 よく見たら肩を落として反省しているようにも――。


 とにかく今は!


「私は、アンジェリーナ様を追います。どこまで行かれたかはわかりませんが――」

「今行っても焼け石に水のような気がしますがね」


 いつの間にか、クリスはこちらに視線を向けていた。


「ですが、護衛としての任務が――」

「いいじゃありませんか。少し、お話しませんか?今の癇癪の原因は何やら、私の発言意外にもありそうですし」


 うっ、とジュダは言葉を飲み込んだ。


 この男、気づいて――。


「さ、お話ししましょうか?」


 ジュダは渋々クリスのもとへ歩み寄った。


 ――――――――――


 一方その頃、衝動的に部屋を飛び出したアンジェリーナはというと――。


「はぁー、やらかしちゃったよ」


 すでに激しい後悔の渦中にいた。


 あぁもう何よ、『ふざけないで』とか。

“象徴”の話がイラついたからって、完全に八つ当たりじゃん。

 もうダメだ。


「どーしたよ、久しぶりに一人で来たと思ったら、ぶつぶつ言いやがって」


 鼻につくその声にアンジェリーナは顔を上げた。


「――ポップ」


 見るとポップがいつも通りニヤニヤと、こちらを見下ろしていた。


 パニックになって怒りのままに逃げてきたものの、一分と経たずにふと我に返ってしまった。

 かといって、暴言を吐いて飛び出した手前、すぐに戻るのも気まずく、とは言えど、落ち着いて反省できる場所もそうそうあるわけでもなく。

 気が付くと、定番の逃げ込みスポットである、禁断の森に来ていたわけだ。


「なーんか数日前も揉めてたみたいだし、それ関連?あ、それとももっと面白いことがあった感じ?」

「嬉々として聞かないでよ」


 アンジェリーナははぁとため息をついた。


 そういえば、最近はジュダとの鍛錬ばかりで、ポップとは全然話せていなかったな。

 ひどく久しぶりに感じる。

 なんだか弱みを握られそうで嫌だけど、ポップって禁断の森を出れないし。

 あぁまぁ、話しても害はないかな?



「ちょっと聞いてほしいんだけど」

「ん?」


 アンジェリーナが口を開くと、待ってましたと言わんばかりに、ポップは食いついてきた。


 いかにも嬉しそうな表情して。


 いきなり後悔したアンジェリーナだったが、もう切り出したのでは仕方がない。

 諦めて十数分前の事の顛末を語り始めた。




「ははははっ、お前、そりゃあ、やらかしたなぁ!?」

「あぁーやっぱり話すんじゃなかった」


 盛大な笑い声が森中に響く。

 アンジェリーナは思わずその場にうなだれた。


「許婚相手に癇癪起こして逃亡って、面白いにもほどがあるだろ」


 なおも笑い声は止まない。

 アンジェリーナはキッとポップを睨みつけた。


「こっちは真剣に――」

「悪い悪い。いやぁ、それにしても、その許婚様っていうのは、思ってた以上にやばい奴なんだな」

「うん、まぁ、否定はしないけど」


 けど、それだけじゃない。

 今までそばにいたことのない人物だ。

 物事の本質が見えているというか。


 そこでアンジェリーナははっと気づいた。


 そうだ。そんな人が私の気を悪くするようなことだけを言うとは思えない。

 何か、もっと、理由があったはず。

 そういえば私が荒れた後、弁明しようとしていたような気がするけど――全く聞こうとしていなかった。

 早く、謝らなくちゃ。


 ようやく熱が引いてきたのか、冷静な思考が戻ってきた。

 アンジェリーナは決意を固め、すっと立ち上がった。


「ありがとう、ポップ。私、行くね」

「おう。早かったな、今回は」

「うん」


 アンジェリーナはポップに手を振ると、小走りで立ち去った。


「あの癇癪、見た目はソフィアに似てきたようだが、中身はますますイヴェリオそっくりだな」


 森の外へ消えていくその背中を、ポップはじっと見つめていた。

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